伝統的宗教は、いきなり神を語ってしまいます。
しかし、人が神を知りたくても手段がありません。
せいぜい、牧師さんの話を聞くか宗教聖典を読むくらいしかできません。
ところが、人の話や書物から神を知ることなどできません。
僕は、霊魂学 と出会う前から、人間が書いた宗教聖典などは、著者の解釈や思想が色濃く反映され、治世者によるものは治世をやりやすくするために書かれているものなので、全く信用できないと考えていたということを書かせて頂きました。
そこからは、神を知ることなどできないからです。
霊魂学 によれば、幽質界における上位の世界である上級幽界には、守護霊、指導霊と言われる高貴な霊魂がおられ、その方々たちは霊質界におられる高級霊魂の方々の指示で霊的な仕事を行なっているということになります。
一般的には、幽体の不調から邪霊や未熟な霊魂の声が聞こえたり、姿が見えたりする方々が、私は神を知っていますとか神と語りましたと仰ることがあるようですが、それは残念ながら錯覚のようです。
肉体を持った人間が、至上の神、創造主である神の姿を見たり、声を聞いたりできるということを信じるという方は少ないのではないでしょうか。
世間に多く存在するそのような方々が至上の神と交流できるのであれば、世の中はもっと霊的に高級になっているはずですし、戦争や闘争や虐殺などがこれほど多く存在するという事実の理由が説明できません。
これほど、世の中が殺伐としているのは、人には、自己保存欲や自己顕示欲、そしてさまざまな未熟な心があるからこそなのだと考える方が自然でしょう。
さて、話がそれましたが、守護霊や指導霊の上司である霊質界の高級霊魂にも更に上司がおられるようで、霊質界での最上世界におられる高級霊魂や高級眷属と呼ばれる方々は、神質界におられる神霊の指示を受けて仕事をされているようです。
しかし、その神霊も至上の神とは異なるようです。
そんなわけで、神霊を神と呼べば神なのかもしれませんが、至上の神という存在は人間の霊的感性がかなり高級になっても直接知覚することはほぼ不可能なようで、一般の方にとっては、神などいてもいなくても関係がないと言ってしまうほうが正しいのです。
そして、あまりにも次元が違う世界での話ですので、人が神に祈ろうが神の名を叫ぼうが、神がそれを知ることもなければ、その結果として当然、何かをしてくれることもありません。
たとえ、何かご利益があったとしても、それは、生きている頃に熱心な信者だった未熟な魂か一度喜ばせてその後で地獄の苦しみを味わせてやろうと手ぐすねを引いている邪霊が関与しているにすぎないでしょう。
昨日も書かせて頂きましたが、そもそも至上の神が地上の一個人に関与してくれるなどという考え自体が極めて傲慢ですし、「神も仏もいないのか。」と嘆きながら苦しんでいる人が満ち溢れている世の中を見れば、そんなことがあるはずないと考えるのが普通でしょう。
至上の神は存在する存在しないという話以前に、地上の人間に関わることができないのです。
だからこそ、僕たちはまず、この物質界に生まれ変わり、生きている本当の意味を知るべきです。
そして、その目的を達成するために一緒になって歩んでくれる守護霊や指導霊を知るべきなのです。
とにかく、守護霊や指導霊の方々と交流できるようになることが最優先なのです。
守護霊と指導霊ときちんと交流できるようになって、霊的に正しい道を歩み始めたら、更にその上の霊質界におられる高級霊魂や神霊を求めれば良いのです。
やはり物事には全て段階があります。必ず、優先順位というものがあるのです。
いきなり神を語ってしまうから、矛盾が生じるのです。
「神様がいるのに、なんでこんな世の中なんだ!」と・・・・・。
ただ、それでも人は神を求めるべきです。
人は神を求める時、より完全、より絶対、より進歩したものに向かって歩き始めるからです。
だからこそ、イエス師も「神を求めよ。」と叫ばれたのです。
神を求めるということは、人間社会の矛盾を知ることなく、自分や家族のために矛盾だらけの社会で競争をし、日々罪を重ねていることを知らずに、ご利益を求めることではありません。
自らの罪を認め、矛盾した社会で生きていても、より完全、より絶対であろうと努力する時に人の心に神がいると初めて言えるのでしょう。
霊魂学 を学び、霊的トレーニング や日々の生活における修行 を実践しているうちに、いつしかそのことが実感できる日がくると僕は信じて疑いません。
やはり、まずは、わかりやすい霊魂学 や霊魂イエス 、その他師の著書、契山館 関連のサイトをご覧頂いて、人生の目的は何かを真剣に考える方が一人でも多く増えることを願ってやみません。
神霊はそのために何千年も準備して、今この時に、物質界に神伝の法を示されたからです。
そして、真剣にご自身の人生の目的を考えた方には、霊的感性にしたがって、神霊さえも侵すことができないという自由意思の権利を行使して頂ければと思います。
霊的真実を知り、それに正面から立ち向かい乗り越えようと努力する人を神霊は待っています。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
※ 契山館
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について更に詳しく知りたい方は、契山館
が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。
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