本日でこのネタもフィニッシュ!!気合を入れておっぱじめます。

ロスチャイルドというかユダヤ系の財閥が金融を牛耳れたのはロイターのような情報を支配したからです。結果的な情報ももちろん情報の操作も含めて利用出来る。その事によって連係プレイというか、要するにインサイダー取引のようなものによって儲ける。そして政府のポストにも人脈があり、ルールと情報とカネの流れを握っているので、その中でカネがまわり儲かるようになっている。その人脈は今でも残っている。

これは陰謀論を言っているのではありません。ネットワークが広がっているのでそういう風に見えるし、あそこもこっちも実はユダヤ系のカネが流れているという風に見えるので、何か大きな陰謀があってそれに基づいているかのように見えるけれど、それは逆であって、この世界でいかに上手く儲けるかという事の為に、それらの人脈が活用されている。彼らも予測してそれを外す事や、失敗する事は沢山ある。サブプライム崩壊だってバブルを起こしたのは仕組んでいますが、崩壊は彼らが仕掛けたわけではない。彼ら自身も制御出来なくなっている。ベルリンの壁崩壊にしろ、金融崩壊にしろ、予期していたわけでもなく、陰謀でもない。

しかしそういう事態に直面した時に、その人脈ネットワークを利用して、その危機を切り抜け、新たな草狩り場を見つけ出す。それがあまりにも規模が大きいので、世界中がそこに巻き込まれる。そして手際が鮮やかで、連係プレイが見えるので、大きな陰謀のように見える。

ユダヤ人が全部一つの一枚岩ってわけではないし、喧嘩もするし、貧富の差も激しい。彼らを一塊ととらえてしまうのは危険な発想です。ユダヤ人というのは文化人も多いし、知識人も多いので、人類に対して多大な貢献をしているのは間違いありません。そして歴史上、彼らが受けて来た扱いというのも酷いなんて甘っちょろい言い方では足りない。金融の仕事だって、そもそもキリスト教徒に無理矢理やらされたわけです。汚い商売はユダヤ人にやらせろと。

しかしこと現代の金融の分野というか、金儲けの分野に関しては、彼ら独自のネットワークが上手く作動して儲けているのが、どうしてもダーティに見えるし、その事によって世界中が迷惑を被る事もしばしば、ここにどうしても多くの人々は引っかかるので、ユダヤ人陰謀論なんかを言う人が多いのでしょう。そしてもちろんイスラエルのやり口もいくら何でもやり過ぎだろ、いい加減にしろよ、という風に、どうしてもいいイメージを悪いイメージが打ち消してしまいます。が、彼らを一つの塊と見てしまうのは危険な発想なので、止めた方がいいでしょう。

ちなみに新自由主義という言葉が蔑まれて、レーガンそして前大統領のブッシュ政権時代を揶揄されますけれど、アメリカの民主党政権時代、クリントン政権の時に最も規制緩和が進み、その後のバブルを生み出す舞台設定を着々と押し進めた。それらを支えていたのも、ルービンやロジャー・アルトマン、サマーズ、エマニュエル、そして日本でも有名で人気のあるアル・ゴアも例外ではない。

アル・ゴアの元をたどると、日本でもこれまた有名なフランクフルトのゲットーでマイヤーアムシェル・ロスチャイルドの隣に住んでいたジェイコブ・ヘンリー・シフに辿り着く。この人は日露戦争の資金をほぼ半分貸してくれた人です。明治維新の際に薩長を後押ししていたなんて話もある。これがリーマン・ブラザース・クーン・レーブ商会になって、そこのファミリーに娘を嫁がせたのがゴア家。

これをルービン的な行動作法から見つめ直すと、地球温暖化という問題をテーマにしたショッキングなインチキ塗れのプロパガンダ映画を作り、それで人々を煽動する。排出権取引を是非とも押し進めるべしと。そういう舞台を整えた所で、それを新たな金融商品として利用する。排出権取引というのはグリーン・ニューディールの要。今までなかったものに対して新たに所有権を定め、その所有権を売り買いするというデリバティブが確実に生まれる。構造的にはサブプライムや先物取引と同じ。実体のない権利を売り買いする事によって、新たな草狩り場として利用する。方向性としては確実にそっちへ行くでしょう。

しかしそういったマーケットメカニズムに組み込まないと、産業にインセンティブも生まれない。儲からなければ普及はしない。だから致し方ない側面もあるし、そういう世界のプラットフォームが出来つつあるのに、そこに闇雲に抗っても単に置いてけぼりを喰らってしまうので、非常に難しい問題でもある。

とは言うものの、二酸化炭素による温暖化仮説というのは、非常に危ない話でもある。元々の主旨はエネルギーの使用量を減らすという意味で、CO2を減らすという話だった。だからその事が正しいかどうかは別として、環境破壊を食い止めるという話であるのなら、悪い話ではないでしょう。大量生産大量消費でエネルギーを無尽蔵に使いまくる事によって汚染や公害や自然破壊が起こる。しかしそれがいつの間にかCO2削減の方に比重が乗っかってしまっている。

人為的に森を切り倒すとか、コンクリートを流し込むとか、そういった意味で環境破壊が起こっているのであって、CO2がその原因であるかのような言説はハッキリいえば怪しい話でもある。CO2は植物の成長を促進する効果があっても逆はない。そんな事は小学校で習う事です。

温暖化が起こっているかどうかは、わきにおいておきますが、そういった環境の闇雲な破壊を食い止めるという意味でのエネルギー消費量削減であれば、これは悪い話ではないでしょう。温暖化防止にしろ、CO2削減にしろ、そこに帰結するのなら別に構わない。

しかしCO2害悪説が暴走する事によって、それを金融商品化して売るなんて言う話ならまだ可愛い方ですが、CO2さえ削減出来ればいいのだ、という風に本末転倒が起こって来る。その一番の例が原発利権です。原発はあくまでもCO2温暖化仮説に基づけばCO2の排出量が少ないという話でしか無く、熱エネルギーの効率が悪く、多くを大気に放出している。これを使う事に正当性が生まれてしまっている。クリーンエネルギーとかエコって話になってしまう。勘弁してくれよって事です。

プラス言うまでもない事ですが、原発のリスクは回復不可能なリスクです。取り返しがつかない。便所がないという問題もある。廃棄物の処理の問題です。こういった問題も棚上げされたまま、なし崩し的に利権化されて話が進んでしまう。しかも日本ではわざと活断層の上に作っているのではないか?と思えるくらい、無計画に危険な所にどんどん作ってしまう。

そもそも原発の出発点は中曽根が1953年に初めて原子力予算というのを出した。そして54年に正力松太郎が公職追放から読売の社主に戻って来る。そこから読売新聞がテレビを利用してジャイアンツとプロレスと原発利権で弱小新聞からのしあがって行く。力道山とか、馬場とか猪木に国民が熱狂し、ミスター長嶋に夢と希望を託している背後で、原発利権の足固めが進んで行く。

正力はその後、富山県から衆議院議員になって、初代科学技術庁長官にまでなり、初代原子力委員長にまでなって、電力会社と結託し、北陸地方に原発を自らが持って行く(志賀原発が2基で石川県。敦賀が2基、美浜が3基、大飯が4基、高浜が4基と、これらは福井に集中している。興味深いのは富山には無い。現在稼働中の原発48基のうち、実に15基が北陸地方で稼働している)。正力はCIAのエージェント的な動きをしていて、ポダムというコードネームで動いていたというのが、アメリカの公文書で残っている。

この男は、戦前、警視庁官房主事として、悪名高い特高警察の生みの親であり、その親玉でもあった。米騒動の鎮圧や学園騒動の鎮圧を口実にしてデモクラティズムを徹底的に弾圧し、関東大震災に乗じて、共産主義者や社会主義者を指をさし、徹底的に弾圧した男です。許しがたいのは震災の際に、本来緊急時のデマゴギーを取り締まり秩序維持の責任者である立場の人間が、朝鮮人暴動の嘘を流布させて疑心暗鬼で煽り焚き付けて、弾圧、虐殺を誘発させた。無関係な半島の方々はもちろんの事、耳の不自由な方や方言で発音が若干違うというだけで、多くの日本人も酷い目に合う事になる。

その後転身して読売を買収して、軍部の手先となり、聖戦を煽り、当時最も売れていた朝日や毎日もより過激にそこに便乗し、ナチとの同盟を煽り、デタラメな虚報、情報隠匿、戦意高揚のプロパガンダを加熱させて行き、後戻り不能の大戦へ突っ走る世論を煽る。

その後貴族院議員になり、小磯内閣顧問に就任し、戦後はA級戦犯に指定されて巣鴨行き。占領軍との裏取引で死刑を真逃れ、戦後戻って来てからはCIAのエージェントとなって、親米プロパガンダの尖兵となる。当時、アイゼンハワーが原発の平和利用キャンペーンを唱えていたその矢先、ビキニ環礁の水爆実験での第五福竜丸事件によって、日本では反米反核運動が加熱する。これに頭を悩ませたCIAは正力を利用する。これが基本的に読売の立ち位置を形作っています。どんなときでも自民党擁護は必須、ナベツネが角栄に中曽根を総理にしてくれと土下座して頼んだという話もある。こう言った腐敗の連鎖が表沙汰になったらヤバいというわけです。

前大戦に突っ走った原因の一つにエネルギー供給を絶たれたというトラウマが残っている日本にとっては、エネルギーの生命線を確保しておくという安全保障という名の建て前は立派だけど、中身は腐敗堕落の構造であり、被爆国であり核を持てない日本にとって唯一核を手にする事が出来る利権です。原発人脈というのは薬害エイズの人脈と重なっている。一つの門閥として君臨している。鹿島建設がなぜ原発の受注を多く手がけているのか?中曽根や正力と姻戚関係にある。戦後の腐敗の連鎖がそこには見て取れる。木っ端役人権益でどうのこうのって問題じゃない。

原発に関しては読売はもちろん最前線で旗を振っていますが、基本的に大手メディアにとって電力会社は最大のスポンサー。NHKの内部にも電力会社の会長や、原子力産業会議の理事、原子力文化振興財団の理事なんかが、経営に深く関わっているので全く期待は出来ません。これでは基本的な問題点なんて出てくるわけが無い。原子力は安全!!と旗を振るわけです。それが最近のエコブームにも如実に現れています。

オール電化でエコなんて話になってしまう。そもそも発電所の時点で効率が悪いので、こんなものを導入してもエコでも何でも無い。効率も悪いし、環境破壊に加担しているのと同じです。石油ストーブを焚いた方がよっぽど自然に優しい。電気自動車なんてのも同じ。それがエコだって話になって自動車業界もそこに突っ込む。こんな事では環境保護もクソもない。カネもエネルギーも時間も無駄にしている。

これも富を増やす為の循環構造だと考えれば致し方ないとも言えますが、失敗したときの取り返しのつかなさという意味では、バブルで儲けて、暴落時に空売りを仕掛けて儲ける構造に似ていなくもない。ある意味、正常な経済活動というよりも、あるステークホルダーでカネを回す為の腐敗堕落の構造にしか見えない。当たり前ですが自由経済だと言ったって、そういうものは自由経済とは言いません。

いったん転がりだすと、誰もが根本的な問題を考えれば回復不能の不合理に対して、何ら答えが出ていないという事はわかっているのに、ブレーキを踏めなくなる。これは戦前から延々と繰り返される、この国の悪しき病癖です。裁判員制度なんかも始まりましたが、あんなもんは誰だって問題だらけだという事はわかっている。せめてもう少し延期するとか、もう少し議論を詰めて問題点を是正してからだって遅くはないのに、いったん転がりだすと、ステークホルダーと御用学者の後付け的な合理性調達によって、当初の志からするとかけ離れた醜い成れの果てになっても、もうブレーキは利かない。

日本的に言えば空気支配の構図と言えますし、いわゆる、アビリーンのパラドックス的パターンに陥る。仲間内数人で集まってあれこれ話していると、そのうちの一人が例えば海に行こう(アビリーンへ旅行に行こう)と言うとする。暑いとか諸々の条件が重なったりすると、別に行きたくないけれど、他のみんなは行きたいと思っているのかもしれないし、行きたいと言う奴がいるのだから、まあいいかと全員が思って、結果的に海へと行く。しかし全然楽しくなく、道中もクソ暑くて快適ではなかった。提案者も含めて本当は誰も行きたいとは思っていない。みんなが喜ぶのではないか?と提案し、他のみんなは行きたがっているかも知れないしと、みんなが賛成すると、楽しくもクソもない旅行をするはめになる。誰も行きたくなかったと知ったのは旅行が終わってから。

これは投資の世界なんかも同じで、株式投資は美人コンテストと言われるように、自分が美人だ(株価が上がる優良銘柄だ)と思ったかどうかではなくて、みんなが美人だと思ったものがコンテストで優勝出来る(株価が上がる)ような仕組みになっている。これはアビリーンのパラドックス的構造を生みやすい。みんなが不細工だ(インチキだ)と思っているのに、世間的には受けるだろう(買うだろうと)思えば、誰も可愛いとは思っていない(優良銘柄だなんて思ってない)にもかかわらず、暴走してしまう仕組みが内包されている。要するにバブルを生じやすい仕組みをそもそも構造的に抱えている。そこにルールと情報とカネを握っている連中が仕掛けるんだから、暴走させるのなんて簡単な話なのかもしれません。

例えばコンドルセの投票のパラドックス、どういう順番で人々が考え投票したかによって、結果がすべて分岐して来てしまうと言ったように、神頼み的偶発性にさらされてしまう。また、A>B>C、という順番の価値観のXさん。B>C>A、の順のYさん。C>A>B、の順のZさんの三人で投票するとする。そうするとそれぞれがA、B、C、とバラバラに結果が出るので答えが出ない。CよりAを好む人は一人に対して、AよりCを好む人は二人いる。BとCだと、Bが上なのが二人に対してAが一人。AとBだと、Aが二、Bが一。AとCではCなので、C>A>B>C>A>B>C>A>B・・・・・の堂々巡りで答えが出ない。これを政治的に解決するとなると、投票手続きの決定権を握っている側が結果を操作出来る事になってしまう。AとBを先ず選択させると、Aが勝つのでBという選択肢を排除する。次にAとCを選択させると、Cが勝つという具合に。Bをあらかじめ排除すれば、Cが必ず勝つ。このABCには何を当てはめてもよいわけで、政策の優先順位にしろ、政党の優先順位にしろ、恣意的に選択肢にスポットを当てる事によって、いくらでもコントロール出来てしまう。

もしくは、それを数学的に証明した、アローの順序合成の不可能性定理、選択肢が3つ以上ある場合、定義域の非限定性、全会一致性、無関係な選択対象からの独立性、非独裁性をすべて満たす、ソシアル・ウェルフェア・ファンクション、社会的厚生関数(反射性・完備性・推移性を満たす個人の選好順序から、反射性・完備性・推移性を満たす社会全体の選好順序を導く関数)を作ることはできない。要するに物差しが複数あり、ある種の物差しから合理的だと判断されるプライオリティが全部ずれて行く場合に、これを合成出来ない。そこから先は決断主義になってしまう。この事から導きだされる帰結は、決定性と民主主義は両立不可能な命題である事を証明してしまっている。

例えば原発は経済合理性から言うと合理的であるという意見がある。経済的安全保障の観点からの合理性やエネルギーの安全保障にフォーカスを当てて、それ以外の要素を考えなければ確かに合理的になる。アメリカの軍事力に依存するような石油化学エネルギー重視は日本の経済的安全保障の観点から不合理であると。それに対して原子力は、オーストラリアとかカナダと言ったような、日本と外交的に安定した関係を結んでいる国から、原材料を供給して貰って、それで発電をしている。それが多少コスト高であったとしても、エネルギーや経済的な安全保障の観点から言うと非常にいい事なんだという評価がある。

ただこの評価は、実際に災害が起こる可能性と起こった場合の規模がどれくらいでるのかを無視している。ウルリッヒ・ベック的に言えば、予測不能、計測不能、手当不能だという事が起こりうる。そうしたリスクを抱えるという事自体が、ベイズ統計的なというか、行動の指針になるような統計計算の対象になり難いぐらい規模の大きな災害になってしまう。

こう言った場合、経済的な合理性に、リスク計算出来ないような恐ろしい事が起こってしまう可能性についての評価を織り込んで、人は判断する事を迫られるわけですが、そこから先が非常に難しい事になってしまう。

日本人的特性からすると、嫌な事は考えないとか、現に上手く行っているので面倒くさい事は考えないでおこうとか、そうすれば嫌な目にあう前に逃げ切れるかもしれないとか、こう言った発想が出て来てしまう。

未来の事を考えるという合理的な目標を立てるとすると、こう言った発想は許容されないはずなんですが、、実際には子々孫々というよりも同時代を生きている我々の利益ということを言うのだったら、逃げ切り型の合理性というのはあり得てしまう。現にある年代から上の世代は丸っきり発想がこのパターンです。統治権力もそれしか頭にない。未来どころか、なんとしても目の前の選挙、天下り先、利権しか頭にない。

そうすると、そもそもスタートの時点で広い意味での合理性も無く、偏ったフォーカスの当て方によって無理矢理合理性を調達して、ブレーキも踏めずにいったん始めてしまったものだから、後付け的に合理的であるとせざるを得なくなってしまう。今更言えないというパターンに陥る。

金融バブルと構造は同じ。基本的にいつか天井をつけて暴落するという事はわかっている。にもかかわらず、格付け会社やエコノミスト達が後付け的に合理的説明をしてもっともらしさを調達する。そこでプレーヤー達は無意識的にしろ意識的にしろ、賭けをする。暴落まではいい思いが出来るわけだから、多分オレが買っている間は大丈夫なはずだと。結局、最後には痛い目にあう。

オレが生きている間には原発は事故らないと、原発への無関心は無意識的に暴落まではいい思いが出来るはずだと押し目買いをしているようなもの。みんなここまで投資して来ちゃったんだから、今更何を言っているのだ?儲かっているんだからいいじゃないか、みんなの飯の種にもなっているんだし、という風になってしまう。

危険の警鐘を鳴らすと同時に、今我々が乗っかっているゲームから、オルタナティブなゲームに移行出来るという道筋を、シンボリックに我々にわかりやすく理解出来るように示さないと、確かに危険かもしれないけれど、今まで大丈夫だったんだから、今まで暴落しなかったから、明日も多分大丈夫なはずだよ、っていう非合理だけれど、みんなが不安を抱えたまま社会を営む事のコストを考え、コスモロジーの安定という事から言うと、合理性のある心理的処理法になってしまう。実存的に満たされるという意味でもそうだろうし、俺が言ってもどうにもならねえし的な感覚もある。こういう構造に取り込まれてしまって、この社会はすでに回っている。そこに投げ出された個人は認知的協和理論的体験加工から逃れられなくなってしまう。

G20なんかで各国首脳が集まって、アメリカ以外の国は、もちろんアメリカもわかっているけれど、この金融システムが信用ならないという事はわかっている。そして世界中の人々もその事はわかっている。しかし首脳だけではなく世界中の人々が、こういう金融の仕組みは問題であるとわかっていながらも、相変わらずアメリカの大量消費に期待している。

これだけ大量に消費してくれる国というのは、アメリカ以外に今はまだない。BRICs諸国がもっと発展して行けばそれを飲み込む胃袋を持っているとは言えますが、現時点ではまだそこまでではない。

アメリカが回復してくれないと、日本も車が売れなくなっちゃうみたいな意識がある。アメリカのサブプライムや金融のバブルに対して文句を言いながらも、日本だって末端の労働者まで含めて、その構造にぶら下がって来た。それがはじけたから文句を言っているわけで、文句を言いながらも結局は頼っている。

アメリカ的な資本主義を市場原理主義とか、新自由主義と言ったような言い方でメッタクソに文句を言っている割には、派遣労働者を守れ、労働者の権利を守れと、何を言うのかと思えば企業に雇用を確保しろと言う。もちろんその企業は、製造業であり、どこが最大の顧客であるかと言えばアメリカ、この矛盾を理解していない人が多すぎます。

国家のバラマキも当然そういった人々の世論を利用して、製造業の大企業にエコだと言ってバラまく。需要する側であるアメリカ国内の景気復活を前提にして政策を打ち、人々は企業に文句を言っている。何を批判し、何を望んでいるのか?

アメリカの過剰消費に支えられて、世界中が恩恵を受けて来た。アメリカにも責任はあるけれど、そこに隷属して儲けてきた仕組みにも問題がある。ヘッジファンドとか、投資銀行だけの責任ではないのです。現にまだアメリカの経済復活を前提とした製造業優遇のバラマキ政策をこの国は続けている。

この構造というのは実際の所、一部の企業は儲かっても国民全てに恩恵などすでに無い状態であり、地域の空洞化の原因も作っている。そして末端の労働者の取り分などは僅かであり、用が無くなれば切り捨てられる。少子化の原因も、年金未払いの原因も全てここに問題がある。

しかしここから脱却する事など、この国の政府は何も考えてはいない。そしてそれに反対する日本の左派も結局は企業に雇用維持を言うという事がどういう事なのかわかっていない。それがアメリカ依存から抜けられない経済構造になっている。

戦争反対!アメリカ軍出て行け!!憲法9条護持!自衛隊反対!!軍隊はいらない!!という矛盾した要求を突き付けるのと全く同じ構造です。アメリカから自立したかったら、独力で安全保障を担う覚悟がなければ出来るわけがない。いざとなったらやり返すぜ!という意志がなければ平和は保てません。平和を祈れば平和になるわけではない。こういうお花畑が存在する限り、アメリカは常駐し続けて、日本がそれを負担し、その利権を一部の連中が回すという構造からは出る事が出来ない。

大企業の派遣切りを許すな!!と吹き上がっているという事は、アメリカのバブルを待ち、アメリカの過剰な消費に期待する事と同じです。それに対して市場原理主義と文句を言っても意味がない。かと言って外資が参入して来るとなると、これまた文句を言って後付け的にルールを変更して追い出す。何を望み何を要求しているのか?もはやそういうお花畑的言説を喚き散らす連中自身も、自分が何を言っている事になるのかすら理解出来ていない。

この状況を打破するには自立するしかない。富というのは必ずしもカネってわけではない。食うに困らなければ死ぬ事はないわけで、労働エネルギーが余っていて、耕作放置の土地があるわけだから、いくらでも打開策はある。国内で回る経済をある程度考えないと、いつまでも外需一辺倒では同じ事を繰り返すだけです。

さて、このブログの読者の方々からすれば、こんな面倒くさい話にお付き合い下さるのですから、リテラシーのある方々ばかりだろうと思いますので、こう言った話を聞いても、何ともないかもしれませんが、普通こう言った面倒な話は御免被りたいと思っている方々からすれば、なんかどうにもならなそうな構造だし、ややこしい話だし、可能性を限りなく感じる事の出来ない身も蓋もない話でもあるしという事で、こう言った話は敬遠されるような話だろうと思います。

まあそういう人がこういう面倒くさい文章を読む可能性は殆ど無いわけですが、もっとわかりやすく、もっとコンパクトに、出来れば数行で説明してくれて、選択肢を提示してくれた方がいいのでしょう。そういう感覚がある種、マスメディアのどうにもならない構造を生み出してもいる。こういう話は報じる事が出来ないだろうし、そんな単純な話でもないので、万人うけしない。こういう話をわかりやすく説明するとなると、もっと単純化し感情に訴えかけ、陰謀の類いや悪者を指差して終わってしまう。

いろんな所にとんでもない輩が跳梁跋扈しているのは間違いありませんが、全ての出発点は我々にあり、どういった未来を作り出すのかも我々にかかっている。民主主義や立憲主義が機能し、資本主義が機能したとしても問題は山積です。政権交代が起こったって、そう簡単にどうにかなるような構造ではない。しかしその構造を許しているのもやっぱり大本は我々にある。

この問題は我々の問題であるという事に向き合わないと何も始まりません。世界はあらかじめ決定されているわけではない。それでは、この話題はこれにてEND!!
前回の続きです。

ロンドンサミットでヘッジファンドの規制とか、タックスヘイブンの規制とかって話になりましたが、それが原因ではなくて、それはトカゲの尻尾の部分です。なぜスペキュレーションが暴走するのか?という根本的な問題に向き合っていません。

最初に書いておきますが、これから書く事はあくまでも陰謀論ではありません。黒幕が誰かという話がしたいわけでもない。自分は陰謀史観とか、黒幕説とかの類いの話は、基本的に全く信じていない人間です。あくまでも世界の金融がどういった力学によって動いているのかという事と、それによってどのような帰結が生じているのか、そしてそれを行なっている連中は何ものであるのか、そういう事を書くだけですので、そこらへんを勘違いされぬよう。

原油価格の高騰にしろ、資源の高騰にしろ、サブプライムバブルもそうで、早い話が先物取引に原因がある。70年代の先物市場というのは原油の先物市場も儲からなかった。第二次オイルショックになった頃から原油の先物市場が儲かるようになる。ソロスなんかが言うようにこの頃から金融バブルが始まる。

70年代は丁度シカゴの取引所に通貨先物が導入された時期で、その時は変動相場制に移行するという事で、為替の変動をヘッジする為に先物市場が必要になり、それをフリードマンが論文化して正当性を調達し、先物取引所が始まった。そこから一気に金融の仕組みが複雑化して来る。この構造を動かしている人脈がある。

問題はヘッジファンドではなく、その尻馬に全世界が乗っかって儲けていた。そういう事をわきにおいてヘッジファンドを悪者にし、スペキュレーションの対象である先物市場なんかを放置していれば意味がない。世界中のエコノミストもそこに乗っかって無責任に煽って来た。

先物の何がマズいのかというと、ヘッジとして利用するにしろ、それが投機であるにしろ、ある程度であれば、まあそれほど影響はないのでしょうけれど、穀物とか石油とか、我々の生活必需品に一部の人々がカネを賭けて、その事によって高騰したり暴落したりする。その度に世界中の人々が引きずられる。

先物で取引されている原油の量というのは世界の原油の僅か数%でしかないにもかかわらず、売り買いが交錯する事によって、何十倍にも金額やり取りされる。その事が価格形成の決定的な要因となってしまう。先物というのは、将来の権利をあらかじめ取引する行為です。様々な金融派生商品を生み出した大本も先物取引にある。サブプライムなんかが騒がれていますが、そういった実体からかけ離れた権利の売り買いという状況を生み出す事になるわけです。

先物などでヘッジをかける事によって、穀物価格や石油価格が上昇する。その事によって富を分け合えないような状況に陥り、人々がリヴァイアサンを待望する所に、武器を売りつける。これはある種のマッチポンプ。不安をネタに利権をあさる。富を増やすという事をクリアーしているかのように一見みえたとしても、その事によって不安が増幅され、逆にリヴァイアサンを要求するようになってしまったりしている。これではロックの前提もクソも無い。

80年代にはすでにウォール街も、これ以上投資する先がないと行き詰まっていた。90年代ベルリンの壁崩壊以降、共産主義が崩壊したのと同様に、それに対抗する資本主義も壁にぶち当たる。何よりアメリカはドルの正統性をいかにして維持するのか?という課題がのしかかっていた。

ニクソン・ショックで金との裏付けを無くすも、冷戦がある限りは西側は結束しなくちゃならないので、ドルを受け取ってくれて支えてくれた。しかし冷戦が終了してしまえば西側諸国がドルを中心にして結束しなきゃならない理由も消える。なのでアメリカはこの時点でかなり大きな壁にぶち当たる。

91年の湾岸戦争後、ジョージ・ソロスなんかも言っていた。資本主義が崩壊して壁にぶち当たっていると。これを背景にして、新たな市場開拓の意味でグローバル化が進み、WTO設立なんかが進む。細川内閣当時、実質小沢一郎もこれを無防備に受け入れる。

クリントン政権時代には規制緩和が進んで行き、今回の金融崩壊もヘッジファンドが縦横無尽に動き回れるような舞台設定をした事が原因です。そしてヘッジファンドが儲ける尻馬にさらに乗っかるマッチポンプ構造がある。グラス・スティーガル法を緩和した事が今回の原因になっている。

2000年にアメリカで先物取引の近代化法というのが制定されていて、店頭取引とか電子取引は当局の規制の外にするという話になった。規制緩和がなされている。そういう舞台設定が整っていたから、ヘッジファンドがそれを利用してプロフィット・マキシマムを目指すようになっている。

1929年10月24日の暗黒の木曜日から大恐慌が始まる。1920年代マフィアが台頭し、政治も腐敗し、ウォール街がロンドンから金融主権を奪い、株価がバブルを起こして、それが暴落するのが引き金になる。実体は会計不正だらけの酷い状況でした。全世界がその打撃を受け、ファシズムが台頭し、大戦にまで行き着く。

この大恐慌の教訓から30年代に、一般の投資とは無関係な人々まで苦境に叩き込んだので、グラス・スティーガル法というのが出来る。証券を管理して、無謀な投機が行なわれないように、不正が行われないようにと、銀行が証券を売る事を禁止した。JPモルガンを分割して、モルガンスタンレーが出来ると言ったように、銀行には一般の預金が入り、証券会社には投資目的の儲け目的でリスク覚悟のカネが入るというような済み分けを行なった。

これをぶっ壊したのがクリントン政権時代であり、その当時財務長官であったロバート・ルービン、財務副長官で後の財務長官であったローレンス・サマーズ、FRB議長のアラン・グリーンスパンなどがそれを推進する。本来であればウォール街を規制すべき金融当局の元締めである人達が、野放しにする舞台設定をする。

結果何が起こるのかというと、年金なんかも401kと言ったような、投資の方が儲かると言った煽りが加熱し、実際に株価が上昇している間は儲かる。そういう方向性に変える。商業銀行が証券を取り扱えるようにした。ハイリスクハイリターンなところへ大銀行のカネが流れるようになる。一般の投資とは無関係の人々が預けてあるカネまでが流れ込むような仕組みを作ってしまった。

ロバート・ルービンという人は70年代に先物を自由化したという前歴があって、その後ゴールドマンサックスの共同会長に収まって、それを利用して大儲けする。クリントン政権に入って、グラス・スティーガル法の緩和をやって、財務長官を退任後、シティ・グループに行ってサブプライムを売りまくる。結果は破綻。しかしガッポリ報酬と退職金をいただいている。まさにマッチポンプ。しかも誰も逮捕されない。

低所得で住宅なんて持てないような人々にカネを貸して、バブルを生み出す。住宅価格が上がり続けている間はみんなが儲かるような状態になる。住宅を持つ事によって資産が手に入るので、それを元にして車も買える。車を持つと、資産が増えたという事で、クレジットカードの上限が増える。元々ゼロだったものが、いろいろ買って行くうちにどんどん消費が出来るようになる。その事によって世界中が恩恵にあやかる事が出来る。アメリカにものを売れる。しかしそれはあくまでも住宅価格が上がり続けるという前提がなければ回らない。いったん下がり始めると、逆回転が始まって、世界中がそれによって大打撃を受ける。

グラス・スティーガル法の改正によって、銀行が預金で集めたカネを投機に回し、それによってサブプライムで住宅を買ったり、車を買ったりしたローンが、証券化されて投機に回るようになってしまった。壁を取っ払った事によって、ただ単に銀行のカネが投機に流れるというだけではなくて、その結果発生したあらゆるローンが、クレジットカードを使っても、それがどんどんまわって行く。これを食い止めていたのがグラス・スティーガル法で、ただ単に預金を守るというだけではなく、もの凄く意味のある規制だった。これを無効化した連中は責任を取っておらず、現状のオバマ政権でも脈々と受け継がれている。

貧しい人が家を持てて、それをみんなで証券化にしてシェアするというのは、ある意味画期的な仕組みのような気がしますが、これは到底維持出来ない前提に基づかないと回りません。しかしそれでもみんなが儲かると思っているうちは儲かるので、一見穴がないかのように感じるし、ある意味での再配分にもなっているような錯覚もありますが、この仕組みを利用してしこたま儲けて逃げ切っている連中がいる。

これもある意味では富を増やし続けるというロックの前提を担保するかのような錯覚もあるので、それでもいいではないかという気がしないでもないというのがくせ者です。戦前の大恐慌と同じで、健全な経済活動によってこれが回っているわけではないし、結果的に大不況を引き起こす引き金を引いている。自由経済は何をやってもいい自由ではない。自由が自由を掘り崩さないようにする為に、社会契約を結んで国家を形成している。これを野放しにしているどころか、ブーストさせているような権力者達には正当性はない。

国民に甘い夢を見させる事によって、人気を稼ぎ、戦争を翼賛させ、国家は肥大化している。サブプライムバブルが崩壊した事によって、逆に民主主義が機能して、オバマ政権が生まれている。オバマが仮に国家を肥大化させてしまう方向性に進むのだとしたら、その原因をマッチポンプ的に生み出しているわけだから、ロックの前提を担保するどころか逆ですので、こういう腐敗によって富を増やすというのは禁じ手です。戦前の大恐慌の教訓を学んでない。

日本では似たような話に、福井前日銀総裁と村上ファンドの関係とか、かんぽで騒がれているオリックスの宮内や、派遣業の奥谷禮子なんかが、政府の規制緩和を推進し、それを利用して儲けるという構造がありましたが、アメリカのマッチポンプの構造に比べたら可愛いもんです。

国際的なルールを作るような機関、WTO、世銀、IMFそういった所の総裁になるような人達の系譜を見て行くと、ルール自体がある人達にとって都合がいいように作られている。G20なんかで集まって何を話した所で、何も変わらない。金融のメカニズムは何一つ変える事は出来ない。

ルービンというのはロシア系のユダヤ人がよく名乗る名前、ラリー・サマーズがポール・サミュエルソンの甥っ子でユダヤ人、初代WTO事務局長のサザーランド、世銀総裁のウォルフェンソン、ウォルホウィッツ、ゼーリック、IMFの事務局長ドミニク・ストロス・カーン、こういった所の出自をたどれば、どういった人脈から出て来ているのかがわかる。

ガイトナー現財務長官も、そもそもニューヨーク連銀に引き上げたのは、リーマン・ブラザースの会長でニクソン政権での元商務長官ピーター・ピーターソンが連銀の人選の委員長の際に選んでいる。ピーター・ピーターソンという人はニクソンの商務長官退官後、ブラックストーン・グループを作って、ウォール街をのしあがって行く。この人がガイトナーを引き上げる。ガイトナー自身がどうかは定かではありませんが、奥さんはユダヤ人の有力なファミリー。そしてユダヤコネクションに引き上げられている。クリントン政権時代にバブルをどんどん起こして行く際、ルービン、サマーズの下で官僚のトップにつく。それからニューヨーク連銀総裁を経て、オバマ政権の財務長官に任命される。

オバマが駆使したインターネットを利用した集金システムを生み出したのはペニー・プリッツカー、この人はオバマの金庫番も勤めた。この人もプリッツカー家というユダヤ系の財閥。ハイアットホテルなんかを経営している有名な大富豪。

オバマが大統領選を戦った時に支えていた、金庫番を勤めたプリッツカーも、この人無くして再選は無いと言われている選挙参謀を務めたデイビット・アクセルロッドも、この辺はシカゴのユダヤ人。

アクセルロッドのお友達、ラーム・エマニュエル首席補佐官なんかもユダヤ人、この人は昨年のイスラエルが行ったガザ虐殺支持している。毎日自由に大統領に会えるのは首席補佐官であり、そういう人がオバマ政権の政策を動かせるポストについて大きな権力を握っている。彼もユダヤ系の投資銀行からやってきた人。この人がいるという事はパレスチナ問題には大きな不安がある。

このエマニュエルというのはクリントン政権時代に選挙の資金集めで活躍し、クリントンの中東和平で功績をあげ、ワッサースタイン・ペレラで金を稼いで、その後民主党の下院のNo.4になる。

こういう人達というのは、ある日突然実業界で成功を収めてのしあがって来るという話が非常に多い。そしてのしあがって来た人のバックには必ず「ある」ネットワークが見え隠れする。これはネットワークを利用してそうなったのかもしれませんが、結果的に見れば、そのネットワークからの人脈が主要なポストを占め、全体で巨大な陰謀を企んでいるように見えてしまう。ある意味、日本の芸能界に創価学会人脈が多いのと同じかもしれません。その事によって仕事が増えるので、それを利用する。しかしネットワーク側からしても、そういう人脈をいろんな所に潜り込ませる事が出来る。

ブッシュ政権の時に縁故資本主義と言われましたが、例えばハリバートン、チェイニーがパパブッシュ政権の時には国防長官をやっていて、その時にハリバートンにアメリカ軍の軍事活動のどの部分を民営化出来るのかという調査をやらせている。クリントンの民主党政権になった時に、そのままハリバートンに天下りして社長にまでなる。民営化が利権のパイプを作る。その後ブッシュジュニアが政権を取ったら、副大統領になり、イラク戦争が起こるとその復興事業をハリバートンが受注する。先代のブッシュ政権の時の副大統領だったクエールもサーベラスの副社長をやっていて、日本の青空銀行の取締役に入っている。

こういう構造を見るとよくユダヤの陰謀とかフリーメイソンってつまんない話になるんですが、人的ネットワークが世界の経済を動かしているというのはほぼ間違っていない。カネと権限と権利とがマッチポンプ的に回っている。特にアメリカはこういった人脈的なネットワークによって利権を回すという構図が見て取れる。

リボルビング・ドアというと聞こえはいいけれど、実体は政府に入って政策を実行した後、民間の会社に入ってその利権を丸ごとかっさらうような事を平気でやる。もしくは民間のコネクションを政府にいる間にバッチリ築いている。日本の天下りなんかはそれに比べたら可愛らしいセコいもんです。こう言った人脈がルールと情報とカネを握り、このネットワークを中心にして動く。

歴代二代の財務長官、ポールソンとルービンがゴールドマンサックスの元トップで、金融が暴走して危機に陥っている。これを日本人から見れば異常に見える。日本ではさすがにそこまで酷いことは起こらない。

今度のオバマでガイトナーが財務長官になるので変わるのかと思いきや、人脈的な出自を見ると、どうも期待は出来そうもない。何もする気もないだろうし、何もしていない。しかも、もう一人のオバマ政権での経済の要はサマーズ。この人もルービンの後の財務長官で、ルービンが長官だった時に副長官であったわけで、ユダヤ人脈から出て来たエリート中のエリート。

そうするとオバマ政権も、ユダヤ陰謀説があるとか言いたいわけではないですが、何かが変わるのかと言えば、オバマ自身は苦労をして誠実な人なのかもしれないけれど、要所要所にそういった人材が固めている。選挙自体は市民が支持をしてオバマが出て来たわけですが、結論から言うと、何も出来ない。彼を支えている人脈を見れば基本的にはその部分は何も変わらない。方向性は変わらない。腐敗した金融を正すという事をする要素は何もない。

表面的なヘッジファンド規制とか、タックスヘイブン規制とかそういう事は流れ的にやれても、本質的な舞台設定を変えるという事は期待出来ない。少なくともオバマがその気になったって、それを支えている人々には100%その気はない。大統領にはそれほど権限はない。国際舞台ではパフォーマンスとしてそれらしい事は言うだろうけれど、アメリカ国内を抜本的に変えるというのは無理な話。

逆に言うと、そういう人脈出自ではない人間をポストに固めても今度はシステム自体が動かない。そういう状況にアメリカは陥っている。金融を手放して、昔の状態に戻るなんて事はあり得ないし、その金融も、これまで通りである可能性の方が高い。

一応書いておきますが、自分は先物市場や金融全般に対して、規制をしろとか、悪いとか言いたいわけではありません。特に日本では規制なんかさせたって、どうせロクでもない役人の権益になるに決まっている。不況はより深刻になるでしょう。しかし現状我々が乗っかっている金融システムが何であるのかという事を書いているのです。金融というのは小が大に飲み込まれない為に、時にはレバレッジを利かせて逆転するチャンスを担保する為には極めて重要なものです。これがあるから貧しい国にもチャンスは生まれているわけだし、ある意味での機会の平等の調達システムであるとも言える。

しかしそれはそれとして重要ですが、現状組まれているシステムは、人為的に最適なシステムを組んでいるとか、公正さを担保する為とか、そういう事とは無関係に、必ず暴走を誘発させるような仕組みで回っている。しかもそれは合成の誤謬によってそうなっているのではなく、人為的且つ極めて作為的に仕組まれているものです。こういう舞台設定を整えられれば、それぞれの金融に携わるプレーヤーは、儲けを目の前にして、それをスルーするという事は出来難い。それがそのまま自分の成績や報酬に跳ね返るわけだから、止めようがない。儲かる口があるのに放置しておけば逆に無能な人間扱いされかねないのだから尚更です。

そもそも資本主義というのは人為的に仕組まれているものでもあるので、言ってしまえば全てフィクションと言えばフィクションと言えなくもない。だからそのフィクションを駆動させて富を増やすという事自体も人為的と言えば人為的です。しかしそれはあくまで社会契約を結ぶ為に必要である前提であるわけで、暴走によって社会が滅茶苦茶になれば、逆にリヴァイアサンの介入を国民が待望してしまう。これでは近代デモクラシーの前提にはなっていません。そうならないように社会契約を結んで国家を形成しているはずです。暴走を引き起こすようなメカニズムを放置する事は自由とは言わない。

国家権力者が無能であったり、何らかの設計ミスによって暴走を引き起こしてしまったという話であるのなら、それは致し方ない部分もあるでしょう。しかし現状のこう言った仕組みを設計している連中というのは、明らかに作為的にこう言った仕組みを作っているのが見え見えです。最初から破綻に追い込んで世界を疲弊させようとか思ってやっているわけではないにしろ、これを放置する事は自由とは言わない。これに介入する事は国家の横暴ではない。その事を認識する必要がある。

バブルを引き起こし、焼畑農業的に次から次へと草狩り場を移転する。こう言った構造というのは、その仕組みを組み込んでいる連中にも責任はもちろんありますが、それを待望している我々というのもある。そして余所事と決め込んでいたり、非難していたりしても、こう言った世界的なシステムが、自分達の小さな世界にも確実に影響を及ぼし、仕事が増えたり(もちろん仕事を失ったりも)、便利になったり、テクノロジーを享受したりと、無関係ではいられない仕組みにすでに我々は取り込まれている。

民主主義は、富が増え続ける事によって、初めて社会契約が成立し、国家を監視するというサイクルが回るというのが、ロックの説ですが、儲かりすぎるとこれまた自由を掘り崩す。無関心に支配され、儲かっている仕組みに依存してしまう。しかしこれが破綻して人々が追い込まれれば、リヴァイアサンの出現を引き起こす事になりかねない。すでに我々はバブルによって浮き沈みしながら循環して行くようなシステムに巻き込まれている。

次回でフィニッシュ・・・・のつもり。

つづく!!
前回の続きです。

近代デモクラシーを駆動させる前提条件である、労働によって富は増え続けるという、ロックの仮説は、前大戦の引き金ともなった大恐慌からの不況によって打ち砕かれます。自然状態であっても人々はそこそこ平和的に暮らせるという前提は、あくまでも労働によって富は増やせるというように、それが実際に可能かどうかは別として、少なくとも自由があり、可能性を感じる事が出来て、希望を持てて、実際に食うには困らない余裕があるレベルで初めて担保出来る自然状態です。

自然状態もそれが弱肉強食に陥らないのは、そういった余裕によって人々の善意を期待出来て、したがって共通前提や道徳もある程度機能し、社会性を獲得出来るようなメカニズムがあらかじめ社会に埋め込まれていたから、近代デモクラシーというのは作動出来た。ところが余裕を失ってしまえばロックの社会契約は機能しなくなり、ホッブズが提示したリヴァイアサンを国民が望むようになる。

余裕がなければ民主主義は機能しないという、ロックの前提を逆説的に証明する形となってしまったわけです。大恐慌以前にも定期的に不況と言うのはある程度の周期で訪れるものであったわけですが、ここまで世界的に徹底的に自由経済の壁にぶち当たったのは初めての事であり、その帰結があまりにも悲惨でした。ここから戦後のリベラリズムのトライアル&エラーが始まり、大恐慌の教訓によって経済学も形が変わって行きます。

富が増えなかったとしても民主主義が機能する為にはどうすればいいのか?という事を考える方向性、富は増え続けるという前提を維持する事を考える方向性。再配分であるにしろ、競争原理を組み込むにしろ、この両者の違いにはさほど意味はありません。富が増えなければ再配分は出来なくなり奪い合いと化しますし(今の日本がいい例です)、競争は弱肉強食に陥ります。なので民主主義をどのように機能させるのか?という問題と、経済をどのようにしてまわすのか?という問題を考える事が重要であって、再配分や競争はどちらが正しいのか?という問題ではありません。こんな事でやり合っているのは時間の無駄です。

格差があまりにも偏れば、スタートラインを再配分によって揃える機会の平等の担保の必要がありますし、スタートを揃えれば競争が必要になる。競争によって生まれた格差が社会を疲弊させてしまえば、結果平等による再配分によって再び機会の平等を担保する。機会の平等だけを重視すれば、格差が固定化し、結果の平等だけを重視すれば、社会に活力が無くなる。したがってどちらが正しいかという問題ではなく、今必要なのはどちらか?という問題でしかない。

重要なのは、いかに富を増やすのか?=ロックの前提を担保するのか?と、いかに民主主義を機能させるのか?=最悪ロックの前提が壊れた時にどうするのか?という問題です。残念ながら日本ではその事を理解出来ていません。憲法のロックの社会契約が機能しないのも当然なのです。

それ以前の問題として、今この国では経済を復活させるためと称して、バラマキが行なわれていますが、これは何の根拠もないただの無駄遣いにすぎません。金で票を買う最低の政策だと言える。しかも効果はない。変動相場制では効果がないという事は常識ですし、ケインズだって金利が2%以下では意味がない、流動性の罠に陥ると言っています。政府の政策には何の正当性も無い。かと言って、この不況時に金利を上げるという選択も出来難い選択であり、統治権力者どもも何をしたら景気回復するのかもわかっていないでしょうし、そもそも景気を回復させる気なんてハナっから無い。頭にあるのは利権だけでしょう。

しかも日本は「ハーベイ・ロードの仮定」は成り立ちません。ケインズの説は役人は無欲で正しい判断が出来ると仮定した上での仮説であって、政府が無能で私利私欲しか頭になければただの無駄遣いにしかなりえない。

ケインズは経済活動に政府が積極的に関与せよとは言いましたが、それも程度問題であり、あくまでも資本主義経済である事が前提で、ただ単に関与しまくれば経済の自由は消えて、社会主義国家になってしまうとケインズ自身が言っています。自民党のバラマキ政策である公共投資先は民間企業というよりも政府の下請け企業であり、役人の利権であり、中間搾取者やステークホルダーへの配分ばかりです。末端に届くまでに殆どが中抜きされてしまう。現に自民党のクズ共が押し進める補正予算も半分近くが役人へのバラマキです。これでは自由経済とは言えない。資本主義とは言えません。再配分にもなっていない。再配分か?競争か?という話は、あくまでも資本主義国家であってこそ意味のある議論です。

ケインズの説だけではなく、経済学というのは基本的に資本主義経済を論じたものですので(マル経も例外ではありません)、資本主義経済でなければ、どんな立派な経済学に基づいたって何をやっても無駄なのです。景気がよくなるわけなどない。日本は戦前の転換点以降、基本的に社会主義、共産主義国家です。戦前の軍国主義というのも早い話が全体主義的社会主義国家。古典派経済学的な規制緩和や政府の役割を小さくするにしろ、ケインズ的な有効需要の創出にしろ、経済学者がああだこうだと論じて、こうするべきだとかああするべきだとかいくら議論したって、仮にどちらかが正しいとしたって、金利を適切にコントロールしたって、資本主義国家じゃないんだから無意味です。

この場合、北欧なんかを例にとって社会主義国家の正当性を主張するバカがいますけれど、そういった国は日本なんかよりもはるかに自由経済、資本主義を体現しています。アメリカなんかよりもよっぽど資本主義を機能させている。政府も透明化されているし、払った税金はキッチリと国民にリターンとなってかえって来る。金の流れや政策決定がブラックボックスで見えず、払った税金をネコババしているような国とは根本的に次元が違う。

資本主義がなぜ駆動しないのかと言えば、民主主義が正常に機能していないからです。ロックの社会契約説では、自然状態である自然人は労働で富を増やす事によって、そこそこ争わずに平和に暮らしている。が、どうしても調停が必要な場面も出てくるので社会契約によって国家や社会を人々が形成する。したがって人間の富の所有権は国家成立以前からある。だから所有権を侵害する権利は国家にはない。勝手に課税してはならない。となるわけですが、この事から導きだされる結論は、経済とは国家とは関係なく発展するという事です。ロックの自然状態では人間はそれぞれ労働によって富を増やし、自由に経済活動を行っていた。つまり利潤の追求をしていた。したがって国家が出来ても経済の仕組みに干渉する必要などない。自然状態の時と同じようにしていれば、経済はそれ自体で順調に発展して行くのだと。

これを出発点として、国家は余計な事をするな、レッセフェール(自由放任)にしておけば神の見えざる手によって上手く行くと、アダム・スミスが国富論を書き、古典派経済学が生まれたわけで、その古典派経済学があったから、経済活動に政府が積極的に関与せよというケインズの理論も生まれた。ケインズの理論が生まれたから、古典派の流れを汲むフリードマン的なシカゴ学派が盛り返す、と言ったように、全ての出発点はロックの社会契約説があってこそです。民主主義の精神なくしては資本主義も機能しない。憲法にロックの社会契約説の精神が書かれていたって、憲法が機能していないのだから意味がない。憲法9条を守るかどうかなんて話は下らないどうでもいい話です。憲法がなんであるのかを理解して、立憲主義を機能させていないから、景気も回復しないし、経済も上手く行かない。無原則で海外に軍隊は出してしまうし、マスコミは翼賛体制だし、まさに前大戦前夜と化しているわけです。全ての出発点はそこにある。

民主主義にしろ、資本主義にしろ、予定説の神によって勤勉さを獲得し、神の前での平等によって作動する代物なんですが、それらの代替物となった日本の歴史の蓄積物はすでに機能していない。戦後唯一残っているのがロックの社会契約説に基づいた憲法です。これが機能していないのが大問題なのです。まあこれを機能させる為にも予定説は重要な鍵なんですけれど、戦後の我々はその事にあまりにも鈍感です。その事に気付かないと、何も始まりません。

書くまでもなく読んでる方々はわかると思いますが、資本主義や民主主義や立憲主義が善いとか言っているのではありませんよ。みんなでそんなもの辞めちまえと思うのならしょうがない。ただ現状の日本は資本主義を装い、民主主義を謳い、憲法を掲げている。それらが全然機能していない理由を書いているのです。辞めたけりゃ辞めればいい事ですが、現状のプラットフォームで上手く行かないのはそこに問題があり、それらを機能させたらすべてOKってわけじゃない。あくまでもスタートラインに過ぎません。それを機能させる事が出来るかどうかはあくまでも我々国民にかかっている。そして機能させたとしても、そこから先も我々国民にかかっている。

まあ日本政府は国民の富を増やすという事を基本的に考えていない、というか放っといてくれるならまだしも、いかにしてネコババするかしか考えていない国なので、論外なのですが、憲法や民主主義を機能させ、資本主義を機能させたとしても、富が増えないような状況に陥る事があり得ます(戦後の日本がある時期まで富が増え続けたのは地理的条件と戦争で人がいっぱい死んでインフラが根こそぎぶっ壊れたからです。成長の余地があれば資本主義国家でなくとも成長する事は出来るでしょう。中国なんかは民主主義ではありませんけれど、資本主義は日本なんかよりはよっぽどまともに機能している)。そうなるとロックの社会契約説は機能不全に陥り、国家がリヴァイアサン化してしまう。

なのでそれを回避する為に経済学が考えられて、経済成長を必要とする。経済成長不要論を唱える識者は理想を言うのは自由ですが、であればどうやって国家の肥大化を防止する安全装置を組み込むのかを提示しないと、経済成長がなぜ必要なのかを封じ込める事は出来ない。戦争反対を叫ぶのなら尚更です。

日本では困った事に、戦争反対!憲法9条護持!!とか叫んでいる人に限って、経済成長を害悪のように言う人がいたりする。国家の横暴を叫んでいる割には、国家に何とかしろと吹き上がる。全ての出発点は憲法の文面を守る事ではなく、機能させる事です。中身が多少変わったって立憲主義や民主主義を手放さなければどうって事はない。憲法の精神であるロックの社会契約を機能させる富は労働によって増え続けるという前提条件を整える事です。そしてその前提が壊れた際の安全装置を考える事。再配分だ!!競争だ!!という鬩ぎあいは、経済成長とは関係ありません。配分の調整の問題です。配分するには配分するものがないと配分出来ない。もしくは配分が上手く調整出来ない。

ロックの社会契約によって民主主義と資本主義はスタートし、資本主義が自己増殖する事によって、民主主義を補完し、民主主義が機能する事によってより資本主義を補完する。こういう循環構造で回っているのが近代社会です。一見この自己増殖機能というのが、何となくインチキくさいというか、アメリカ的な資本主義、サブプライムなんかに行き着くような嫌な響きを感じる事でしょう。しかしそれが我々が生きている土台でもある。フィクションなのは当たり前ですし、自己増殖をストップさせてしまったが故に、奪い合いにになり、国家が肥大化し、悲劇を体験した。

こういうスキームがインチキだと言っても、それでは王様が統治する方がいいのかと言えば、それが嫌だから近代のスキームが生まれているわけです。日本では王様というか将軍様が統治していても、それほど酷い目にあったわけではないので、その頃がマシだと思う人もいるのかもしれませんが、ならば現状を見ろと言いたい。王様気取りの無能な統治権力者のやりたい放題、税金をまるで自分達の金であるかのように湯水の如く使い、国民益なんて微塵も考えちゃいない。利権、腐敗、堕落のオンパレード、逃げ切る事しか頭にない。優遇されるのは一部のステークホルダーという特権階級であり、機会の平等もなければ結果平等もない。我々は今まさに無能な王権によってボロクソにされているではないですか。

民主党は頼りない?こういう言葉をよく聞きますが、これはいかにも日本人のメンタリティを表しています。この期におよんで統治権力を頼るつもりなのか?という事です。自民党という王権を倒して、民主党という王権を選ぶ政権交代では意味がありません。現状の統治権力に対して拒否権(政権交代)を行使し、市民の手に主権を取り戻し、近代デモクラシーを機能させ、憲法を機能させ、資本主義を駆動させない事には、王権から主権を取り戻す事は出来ない。その為に政権交代が必要なだけで、民主党という新たなご主人様にお任せするのでは何も変わらない。現状の統治権力もろとも、このお任せ意識を葬り去る必要がある。

幸い本当にやれるかどうかは知りませんが、民主党は一応、市民政治を謳っている。市民政治を謳っている割には、随分内向きな党首選でしたけれど、徹底的に我々がチェックして、せめて余計な事はさせない。我々の金を無駄にさせない。それがなければ、この国に明日はないでしょう。

成長しなくとも奪い合いに陥らないような方向性を考えるというのは、よくこのブログでもネタにしています。戦後ロックの前提が機能しなくなる事をどう考えるのかという問題が様々に思考されて来た。

オバマ政権なんかもそうですが、第三の道的な、余裕が無くなっても奪い合いに陥らないように、社会に投資して、人々に自発性や市民性、そして社会性を埋め込むような仕組みを盛り込む、社会を自立させ国家権力に依存しなくても済むように、内需中心の自立した経済圏で回るような、最低限、食って行くのには困らないような循環構造とセーフティネット、社会の側から社会性を埋め込まれ、教育を徹底的に普及させて、教育によって一人前の自立した思考力を持てるような人間に育てるような仕組みを盛り込む。

現代社会は、何も富を増やすという事が、カネや消費という事だけを表すわけではありませんので、食べる分を十分に確保出来るという事も重要な要素ですし、現代社会はカネやモノだけが人々の幸福を満たすのかというと、食って行ければ価値観が多様化しているので、いろんな意味で富を増やすという感覚はあり得るはずですし。それは映画を見る事でもあるだろうし、好きな人と一緒にいる事かもしれないし、おいしい食べ物を食べる事かもしれないし、きれいな景色を見る事かもしれないし、アイドルに熱狂する事かもしれないし、いろんな可能性があり得る。

なるべく小さい単位の地域に分権して、それぞれがグローバル化のような波によって簡単にスポイルされないような、自立した経済圏で回せるようにする。単位がばらけていれば仮にリヴァイアサンを望んだとしても、国家規模の怪物にはなり難くなる。

しかしただこういう方向性に進むとなると、土地への執着が起こり、ロックがそこから引き離す事によって近代化を遂げたベースが壊れてしまいます。こういうベースを整えた上で、グローバル化に抗うのではなくて、グローバル化にさおさしながら、もちろんそれによってある程度の経済成長を遂げながら、グローバル化故の問題点にコミットし、グローバル化であるが故に利用出来る連帯構築し問題解決の糸口とする。

等々、いちいち名前を出して誰々がこう言ったと書くのは面倒なので、ざっと大雑把に現状の対応策を合わせ技的に書いたわけですが、当たり前ですがこの国の統治権力には全くこう言った発想がありません。こういう土台なしに無前提にグローバル化を受け入れて、経済成長に勤しめば、空洞化してスッカラカンになってしまいます。すでにこの国はそうなっていますが。

そしてどうやって富を増やすのかの実質的な部分、要するにどうやっておカネを儲けるのかですが、サブプライムの崩壊以降、これが今問題点にぶち当っている。金融を全否定するような言い方は自分はあまり好きではありません。その恩恵を受けていない人はおそらくいないからです。彼らが回しているカネも人々が汗水たらして働いたカネを運用しているわけで、自分は全然関係ないと思っていても、今の世界経済はそれを中心に回ってしまっている。その事によって、景気の恩恵にあやかる事もあるし、不況で嫌な思いをする事もある。いずれにしても無関係というわけにはいかない。まあ日本では不況続きでロクな事が無いのかもしれませんが。

食って行けるような自立した経済圏を回すと言ったって、やっぱり我々は現代社会に生きているわけで、いろいろ欲望してしまう。畑を耕して食い扶持を確保するだけで満足しているのなら、人間はテクノロジーなんて編み出していません。文化も生まれていないでしょう。食って行くのを担保出来たとしても、それだけでは満足出来ない。それに外貨も稼がないとどんどん社会全体としては貧しくなってしまう。今の日本人にそういう選択肢が取れるのか?と言えば取れる人ももちろんいるでしょうけれど、全体としてそうするというのは不可能でしょう。というかいったんある程度の水準で、欲望を増幅してしまった現代人にはそういう選択は取り難いはずです。

高度成長が終わって生活必需品も含めて耐久財が飽和して来ると、資本利潤率が減って来る。高度成長が見込めないので海外に生産拠点を移し、グローバル化が進展して行く。そうなると製造業での儲けは非常に薄くなって来る。トヨタだって景気がよくても利益は非常に少ない。

この状況では利潤率を上げてくれるものと言えば、金融しかなくなる。アメリカは70年代以降からそういう方向性に舵を取る。その代わり産業は空洞化する、これは資本主義の今現在向き合っている問題であるとも言える。富を増やすという事を考えると、金融を闇雲に否定するのもどうかと思う。ただそれは問題がないと言いたいわけではありません。問題はありありです。

アメリカなんかが典型なように、富を増やそうとする振る舞いが、国内の産業を回すだけでは上手く行かなくなり、他所の国にとっての迷惑になる場合が生じて来ます。これは即ち背後にはアメリカの暴力能力による脅しとセットで法律を盾にして自由化を押し付ける。バブルを起こす事で儲けて、そこを食い荒らした後、新たな草狩り場を求めて再びバブルを起こすという事を繰り返している。

ある意味アメリカ国内の産業が回らないので、国家が肥大化し、他所に迷惑をかけているとも言えます。なので自由経済を押し進めるにしても、単に他の国を貧しくして奪い合いになってしまっては、全体として富が増えていないので、富が移動しているだけだとも言える。これでは意味がない。そんなもんに無前提に隷属していては、国内は益々疲弊してしまう。

ただそれによって奪っている側からすると国内経済が上手く行っているように、ロックの前提を担保出来ているかのように錯覚してしまう。日本もなんだかんだで奪っている側にまだいますので鈍感なのかもしれません。しかし行き着く先は今回のサブプライム問題なんかが典型です。

とは言っても、これはそんなに単純な話ではありません。市場原理主義とか、新自由主義と言った類いの言葉が蔑みや過ちの象徴のように叫ばれる昨今です。ヘッジファンドなんかが問題視され、そこだけを悪者扱いするような風潮がありますが、そういう所がインチキ錬金術で儲けているとしても、その構造にぶら下がって日本の経済も回っている。その恩恵を受けてきたから、そこがポシャったら日本経済までもというか、世界経済が急激にしぼんでしまう。そしてその構造にぶら下がって経済を回すという体質改善は全く進まないし、進む気もない。

アメリカは絶えずロックの前提を整えようと、資本主義を駆使し、様々な金の自己増殖スキームを編み出していますけれど、その事を問題視するのであれば、どうすれば経済が成長するのか、もしくは成長しなくとも奪い合いにならないのかを考える必要があります。自己増殖スキームと金融腐敗を一緒くたにしているような感覚も問題かもしれません。


戦前の大恐慌の引き金は、金融腐敗が原因です。今回のサブプライムでも金融危機は確かに存在しますが、この原因は金融腐敗であります。自由にやらせておいたら上手く行くとはロックも言っていない。自由は重要だけど、中には犯罪を犯す人間や人のものを羨ましがる人間が出て来る。だからその為に国家を形成している。自由経済とは犯罪や腐敗をする事までも自由だと言っているわけではありません。だから当然その意味では国家が介入する必要がある。自由と言っても自由を掘り崩さない為に、政府がある。つまり自己増殖でも錬金術でも富を増やそうとする方向性は間違っちゃいない。リヴァイアサンが統治するよりはマシです。しかしだからと言って何をやっても自由というわけではない。その事が問題なのであって、市場や経済成長が問題なのではない。

金融テクノロジーを駆使して自己増殖スキームを生み出す事自体が犯罪ってわけではないし、それを行なっていた奴が犯罪者ってわけではない。それを言えばそういうスキームにあやかって経済が回っている国が世界各国にあり、みんなその構造に乗っかって来た。そういうスキームなしには経済成長出来ない構造に陥っている状況に先ず問題がある。しかしそのスキームを悪用していた連中は間違いなくいる。それは問題です。

最後にその辺の救いの無い話を書きますので問題を認識しましょう。

つづく!!