人は神や仏に生かされてはいない | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

昨夜は出掛けていたために遅い時間の更新になりましたが、書かせて頂いた呼吸法を実践された方はおられるでしょうか。

もし、一人でもいらっしゃるとしたら、この上ない喜びです。

1ヶ月、半年、1年、10年とずっと続けて頂けたら、たとえ契山館に入会されなくとも、少なくても死後に下層幽界に落ちる可能性がかなり低くなるからです。

たった一人であっても、死後、生き地獄を味わう方が減ったと思えば、アメブロやtwitter を更新し続ける気力が沸いてきます。

さて、僕は霊魂学 と出会う前、独自の霊的な世界観というものを持っていました。

それは、いろいろな本を読んでいるうちに、自分自身のインスピレーションで本当か嘘かを取捨選択した結果やいわゆる霊能者との長い期間に渡る接触の中で、自分自身で取捨選択したことの集約からイメージされたものでした。

霊魂学 を学ぶ前でしたから、当然、霊魂学 と一致する部分と一致しない部分が混合されていました。

一致する部分については、独自の霊的な世界観と霊魂学 が同じだったのですぐに霊魂学 が本物だと直感した理由となりました。

不一致の部分の方が量的には多かったのですが、コアというか本質的な部分がほとんど一致していたので、霊魂学 が本物だと直感することができたのでしょう。

さて、不一致の部分の一つに、「人は神か仏かわからないけれども高級な見えない存在に生かされている」というものがありました。

これは大間違いでした。

自分が神や仏に生かされているなど傲慢極まりない考えだと全く気がつかなかったのです。

このような考え方は、自分を神や仏のすぐそばに置くものだからです。

なんで、深い霊的カルマを解消するために生まれ変わったような一個性のすぐそばに神や仏がついていて下さって、僕のことを生かしてくれるのでしょうか。

霊魂学 的な観点から言えば、どうかこのような僕を見捨てないで下さいと泣きながら土下座して懇願するというほうが真実でしょう。

今考えるとただでさえ傲慢な心を甚だ膨張させていたようです。

人はこの生かされているという考えが膨張していくと、ほとんどの方が感謝の心が大切ですというパターンにはまります。

もちろん、感謝の気持ちを持つことは悪いことではありませんが、人は宗教的になると必ずと言っていいほど、自分以外の人にこの感謝の心を強制し始めます。

これは最悪です。

感謝の心が大切だと言いながら、他人に対して感謝するどころか、感謝の心の押し売りによって多大な迷惑をかけるのです。

感謝を口にする前にまずは、他人の迷惑を考えなさいという話になってしまうのです。

人には自由意思があり、それは神霊さえも尊重されるものです。

たとえ、誰かが霊的に間違った道を歩もうとしている時であっても、その方の自由意思に干渉することなど許されません。

ましてや、他人の考え方や思想にまで土足で入り込んで、感謝の心を強制することなど言語道断の悪行と言えるでしょう。

このような典型的な偽善者のそばに神や仏がおられるはずがないことは、少し冷静になって考えればわかるはずなのですが、なぜか人は宗教的になるとふと立ち止まって己を省みるということを全くしなくなります。

正に妄信とはこのようなことを言うのでしょう。

人の社会は初めから矛盾に満ち溢れています。誰かの利益は必ず誰かの不利益を生み出しています。詐欺ビジネスでよく悪用されている言葉「ウインウインの関係」など存在しないのです。二人が得をしても、必ずそれ以外の誰かが不利益を被ります。

競争社会だから勝者と敗者が存在するのは必須と仰る方が多いかもしれませんが、それは人間社会が必ず誰かの犠牲の上に成り立っているという事実を意味しています。

物質界に生まれ変わった罪深き人間が、自分の行為がいつも社会正義だと大勘違いをして、他人の自由意思に土足で入り込むことが宗教的に正しいと思い込んでいるから、また新たな霊的カルマを作ってしまうことに気がつかないのです。

僕自身もこの自由意思が最も尊重されるという極めて重要な事柄については、霊的な世界観と結び付けることなく独自の直感だけを頼りにイメージを抱いていたので、大きな間違いを犯したのだと思います。

ただ、僕の場合は、納得できる宗教団体がなく、特定の宗教団体に属することがなかったために、何とか感謝の心の押し売りだけはしないで済みました。

本当にラッキーだったと今も思うことがあります。

僕自身が最も嫌うことを、宗教団体の渦の中で、何も疑うことなくやってしまうという危険はやはりあるからです。

霊能者との関わりの中で、一時期、自分自身の思考を失いかけるという危険を体験しているだけに、渦に巻き込まれた感覚はよく分かるのです。

だから、洗脳されるという感覚もなんとなくわかりますし、ある種の気持ち良さも理解できます。

一時的にせよ、悩み苦しみから解放されるのでそれはやはり気持ちの良いものだと思います。

但し、麻薬と同じで、薬が効かなくなった時には、何百倍、何千倍もの悩み苦しみが襲ってきますが・・・・・。

霊魂学 を学び、霊的トレーニング 日々の生活における修行 を実践することによって、一人でも多くの方がこのような偽善地獄から解放されることを願っています。

そのためには、まずは、わかりやすい霊魂学霊魂イエス 、その他師の著書を読んで頂くことを今日もお薦めします。


人は、神や仏に生かされてなどいません。

人は、自分自身の霊的感性を頼りにして、自由意思で判断し、生まれてきた目的を果たすしかないのです。


もちろん、道標はあります。

しかし、それが本物であるか偽物であるかを判断するのは、あなた自身しかいないのです。

本物は、宗教に依存するのではなく、宗教を通して自立を目指す時に初めて見えてくるものなのでしょう。

大切なことは唯ひとつ・・・・・。


※ 契山館 霊魂学 霊的トレーニング 日々の生活における修行 について更に詳しく知りたい方は、契山館 が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。 

霊をさぐる

たましいの帰り道

霊的世界への探求

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