バブルが崩壊して強い刺激に多くの人達が疲れきったためか、その後「癒し」という言葉が頻繁に使われるようになりました。
僕のこのブログもアメブロの癒しジャンルのランキングに参加しています。
ウィキペディアによると、「癒し」とは心理的な安心感を与えること。または、それを与える能力を持つ存在の属性のこと。
と説明されています。
本来は宗教的な用語のようですが、現在ではストレスやうつ病などに苦しめられている方々にストレス解消のための手段を提供する行為を言うようです。グッズなども売れているようですね。
僕の父方の家系はうつ傾向が強いようで、実際に僕の父も母の放蕩によるサラ金地獄に耐え切れず、僕が19歳の時に自殺しました。そして、身内にも日々うつ病に苦しんでいる者が何人かいます。かなり重度です。
僕の場合はそのような症状が顕著に出たことはありませんが、日々の生活に行き詰ってくると何もかも放棄したくなるのは、その傾向の影響があるのかもしれません。
まあ、霊的トレーニング がやりたくなくなるのは自己統制ができていないだけですので、家系のせいにするつもりは全くありませんが、過度のストレスやうつ病に苦しめられておられる方々のお気持ちはよく分かるつもりです。
さて、霊魂学
を学び、霊的トレーニング
を実践すれば、このようなストレスが解消され、うつ病から開放されるのかと考える方もいらっしゃると思います。
まず、結論を申し上げれば、そのような効果が得られるか否かはご本人次第ということになります。
そして、その成果は決して一朝一夕では得られません。
多くの方々は宗教に対してご利益を求めます。苦しい時の神頼みです。
それはお金であったり、家族の平穏な暮らしであったり、個人の精神的な苦しみからの解放だあったりするわけですが、単に宗教団体に入ったというだけで、それらのことが得られると本気で思われる方がいらっしゃるのでしょうか。
まさに藁をもつかむ気持ちで、もしかしてと思い、ご利益を求めて宗教団体にのめり込んでいかれるのではないでしょうか。
世の中そんなに甘くないと身に染みておられる方々であっても、やはり悩みや苦しみから解放されたくて、どんどん泥沼の底に落ちていってしまわれるということも多いように感じています。
しかし、人が自分の人生に暗い影を落としているものから開放されるには、結局自分自身で努力するほかないと思います。
自らベストと思う方法を考え、それを実践して、試行錯誤を何回も繰り返しながら、何かを得る。これが人間社会における普通の感覚だと僕は思っています。
霊魂学 は、霊的な身体を鍛える霊的トレーニング は重要だけれども、それだけでは真の霊的向上はあり得ないということを教えてくれています。
僕が個人的に日々の生活における修行 と名づけていることがあるのですが、日々の生活における修行 を行わなければ、すなわち単に霊的トレーニング を実践するだけでは、真の「癒し」を得ることはできないと僕は考えています。
僕自身、この日々の生活における修行 について大きな考え違いをしていたところがあって、いつまでたっても落第続きの修行者なのですが、ちょっと前からその大間違いに気がついて、今はそれを改善し、進化させようと努力している最中です。
ある視点から見れば、霊的トレーニング も日々の生活における修行 の方が実践することが難しいかもしれません。
日々の生活における修行 については、また日を改めて書かせて頂くこととして、この「癒し」を得られるかというテーマについては、日々 霊的トレーニング と日々の生活における修行 を実践して、地道な努力を重ねれば、得られるでしょうという僕個人の意見を申し上げておきます。
僕自身について語らせて頂ければ、霊的トレーニング も日々の生活における修行 まだまだ未熟でレベルは低いですが、目先の「癒し」ではなく、永続的な真の「癒し」を得つつあるのかなと感じています。
いつも同じことを書くようですが、この感覚は、体験した者にしか分かりません。蜜の甘さはなめた者にしか分からないのです。
今日のテーマについても、詳細については未熟な修行者の戯言よりも、わかりやすい霊魂学 や霊魂イエス を読んで頂いたほうが良いでしょう。特に霊魂イエス は僕にとってはバイブルのようなもので、何回も読み直していますが、そのたびに新しい発見があり、感動させられています。
契山館 、霊魂学 、霊的トレーニング 、日々の生活における修行 について更に詳しく知りたい方は、契山館が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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