先日書いた内容にもつながる話ですが、人から感謝されるということは地上の価値感では良いとされています。
そして、多くの人からいつも感謝されているような人は善い人だということになります。
人から感謝されるということは、人間関係が円満であることにもつながりますので、悪いことではありません。
しかし、霊的世界の価値感で感がると地上の価値感とは異なった結論が出てきます。
まず、人から感謝されると幽体などに良い影響があるかということですが、これは無いようです。
恨みや憎しみなどの念は、幽体に突き刺さり、損傷させ、霊的な状態を悪くしますが、人から感謝されることによって、それが治癒されるということはないようです。
法則なので理由は分かりませんが、事実ですのでどうしようもありません。
もし、感謝の念が幽体を良くするのであれば、偉人や聖人と呼ばれる方々が死後上の世界に行く可能性が高くなるでしょうが、そうではないようです。
そもそも、人は、恨みや憎しみの感情は場合によっては一生忘れることはありませんが、感謝の念というものは、すぐに忘れてしまいます。
一生を左右するような恩を受けても、常に感謝の念を相手に対して送るということはあまりないようです。
恨みや憎しみは一時も忘れないというような強い思いになるのに比べて、感謝の念というものはどんどんと薄らいでいくもののようです。
そして、場合によっては、感謝された相手を不幸にするということもあります。
すなわち、何度も書いていますが、人は霊的カルマを解消するためにわざわざ生まれ変わっています。
そのため、今ここで病気で苦しむべきだとか、お金に困って途方に暮れるべきだという時期もあります。
その時に、入院するお金や借金を返すお金をあげてしまったら、その相手は霊的カルマを解消する機会を一つ失うことになります。
これは、霊的に考えたら、とんでもない不幸を与えたということになるのです。
だからこそ、守護霊の方も涙を飲んで、本人が自力で立ち直るのを見守るわけですが、それを全て無駄にしてしまうことがあるので、非常にまずいのです。
さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
、龍の正義
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などをご覧になって頂ければと存じます。
多くの人を救いたいと崇高な志をもって活動されている方々がいらっしゃいます。
ところが、死後、それが無駄だった、あるいはマイナスの結果を招いたと知ったら、想像できないようなショックを受けるかも知れません。
とても残念なことですが、霊的事実というのはそのようなものなのです。
多くの人を救うためには、まずは自分自身が、霊的に進歩向上し、霊的に健全にならなければなりません。幽体や霊体を成長させるということが重要なのです。
自分自身が、霊的に高くならなければ、高貴な力は降りませんし、結局高貴な力が降りなければ、霊術などもできませんし、神霊の力を降ろせるようなアンテナとなることも出来ません。
結局、最後は、霊的トレーニング
をやって下さいということになります。
人は、霊的トレーニング を実践する以外には救われる方法がありません。
誰かを救いたいという崇高な志がある方は、まず、自分自身の霊的な状態を良くしなければ、本当の意味の幸せを人に与えることなど出来ないのです。
寄付やボランティアが一概に悪いとは申しませんが、自分自身が霊的に救われない状況であれば、決して他人を救うことなど出来ないというのが、霊的な事実のようです。
地上の価値感で人が救われるのであれば、キリストと呼ばれるような神霊の方がわざわざ、霊的なレベルを落としに落として、地上に生まれるなどというようなことをする必要がないのです。
人類は、自ら不自由になるために地上に降りることを神霊に求め、結果として不幸になり、その不幸から救われたいと嘆き悲しみ、キリストを求め、最後にはそのキリストを磔にしたのです。
このような人類全体の霊的カルマが何もしないで自然に解消されるということなどあるのでしょうか。
そんなことは僕は知らない、私は関係ないという言い分は通用しないようです。
法則は必ず法則通りの結果をもたらします。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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