霊的トレーニング
のメインは、神伝禊法と神伝鎮魂法ですが、それぞれ、初伝、次伝、中伝、奥伝、秘伝と5段階に分かれていることは以前に書かせて頂いた通りです。
霊的トレーニング についてはその効果について質問されることがあります。
以前にも書いたとおり、禊法は、霊的カルマを解消するために、鎮魂法は霊的身体を成長させるために行ないます。
副次的な効果もありますが、ここでは割愛させて頂きます。
いずれにしても、霊的カルマの解消により、人間という霊的生命体は魂を進歩向上させることができるのです。
そして、霊的な身体のレベルによって死後、住む世界が決まるのです。
さて、霊的トレーニング については、その方法と行なっている最中意識などがどうなるかという質問を受けることがあります。
方法については、家族であれ、誰であれ、一切他言することが禁じられておりますので、ここで公開することはできません。
また、個人的に直接お教えすることもできません。
理由はいろいろあるようですが、師からの直伝以外は伝えること、公開することは許されていません。
最中の意識ですが、これについては、普通に意識を持っています。
半分寝ているような状態になったり、特殊な状況に至ったりはありません。
ただ、人によっていろいろと感じることはあるようです。
これはこのようなことが起こると決まっているわけではないですし、このような現象があると良いとかいうものもありません。
唱える言葉やちょっとした動作もありますので、意識は普通の状態でなければならないと思いますが、神秘的なものではありません。
僕個人としては、体がかなり温かくなりということはあります。
場合によっては暑いほどになります。
同様の現象が起きる人は他にもいらっしゃるようです。
また、僕の場合は、終わると非常に眠くなります。
理由は分かりません。
これも同様の現象が起きる方がおられるようです。
そして、他の人から聞いたことはないのですが、僕の場合は、目をつぶっている時にかなり強い光を感じます。
目をつむっているので暗いはずなのですが、強いライトで照らされて、その光が波打っているようなが感じがします。
ほとんどそのようなものを感じないこともあります。
いずれにしても、理由はわかりません。
全く、何も感じないという方もおられるようで、何かを感じなければならないということはないようです。
何度も書かせて頂いているように、物質界において見えるはずがないものが見えたり、聞こえるはずのないものが聞こえたりするのは、霊的な不調、すなわち幽体に大きな傷があるとか、幽気が漏れているとか、反物質的な性質を持つ間気(エクトプラズム)が漏れているなどが原因ですので、良くないことなのです。
特に、肉体と幽体がずれていると邪霊のターゲットになりやすいので非常に危険です。
そして、当人はそれに全く気づいていないということが、一番の問題です。
霊能力だの超能力だのと喜ぶのは大変危険なことなので、そのような能力が開発されているとしたら、邪霊とかなり仲良くなってしまっているということに気がついて欲しいと思ってしまいます。
したがって、霊的な身体を健全化し、進歩向上させたり、霊的なカルマを解消して魂を進歩向上させるための霊的トレーニング を行なうと逆にそのような体質であってもそれがなくなってしまうのが普通です。
僕はあまり霊感と言われるものと縁がありませんでしたが、ある霊能力者と理由があって一緒にいる機会が多くなっていた時期は、毎日のように予知夢を見ましたし、世間でよく取り上げられている霊現象のようなものを幾度となく経験しました。
もちろん、霊的トレーニング を始めてから現在までそのような経験は一度もしていません。
あるとすれば、それは高貴な存在からインスピレーションを受けることがある霊的な感性くらいでしょうか。
これについては、どんどん磨いていかなければならないと思います。
幽界では、言葉で会話することもありませんし、自分をどんな姿に変えることもできますし、瞬間移動もできるようです。
要するに一部で憧れの対象になっている超能力だの霊能力などは、死後、普通に使えるようになるのです。
物質界ではないので、当たり前のことですし、慣れてしまえば、どうということもないようなです。
そのようなことに、物質界での非常に短い人生で多くの時間を使うことが有意義かどうかはちょっと考えればおのずと結論は出るように思います。
何かを感じられた方は、是非、今日から今すぐ始められる霊的トレーニング を実践し、わかりやすい霊魂学 、龍の正義 や霊魂イエス 、契山館 が管理するサイトである霊を知るために などをご覧になって頂ければと存じます。
大ヒットし、映画化もされた漫画の「デスノート」を見ていても、霊的に進歩向上していない人間が、物質界ではあり得ない特殊な能力を持つとあのようになってしまうのは、とても普通のことなんだなあと思ってしまいます。
神が存在するかしないかの議論はともかくとして、高貴な存在が霊的に幼児と言えるような霊的生命体が本物の霊力を使えるようにはしてくれないことは考えるまでもないことです。
霊的なことも幼稚園から小学校、中学校、高校、大学と段階を踏む必要があるのです。
霊力ではなく、物質界の社会で受けているような霊能力や超能力を使えるようにしてくれているのはいったいどのような存在なのか、ちょっと考えれば答えは出ると思います。
霊的に非常に危険な能力を開発することを夢見るのではなく、高貴な存在からの霊力を授かることを望む方が一人でも増えることを願わずにはいられません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
※ 契山館
、霊魂学
、霊的トレーニング
、日々の生活における修行
について更に詳しく知りたい方は、契山館
が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。
ブログ村ランキングに参加させて頂いています。
1日に1回クリックして、応援して頂けるととても嬉しいです!
↓