神 は存在するか。
僕のブログをご覧になっておられる方は、霊的な世界に良い意味でも悪い意味でも興味を持っておられる方だと思います。
それは宗教的な好奇心も含むはずですから、神
は存在するのかということは最も興味があるテーマの一つだと思います。
僕の見解を一言で申し上げます。
分かりません。
実在について見たこともなければ、ご本人の声を聞いたこともないからです。
いわゆる霊能者という方々は私は○○○の神に仕えていると仰るでしょうが、霊視のできない僕にとっては分からないというのが最も正しい答えなのです。
まず、前提として霊魂学 は、物質界以外に幽質界、霊質界、神質界があるということを教えており、物質界では肉体を使い、幽質界では幽体を使い、霊質界では霊体を使い、神質界では神体を使うとしています。
これらについて、細かいことは、いつもながら僕の説明では不正確になりますので、わかりやすい霊魂学 や霊魂イエス を読んで頂くしかありませんが、霊魂学 では神質界におられる方を神霊と呼び、個性を持つ存在としては最高レベルとしています。
この神霊の方々を神と呼ぶのであれば神なのでしょうが、創造主という意味での神
ではありません。
さて、この神霊という方々を僕は見ることができません。
しかし、存在しておられると確信しております。
多くの方はなぜかと問うでしょう。
理由は簡単です。存在しておられると感じるからです。
霊的トレーニング を実践している者としては、存在しておられるとしか申し上げようがないのです。
但し、それをひしひしと感じられるようになったのはほんの少し前からですが・・・・・。
蜜の甘さはなめた者にしか分からないのと同じように、存在しておられるという実感は、霊的トレーニング をやられておられない方には説明しようがありません。
何が申し上げたいか端的に表現しましょう。
存在するか存在しないか誰にも証明しようがないことを議論しても意味がないということを申し上げたいのです。
そして、神だけではなく、神霊などというあまりにも遠い存在のことを語るよりも、霊的トレーニング を行えば実感することができるであろう守護霊 の存在をまず知るべきだと僕は考えます。いや感じるべきという表現が正しいでしょう。
そもそも物質界では見えない聞こえない存在に対しては、感じるしかないのです。
人は実感しなければ分からないことがあります。
本気で知りたいと思われる方は、ご自身の霊的感性と自由意思に基づいて実感して下さい。
神 は存在する、存在しないと必死になって主張することになんの意味があるのでしょうか。
存在するかしないか分からないというのが、とても普通の感覚だと思います。
あまりにも遠い存在を思うよりも、守護霊 や指導霊、そして霊魂 というものについて知ることが、いつか神とは何かを知る一番の近道だと僕は思っています。
そして、信じる信じないという観点からであれば僕は神は存在すると信じています
契山館
、霊魂学
、霊的トレーニング
について更に詳しく知りたい方は、契山館が管理する以下のサイトをご覧頂ければと思います。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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