自分という存在 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

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人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

霊魂学 を出会うずっと前からなのですが、僕は自分という存在が不思議でしょうがりませんでした。

人間として生まれてきたわけも、現在生きている理由も全くわからないからです。

しかも、その内面ときたら、矛盾だらけで、いくつもの考えが自分の中で対立して、あたかも多重人格を持っているようでした。

また、何かどうしようもできないような衝動にかられて、理性では駄目だとわかっていてもコントロールできないようなこともありました。


霊的なことを聞くとあたかもオカルト的なことばかりを想像される方が多いと思いますが、あなたは、何よりも不思議でわからないのは、実は自分自身だと思った事はないでしょうか。


霊魂学 の観点で考えれば、そもそも心というのは、肉体の個我、幽体の個我、霊体の個我、そして普通の人にとっては関係ないと言ってもいいですが、神体の個我という複数の個我の影響を受けているのですから、多重人格的な側面があるのは当然であるとも言えます。


また、潜在意識の奥の方には、霊的カルマの原因となっているような強い意識が過去世の影響で眠っていますので、それが浮き出てきて、表面意識に影響を与えると、自分自身ではコントロールできないような衝動にかられることがあります。


多くの方がご覧になるネット上のブログですの、あまり突っ込んだことが書けませんが、思わず感情のコントロールがきかなくなってとんでもないことをしてしまう場合もあるようです。


更に、幽体に障害があるなど、霊的不調の場合は、未熟な霊魂の影響を強く受けることもあるようです。

これでは多重人格のごとくになってしまいます。


しかし、人は誰でも、実はどこか奥深いところでは、貴い光とも言うべき高貴なものも持ち合わせているようなのです。


死後、下の幽界に入ってしまった人や更に邪霊と言われるような存在になっても、この高貴なものが失われることはないのです。

邪霊ともなると封印されたような状態になっていて、上にいける行ける可能性があっても、自由意思がそれをさせないのでしょう。


自分という存在は考えれば考えるほど不思議です。

しかし、肉体の脳で考えていても何も分かりません。

結局は、霊的感性で感じ取るしかないのでしょう。


もちろん、もし、自分の正体が分かるような存在になっているとしたら、その人はもう人とは呼べません。

まさに神人と言うべきでしょう。


さて、今日の話で何かを感じた方は、今日からすぐ始められる霊的トレーニング を実践し、わかりやすい霊魂学龍の正義霊魂イエス 契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと思います。

まずは、自分が地上という物質界に生まれてきたわけを知る必要があります。

そして、今、生きている理由も知って頂きたいと思います。


そうでなければ、わざわざ生まれ変わった意味がありませんし、せっかく霊的に進歩向上するチャンスを頂いたのに、より下がってしまうという皮肉な結果に終わってしまいます。


昔は、生まれ変わり、更に進歩するという正常な連鎖があったようですが、現在は、地上があまりにも霊的に汚れすぎて、止まらない負の連鎖を続けているということは連日書かせて頂いている通りです。


苦しみも悩みも思わぬ不幸なできごとも、実はそこには何らかの理由があるのです。

それらを乗り越えて、霊的カルマを解消し、霊的に進歩向上しなければ、何のために生きているのか意味がなくなってしまいます。


生きている意味というのは、決して贅沢な生活や栄光を手に入れることではありません。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


※ 契山館 霊魂学 霊的トレーニング 日々の生活における修行 について更に詳しく知りたい方は、契山館 が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。


霊をさぐる
たましいの帰り道
霊的世界への探求
大霊力


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