【管理人注】
この記事は、管理人自身の頭の中にあるものをそのまま文章にした、完全な創作です。急になんだか書きたくなったので、文章を書く練習も兼ねて、SLUGGERあたりで執筆している、スポーツライターになったつもりでやってみました。実在の人物や団体などとは、一切関係ありません。あらかじめご了承ください。以下のような設定や世界観を前提に、読んでいただければ幸いです。
・舞台は2044年のロシア
・RPBL(Russian Premier Baseball League)という、16球団構成のプロリーグができている
・EUBL(オランダ・イタリア・サンマリノ・ドイツ・スペイン・チェコ・フランス・イギリス・スウェーデンの32クラブで結成される、ヨーロッパトップリーグ)に次ぐ欧州2番手リーグの扱い
・国内の競技人口は、約200人程度から5万人にまで増加
・同年のヨーロッパ選手権でオランダなどを倒し、翌年のWBC出場を決めた
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「彼らは、近年急速に力をつけている。ダークホースとして、十二分な警戒が必要だ」。今年のヨーロッパ選手権が始まる前、大会関係者の間では、確かにそんな声が何度も囁かれていた。おそらく誰一人として、彼らに対してリスペクトを欠いたまま、立ち向かった国はなかっただろう。そうであったにもかかわらず、ロシアが今大会で大陸最強のオランダをはじめ、数々の強豪国を立て続けに破ってみせたことは、やはり2044年度ヨーロッパ選手権における、最大のサプライズだったと言えるかもしれない。
特に、4‐3でオランダを破った1次リーグでの試合は、点数こそロースコアだったとはいえ、ロシアが武器とするパワーを存分に見せつけた試合となった。4得点は、すべて本塁打によるもの。3回裏、9番イリヤ・グラディシフ(モスクワ'29ers)が右翼席場外に叩き込んだ先制ソロは、推定140mは飛んだかというような超特大弾だった(もっとも、グラディシフは昨シーズン、国内リーグで33本塁打を放って、同ランク2位に入っているスラッガーで、この日9番に入ったのは戦術的な理由だったが)。
ロシア先発のミハイル・ブルーノ(天台マリナーズ/日本)が、オランダのデビッド・ベルカンプに、満塁から走者一掃の逆転二塁打を打たれ、1-3と逆転を許した直後の6回裏。二死一、三塁の場面から飛び出した、主砲キリル・ダヴィデンコ(AVGドラッシ・ブルノ/チェコ)の逆転3ランも、オランダの3番手エドウィン・ファンペルシーが投じた外角に逃げるスライダーを、逆らわずに右翼席へと運んだ、高い長打力と技術力に裏打ちされたものだ。一発の怖さという意味では、ロシアはたびたびその脅威を語られてきたものの、「飛ばす力ならドイツにも負けない」という事実を、プレーでもしっかりと証明してみせたわけだ。
忘れてはいけないのは、ロシアの強さが単に「最大瞬間風速」によるものではない、ということだ。冷涼な気候から、元来サッカーやウィンタースポーツ(特にアイスホッケー)が盛んだったロシアだが、ここ15年ほどは野球人気も高まり、かつて200人程度といわれた競技人口も、今や5万人を数えるほどになっている。若手育成のための組織も整備され、国内に2つあるアカデミー(ともにロシア野球・ソフトボール連盟の直轄運営だ)では、毎年合計120人ほどの有望株が、明日のスターを目指してトレーニングに励んでいる。
しかし、これらの事象それ自体は、競技人口の大幅な増加を除けば、特筆すべきドラスティックな変化ではない。もともと、ロシアはユース年代の強さには定評があった国であり、むしろ構造的な課題はシニア年代にあった。「ロシアにおける野球レベルが上がり、代表チームも強化されたのは、国内プロリーグであるRPBL(Russian Premier Baseball League)の存在が大きい」と、ロシア代表のエイドリアン・ドストエフスキー監督―彼は、2025年から2034年まで、ブレーブスやカージナルス、ツインズなどで先発左腕としてプレーした、ロシアが生んだMLBの元スターである―は語る。
2032年、ともに天然ガス事業で財を成した実業家、ニック・モロゾフとユーリ・ミハイロコフの2人を中心とするグループが立ち上げたRPBLは、今や16の加盟球団を有し、ヨーロッパトップリーグであるEUBLに、実力的にも次ぐ存在と目されている。ともに若い頃は現役選手で、ロシアの血を引く2人(モロゾフはペンシルベニア州クレアトン出身で、米露二重国籍のロシア系アメリカ人。ミハイロコフはモスクワ出身)は、当時祖国の野球界が抱えていた課題に、自分たちなりのやり方で立ち向かった。
「自分自身、選手をしていて感じていたことだが、当時のロシアには若い頃野球に打ち込むことはできても、大人になってまで続けられるほどの環境が整っていなかった」とミハイロコフは言う。「ロシア政府は、ソビエトの頃からの名残で、どうしても五輪で勝てる種目の強化に精力を注ぎがちで、それ以外にはあまり興味を持ってくれない。野球の場合、当時は五輪種目ですらなかったから、完全に蚊帳の外に置かれていたんだ。だから、環境整備もいつまでも進まず、結果として現役をやめてしまうか、もっと環境の充実した海外に出ていってしまう」
モロゾフは、リーグ立ち上げプロジェクトのモチベーションを「使命感」だと語る。「僕はカレッジまでずっと野球をやってきたけど、残念ながら選手としてプロにはなれなかった。でも、それまで野球にはずっと育ててもらってきたから、何か恩返しがしたかったんだ。それでどうしようかと考えた時に思い浮かんだのが、自分自身のルーツがある、ロシアの野球界に対する支援だった。幸い、若くして事業で成功できたおかげで、金は十分すぎるほど手元にあった。おそらく、全く仕事をしなくても、3回は人生をやり直せるくらいにね(笑)。だから、このお金は自分や多くの人の夢のために、有意義に使おうと思ったんだ」
もちろん、当初から彼らの計画が、常に順風満帆だったわけではない。一番の懸案は、プロ化に懐疑的な球団オーナーたちだった。「多くの球界関係者たちが、自分たちの計画に対しては半信半疑だった。当時、ロシアの国内リーグは、観客動員を増やすことに非常に苦労していたから、それもある意味当然だったとは思う。ただ、我々のチームには広告代理店の関係者もいて、多くの助言やアドバイスをもらっていたし、ずっとMLBインターナショナルと協力して、野球教室を開いたりもしていたから、成功できるという自信はあった。それに、彼らとてロシア野球の現状には、少なからず危機感を感じていたわけだしね」(ミハイロコフ)
奇しくも、彼らの計画を間接的に後押ししたのは、オランダだった。2028年のアムステルダム五輪から、野球とソフトボールの両者が、五輪種目として復活することになったためだ。それは、「五輪種目に注力する」という方針を、政府が堅持するロシアの野球界にとっては、凄まじい追い風だった。「もし、アムステルダム五輪で野球が復活していなかったら、RPBLの誕生も、ロシア野球の隆盛も、間違いなくもっと遅れていたはずだ」とモロゾフは言う。「それくらい、五輪種目復帰というのは、自分たちにとって大きなことだったんだよ」
彼らの計画は、大成功を収めることになった。RPBLは今や、年に3000万人を動員する人気プロスポーツリーグの1つとなり(寒冷地でありながら野球が盛んになったのは、ドーム球場の発展も大きい)、ロシアはもとより世界から―アメリカ、ベネズエラ、ドミニカ、オランダ、チェコ、スウェーデン、そして日本などからも―才能が集まるようになっている。経済的にも、世界をリードする存在になっているロシア。今後も、彼らは国際球界において、1つのカギを握る存在であり続けるのだろうか。
「もちろん、この先いつまでもそういられるかどうかは、誰にも分からない。ただ、少なくとも僕らは、野球の世界の中でのロシアが、1つの重要な存在であり続けてほしいと思っているし、そのためにベストを尽くすつもりさ。無論、「重要な存在」と言っても、一口で語るのは難しい。代表チームが勝ち続けることなのか、レベルの高い国内リーグを持ち続けることなのか、それともレベルの高い選手を、たくさん海外に送り出すことなのか。幸い、今はどれも両立できているけど、問題はこれからも続けられるかどうかだね。リーグの名誉コミッショナーとして、今後もロシア野球のために、しっかり自分なりのやり方で貢献していけたらと思っているよ」(モロゾフ)
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いかがでしたでしょうか。今回は、ロシア野球に焦点を当ててみました。最近はシニアが低迷してしまっているロシアではありますが、ユース年代は記事にもある通り、非常に伝統的に強い国の1つです。環境さえ整えば、非常に強い国になりうるだけのベースは持っているだけに、何とかモロゾフやミハイロコフのような、資金力と熱意を兼ね備えたパトロンが出てくればなぁ、と思っているところではありますね。
ちなみに、記事中に登場する「アムステルダム五輪」ですが、オランダは実際に、2028年五輪の招致活動を進めているそうで、開催都市こそアムステルダムにならない可能性もあるとはいえ、オランダでの五輪開催は全く根拠のない創作、というわけではありません(またクレアトンは、ロバート・デニーロ主演の映画「ディア―・ハンター」にも登場する、ロシア系移民たちが暮らす田舎町です)。ということは、本当にロシア野球が、オランダでの五輪をきっかけに発展する可能性が、微粒子レベルで存在する…?まぁ、本当にそうなるかどうかは、まだ誰にもわからないのが正直なところなんですが、そうなってくれたら嬉しいなぁ。