人生に希望が持てなくなって宗教にのめり込んでいく人が多いようです。
一種の現実逃避なのでしょうが、そのためか宗教に頼る人は、とても弱い人だというレッテルを貼られているようです。
霊的カルマの解消のため、霊的カルマを乗り越えるためにこの世に生まれてきたわけですから、どんな人にも苦悩はあるでしょうし、それは言わば一番弱いところに向けられます。
だからこそ、苦悩なのであり、霊的カルマなのでしょう。
過去世の影響があるので、他の人から見れば、なんでそんなことで悩み苦しんでいるのと不思議がられるようなことでも、当人にとってはまさに地獄の苦しみということも多いように思います。
まさに、当人にしかその苦しみの深さは分からないのです。
契山館 の修行会員になり、合宿に参加して、神伝禊法を実践するようになると、多くのカルマは消えていくようです。
そして、修行の段階が進んでいくと、通常では解消できないような深い深い霊的カルマも解消されます。
しかし、霊魂学 は人としての日常生活を放棄することには否定的ですので、修行会員と言えども、霊的トレーニング をしたり、霊的集会 に参加する以外は、全く普通の人と同じ生活をしています。
そして、そのような霊的な活動の占める割合は生活において、大きくはありません。
現代人は時間に追われて生活していますから、霊的活動に使える時間は極めて少ないのです。そして、それを前提にしてプログラムが組まれています。
また、普通に生活していれば、仕事や家庭、人間関係の悩みなどでストレスもたまります。
霊的活動を行うことでストレスが解消されるという方もおられるでしょうが、そのような人ばかりではありません。
ストレス発散のために趣味を楽しんだり、お酒を飲んだり、ショッピングをしたり、旅行をしたりすることもあるでしょう。
ごく普通に生活を送っているわけです。
契山館 の修行会員になり、霊魂学 を学び、霊的トレーニング を行っても何かが劇的に変わるということはないように思います。
もちろん、劇的に変わったという方もおられるでしょうが、僕個人の感想としては、劇的に何かが変わったということはありませんでした。
そして、霊的カルマの解消は、一度、根深いところにあるこびりついた霊的カルマを表面に浮かせてから霊的な高貴な光をあてるということもするようですので、その過程では、精神的に落ち込んでしまうこともあるかもしれません。
したがって、霊的トレーニング を行っていても、生きていることに希望が持てなくなるという人も少なからずおられるかもしれません。
実際に、僕もそのような時期がありました。
そうなると、霊的トレーニング をやりたくなくなったり、霊的集会 に参加することが苦痛に感じることもあるでしょう。
しかし、やはり、希望の光はこの地上にあるようです。
一見暗闇だらけの世の中ですが、このような地上で肉体を持ちながら、霊的トレーニング を行ったり、日々の生活における修行 を積み重ねるからこそ、通常は地上の時間で何千年もかかるような霊体の成長や神体の成長というとんでもないことを実現することができるのでしょう。
どんな暗闇の中にいても、僕は、必ず地上にこそ希望の光があるのだと思っています。
求め続ければ、必ず見えてくる。神霊は待って下さっている。
僕は今そんな風に考えています。
本物の希望の光を見つけたい方は、是非わかりやすい霊魂学 や霊魂イエス を読んでみて下さい。
希望の光はすぐ目の前にあるのに、ご自身が見ようとしていないだけなのかもしれません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
※ 契山館
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