正しいか正しくないか | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

人は、正しく生きたいと思うことがあるでしょう。

しかし、何が正しいかということは分かりません。

地上では、その国、その地域、その時代、その状況によって善と悪が180度変わってしまうこともあるので、善悪は正しいか正しくないかの基準にはなりません。


他者との調和のために法律は守らなければなりませんが、それは法律が正しいからではなく、社会において摩擦を起こさず、無用な批判を受けないために守るべきなのです。

悪法も法なりです。


地上で肉の身体をまとって、肉の脳で考える人間に何が正しいかなど分かりません。

そもそも、僕たち霊的生命体は、物質界で生きることを前提にしていなかったのですから、端的に言ってしまえば、物質界に相応しい生命体ではないのです。


それなのに、一度地上に降りてしまったから、霊的カルマのためにすんなりと霊的に進歩向上することができなくなって、何千年も生まれ変わりを繰り返しているだけなのです。

そんな不完全な人間に何が正しいかなど分かるはずはありません。


したがって、高級霊魂も人間に正しくあることを期待などしておられません。

真実を真剣に求めているか。その人の思いの強さ、それが全てのようです。

たとえ間違っていても、真剣であれば、必ずそれなりの霊的個性が動きますし、話を聞いてくれるようです。

だから、本当のことを言ってしまえば、世間から邪教と言われても、霊的には必ずしも正しいとは言えなくても、それが詐欺やビジネスではなく、真剣に真実を求めるものであれば、それはそれで貴いと言えるのです。

正しい正しくないではなく、真剣に求める者を高級霊魂はほっておかないのです。


さて、いつものようにこのブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学
龍の正義 霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


地上では、聖人君子のような人やボランティア活動をするような人が素晴らしいとされますし、それはそれで悪いことではありません。


ただし、地上と幽質界や霊質界では、法則が違うのですから、価値観が全く異なります。


高級霊魂は、正しいか正しくないかなど関係なく、真剣に求める人には必ず手を差し伸べてくれます。

自由意思は絶対ですので、真剣に求めない人に助力することは決してありません。


そして、重要なことは、今地上の状況が非常に悪くなっているのは、真剣に求める人をただ笑っている人々が大多数を占めるようになってきたからだという事実です。


最近、マヤ文明の暦からまた終末の予言がスポットライトを浴びているようです。

以前にも書いたように、何年何月何日という予言など当たりません。

日々、いや、今この一瞬一瞬にも、人々の自由意思が働いて状況は刻々と変化しています。

したがって、何年何月何日という予言は絶対に当たらないのです。


但し、個人個人に霊的カルマがあり、それが時期はともかくとして、必ず何らかの形で現れるのと同様に、個々の集積である人類全体の霊的カルマというものがあるために、それが引き起こす必然の出来事というものはあるようです。

それがいつなのか、何が起こるのかなど誰にも分かりません。


しかし、今、マヤ文明の暦による終末の予言というものがもてはやされるというのは、人間一人一人が何か世の中が大きく変わるということを肌で感じているからなのではないかと僕は思っています。


淡々と時は進んで、それほど遠くない将来に何か想像を絶するようなことが起こるだろうと僕は考えています。

いつ、何が起こるかは分かりません。

僕が地上にいる残されたごく短い時間には何も起こらないかもしれません。


何も分からない僕は、今日も、一人でも多くの方がよりフェアな状況で自由意思を行使できるよう、このブログを更新するだけです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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