人は平等ではありません。
個性の相違があるからです。
人は人を差別します。
そこには真の平等は生まれません。
至上の神は差別を認められました。
それは自由な選択を認めるためとも言えます。
全くの平等からは選択は生まれないからです。
自由意思の行使は全て自己責任を伴います。
自由意思によって結果が出れば、そのことに自分自身で責任を持たなければなりません。
自由意思がなく行なわれたことに対して結果が出たとしても、それが良くないことであれば、それは自分のせいではないと、誰もが口を揃えて言うでしょう。
だから、自己責任のないところに反省はないのです。
自分で選んだからこそ、人は反省する余地ができるのです。
そして、この法則たる差別の世界において、人は他者をいたわり、他者を愛し、他者と協調することを学ぶのです。
至上の神は人に自由を認められました。
自由意思の行使により人は反省することを学び、差別によって愛を知るのかもしれません。
それは、魂の成長へつながります。
全ては魂の成長のために認められているとも言えるのです。
人には平等はなく、平等は魂の成長に寄与しないのです。
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差別されることにより人は苦しみを味わいます。
そして、それに打ち勝つことにより霊的カルマを解消するのです。
これをきちんと解消してしまわないと、また再生のシステムにより物質界に生まれ変わることになります。
そしてまた苦しむ。
結局、どこかで乗り越えなければ、同じことが何回も何回も繰り返されるのです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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