信仰のあった人、なかった人 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

宗教の中には、人が死後、神に裁かれるという教えがあります。

神が天国と地獄に行く人とを判断し、地獄へ落ちた人は辛い罰を受けるというのです。


特に、その信仰を熱心に信じた人は天国に行き、悪いことをした人、その中でも、無信仰な人は地獄に落ちると教えたのです。


こうした教えは、世の中を治めるため、人々が道徳や倫理を実践するためには大切なことでした。


では、実際にはどうなのでしょうか。


霊魂学 の立場では、それぞれの人が霊的世界の法則によって、それぞれ相応しい世界の住人になるだけのことです。


すると、ここで僕が興味を持ったのは、信仰のあった人と信仰のなかった人とでは死後どのような違いが出るかということです。


まず、一つは、死後の世界を信じている人の方が、他界後の精神的な混乱が小さいので、より導きやすいということです。


それでも、中には、自分の信じていた宗教の教えと異なっているために、頑固になってしまい、かえって、導きにくい人もいるようです。


次には、高級な霊魂によって指導されていた宗教団体に入っていた人は、高級な幽気をある程度は吸収している場合が多いようです。そのため、上の世界に入りやすくなっています。


また、霊的には高級と言えない宗教団体に入っていた人は、逆の結果になることが多いようです。


それでは、無信仰な人はどうなるのでしょうか。

こうした人たちは善くも悪くも幽気は通常の外気しか吸収していません。

そのため、普通にしていれば、上の方の世界にはなかなか入れません。


そして、実際には、何度も書かせて頂いているように、現代人は会社や近所、家庭の中で多数の攻撃的な念を受けて傷つけていることが多いのです。

そうなると、今度はかなり下の方の世界に落ちる人も増えてきます。


さて、今日も霊魂学 に興味を持たれた方は、是非、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学龍の正義霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。


僕自身の経験や霊的集会での他の修行会員の方々の霊査の結果を聞いていても、現代社会における攻撃的な念というものは、数も悪い意味での質もすごいなあといつも思います。


職場などでの表面的な対立はもちろんのこと、自分全く知らないところで、呪い殺してやる、奴が死ぬまで絶対に諦めないというような壮絶な攻撃的念を受けていることも決して珍しくないのです。

もっと、本当のことを書いてしまうと、家族や付き合いの深い親族から恐ろしい念を受けることもあるようです。


そして、そのような念によって、幽体が損傷したり、幽気や間気が不調になって、病気や怪我、事故などの可能性が高まって、肉体に極めて悪い影響を与えていることに本人が全く気がつかないという点が一番怖いのです。


重い精神的な病なども現代においては、この霊的身体の不調やそれにともなって邪霊が関与することによって生じていることがかなり多いようです。


霊能者と言われる方々に心身の状態がとても悪いという方が多いのもこのためのようです。実はご自身では気がつかないようなのです。


信仰はないよりはあった方が良いと言える部分がないことはありませんが、現代はバックについている霊魂の霊的レベルが非常に低いというケースが多いので、そのあたりはとても複雑な状況になってしまっているようです。


結局、自由意思の行使によって、自分自身で本物を見抜くしかないようです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

※ 
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霊をさぐる
たましいの帰り道
霊的世界への探求
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