祖母が亡くなった日、職場でコロナ騒ぎがあり、濃厚接触者ではないけれど、少し不安はありました。


午後、県外から叔母2人が、ご夫婦で来ると…

どちらも高齢なので、今日は、ちょっと会うのは不安なので、私は時間をずらして訪問することに…


母には、もしもうつしたらごめん🙇‍♀️と謝りつつ…


夜、帰ってから次男は家にいたので一緒に。長男はまだ仕事でしたが、少し遅れて帰りに寄ってくれました。長男が号泣していたのはびっくりでした…

赤ちゃんの時から可愛がってもらってたからね。

次男は、涙を堪えて気丈に振る舞ってる感じでした。


祖母は自宅で亡くなったので、往診のお医者様に診断してもらい、看護師さんに身体や髪を綺麗にしてもらい、化粧もしてもらっていました。

その後は、母は、何もしておらず…


葬儀屋さんは連絡したの??と聞くと、した方がいいの?って…

そこからは、バタバタでした…

長男が車で来ていたので、次男を連れて先に帰ってもらいました。

どうしたらいいのかわからなくて…母は、明日でいいんじゃないなんて言っていましたが、父の葬儀の時にお世話になった葬儀屋さんにとりあえず相談してみることに。

すぐに来てくれると…

父の時は、病院で亡くなって、病院から移送するために、もうすぐに葬儀屋さんが駆けつけてくれて、いろいろ手配していただいたので、今回は連絡するタイミングがわかりませんでした…

でも、すぐに連絡するべきだったようです。

夜遅くだったのに、ドライアイス用意して、必要なもの持って来てくださり…

この時間じゃ、火葬場や神社の予約の確定はできないので、仮予約は入れて、明日朝一番に確認してくれると。

葬儀のことについては、父の時のこと、まだ覚えていたので、前回より落ち着いて話は聞けました。

お花の色、種類、供花…選ばなきゃいけなくて…

でも、おばあちゃんは、髪の毛も紫だったし、服も紫系が多かったので、お花は白に紫を入れてもらおうと母と決めました。

悲しくて涙が出るのに、冷静に考えている自分もいて…どこかで、私がしっかりしなきゃと言う思いもあったのかもしれない…


次の日の朝に用意しなきゃいけない、お膳のご飯とお団子。作り方を教わり、夜中のうちにお団子作って用意しました。

あぁ、父の時は、祖母に悟られないように、亡き骸は葬儀屋さんに預かってもらってたから、お膳も向こうで用意してくれていたんだ…そんなこと、思い出していました。


まさか、1年以内に葬儀の手配を2回もするなんて思ってもみませんでした😥


父の時は、緊急事態宣言ということもあり、母とうちと弟家族のみだったので、あまり気を遣わなかったのですが、今回は叔母たち家族も参列することになり、だいぶ気を遣いました…

供花の位置とか…玉串料とか…何か粗相があったら言われてしまいそうだったので…💦


でもなぁ…私、孫ですが…別居ですが…

と言う思いも抱きつつ…

祖母のために、母のために、頑張りました。

息子たちも、すごく協力的で、優しくて…大きくなったなぁと泣けました…


無事、葬儀も執り行う事ができました。



そのあとは、父との一年祭との絡み…

宮司さんと相談し、父の命日に、父の納骨と一年祭と開眼供養をする予定でしたが、それは延期して、祖母の五十日祭に合わせて全部やりましょうということになりました。

お墓を県外からこちらに移動したため、祖父の遺骨もまだ新しいお墓に納骨されておらず…

もしかして、おばあちゃん、おじいちゃんと一緒に入りたかったの?なんて思ってしまいました。

偶然なのでしょうが、祖父の命日と、祖母の亡くなった日付が同じ日だったんです。おまけに祖父と祖母の誕生日の日付も同じ数字。

どこまで仲良しなのでしょう…

きっと、運命の相手だったんだろうな…

そんな風に思いました。


先月末、祖母が亡くなりました。


仕事中に、職場に母から電話…

職場では、朝からコロナ騒ぎでバタバタしていたところで、なんだろう、そんな緊急なこと?

嫌な予感がしました。通常の連絡はLINEなのに…

電話に出ると、さっき、おばあちゃんが亡くなったと😨


えっ????

なんで???


2日前、胸が苦しくなって、いつも往診に来てくださるお医者さんに診てもらい、いつも持っているニトロでなんとか治まったと。

入院も提案されたけど、入院してしまったら面会も出来なくなる。母の姉妹にも相談して、在宅でみていこうと話し合ったらしい。

前日は痛みも落ち着いたようで、起き上がることもできたけれど、しばらく安静にするように言われて、トイレもダメと、オムツを使用することになったらしい。祖母は、それをとても嫌がり、起き上がって自分で行こうとして、何度も止められていたらしい。

その日の朝、オムツを交換して、前日あまりご飯を食べていなかったから、お粥でも食べる?と聞くと、食べると答えたので、作りに行って戻ってきたら、もう息を引き取っていたと…


私、その週明け、仕事が休みで、実家に顔出そうかなと思いつつ…でも、職場でコロナの陽性者が出てるし、濃厚接触者とかではないけれど、何かあったら嫌だから行くことはしませんでした…

そして、亡くなった日の数日後には、祖母のためにやってあげようと2ヶ月前からハンドマッサージ講習の予約を入れていて、覚えたら早速やってあげようと、ワクワクしてたところで…


なんで、あの時会いに行かなかったんだろう…なんで先月の講習会、無理にでも休みを取らなかったんだろう…前の月にも講習会やっていて、休暇願いを出そうとしたら、上司も不在の日だったので休みを取らず、次の月でもいいやと延ばしてしまったのでした…

あとの祭り…

後悔ばかり…


亡くなった原因は、狭心症とのことでした。

95歳…

100歳過ぎまでがんばろうよ〜って、みんなで話していたのに…


父の一年祭を目前にして、祖母が亡くなってしまうなんて…まさかの出来事でかなりのショックでした…


私は、初孫で、小さい頃はすごく可愛がってもらってました。

一番小さい時の記憶は、弟が生まれる時。私が3歳。母は里帰り出産で、私は祖母に預けられ、毎日、2人で面会に行きました。おかあさんといっしょのテレビ番組が終わると、準備をして、あぜ道を通ってバス停まで歩いて行き、バスに乗って病院に行きました。その時の情景、ものすごく鮮明に覚えてます。

祖母がいたから、寂しくなかったし、母の顔見たらすぐ、もう帰ろうと、あっさりしていたらしい。


祖父と祖母と3人で買い物に行った時、なぜかみつ豆の缶詰を買って欲しくて、大泣きして駄々をこねたことがありました。聞き分けの良かった子だったので、そういうことをしたことがなかったのに…駄々をこねてお店で泣いたのはその一度きり。どうしてそこまでして欲しかったのか、覚えてないのですが…白くて可愛い模様が書いてあったような覚えはあります。笑っ


思春期になり、母にわがままを押し付けて、叱られたこともあったな…


離婚してからしばらくは、なんとなく壁ができてしまった気がしてました…家のことも、私は他所の人間だからと言われたこともあって、寂しかった…

でも、ひ孫たちのことはすごく可愛がってくれて、連れて行くと嬉しそうにしてました。

ニャンコも好きで、時々連れて行くと、上手に抱いて、逃げようとするニャンコもガシッと力強く抱いて…ニャンコも観念して抱かれてると言う…笑っ


訛りも少しあって、〇〇なんしょって言い回し、好きだったな…


いつも、綺麗にしていて、お化粧品なんて高価なもの使っていて、髪も真っ白なところに、パープルのカラーを入れていつもお洒落でした。


もっともっと、いろんなこと話したかった…

昔のこと、聞きたかった…

いろんなことしてあげたかった…


そんな後悔ばかり…



亡き骸を見ていたら、不思議で仕方なかった。

寝ているようなのに、もう動かないの。

そこにいるのに、いないの。

祖母と私たちを隔てているものは何??

目の前にいるのに…


ちゃんと、ありがとうって言いたかった…

たくさんたくさん、可愛がってくれてありがとう

いろんなこと、教えてくれてありがとう

沢山の思い出をありがとう


あっという間に年も明けて、早くも2日目。


今年は喪中だから、控えめのお正月。




次男が生意気に、ノンアルビール🍺が飲みたいといい…

正月だから、まっいっかぁと、買ってあげてしまった〜笑っ

ちょっと分けてもらって、苦っと顔をしかめる母←ビール苦手、うまっとグビグビ飲む次男。のんべぇになりそうだ〜笑っ


ダラダラして、テレビ見て、ドラマに号泣したり、お笑い番組見て大笑いしたり、実家でピアノの練習に没頭したり…


お家で過ごすことに慣れ過ぎて、実家以外出かけたくなくなっている今日この頃。


こんな休みがずっと続けばいいのになぁ〜



昨年の目標、何一つ達成できず…

人間関係に悩まされ、体調不良の日も増えて、散々でした…

でも、家庭は、いろいろあっても楽しく笑いが絶えない日が多くて幸せだったな😊


今年は、天中殺にも入ってしまうので、特別なことはせず、平々凡々と暮らしていければいいかなぁ…



今年も、誰にとっても幸せいっぱいの年になりますように💕