前回の続きです。


被告の髪の毛からヒ素が検出された事を証拠の一つとして重要視していますが、これもそれだけ聞くと怪しい話ですが、どうも不可解で合理的な疑いを差し挟む余地がある。

被告は10月に逮捕されて、逮捕された当時に身体検査として髪の毛を切られている。その際4カ所から髪の毛を採取している。それを12月に鑑定に出す。これもスプリングエイトという機械を使って鑑定をし、亜ヒ酸が発見されたとなる。

しかしこれが不可思議で、発見された場所というのが16センチほどあるサンプルの髪の毛全体に付着していたというわけではない。事件があったのが7月な訳だから切断面から4.8センチの所に付着していたという話だけ聞くとそりゃそうだと思うのですが、不思議なのはその一点に付着していたというだけで、そこから先全体に付着していたわけではない。髪の毛は一本だけ生えているわけじゃなくて密集しているわけだから、普通であれば先っぽにも付着するだろうし、その間にも付着しそうなものですが、切断面から4.8センチの所に一点だけ付着している。

しかもいったんヒ素が髪の毛にくっつくと化学反応を起こしてしまいその跡は消えない。当然外から付着しているわけだから、その一点だけに付着させるにはどうやればそれが出来るのか?不可解極まりない。そういう不可解さは一切無視して、付着していたという事だけを持って証拠とし、バカマスコミもこれまた垂れ流す。普通そういう証拠として不可思議であるものに対しては、検査の結果を疑いそうなものですが、それが証拠になっちゃうわけですから恐ろしい国です。

被告がヒ素を使ってかつて人を殺そうとしたというのも、その殺そうとした相手は夫であったり、居候の人であったりという話なんですが、夫に対して失敗はするもののヒ素入りの葛湯を飲ませて殺して保険金を取ろうとしたとか、同じく居候の人に対して牛丼やうどんの中にヒ素を混入させて殺そうとしたとか、殺人をやろうとする人だから今回のカレー事件もやっているに違いないというわけです。

しかしそれが本当だと仮にするのなら、それは保険金目当ての事であって、カレー事件は検察ですら保険金目当てではないと言っている。誰が食べて誰が死ぬのかあらかじめわかりようも無いわけだから出来るわけが無い。

カネの為に人を殺しかねない人であるのなら、かえってカレー事件のような事を起こすような何の得にもならない事をする理由にはならない。反対証拠になる。悪事を働いてカネを儲けていたのがカネにもならない事件で全部バレてしまいかねないわけですから。これを理由にしてカレー事件の犯人だというのは普通に考えれば無理がある。他に悪い事をやっているからこっちも有罪に決まっているというのでは暗黒裁判です。

しかも葛湯を飲まして旦那を殺そうとしたという話も、実は旦那さんが自分で飲んだと自分で言っている。被告が入れたという証拠は何一つ無い。何で彼女が入れたという話になっているのかと言えば、居候の人の証言で旦那さんがその事によって病院に入院する。その見舞いに来た時に旦那さんにたいして被告が「早く死んじゃえ」と言ったという証言が理由になっているわけです。普通長い付き合いの夫婦であればそういう罵倒的な言葉も愛情表現であったりする事もあるわけで、これで殺意があったなんて言ったら誰でもしょっぴいて犯罪者に仕立て上げる事が出来るでしょう。

牛丼の話も被告に牛丼を作ってもらってそれを食ったらおかしくなったというだけの話。入れた所を見たわけでもなければ、これは病院にすら行っていない。うどんも同じ。証拠としてはあまりにも弱過ぎる。

この居候だった人というのは警察の宿舎の中で4ヶ月間寝泊まりして、生活の面倒を見てもらっている。その中で出て来た調書。

最初被告が逮捕されたのもこの一連の保険金詐欺事件、殺人未遂事件で逮捕される。カレー事件というのは一番最後にくっついた罪状。旦那と二人で逮捕されて、カレー事件になった段階で彼女の単独犯という事になる。旦那は詐欺で有罪。類似の事件とは言うけれど、目的は全く違う。類似事件といわれているものも被告が有罪だと言うにはあまりにも脆弱なものでしかない。

この葛湯事件の真相は旦那さん曰く、被告である奥さんの母親が平成8年に亡くなった。その時の保険金が1億4千万ほど被告が受取人で入る。旦那さんはその保険金を金庫から拝借して競輪に注ぎ込んで3、4千万使ってしまう。それが奥さんにバレて母親の形見に当るおカネをギャンブルに使ってしまったという事で、滅茶苦茶怒られて喧嘩になる。

その時に旦那さんが自分の体を張って詐欺を働こうと考える。そのカネを返せばいいだろうと。そして自分でヒ素を飲んで入院する。当然妻である被告の夫に対する殺人未遂などあるわけも無いと、旦那さんが自分でそう言っている。

しかしその言い分は家族の言い分で妻を擁護するための虚偽の証言であるという事で一蹴される。

この夫婦は昭和63年から保険金詐欺事件を繰り返して来た詐欺集団の人達で、言わばその道のプロ達。そのプロが自分の家がシロアリ駆除の仕事であるという事は周知の事実で、しかも自分の家の僅か5メートルの目と鼻の先で行なわれたお祭りのカレー鍋に、カネが儲かるわけでも何でも無いのにわざわざヒ素を使って無差別殺人のような事を行なえば、どうなるかは誰にでもわかる。バレるに決まっている。先ず一番最初に疑われる。

しかも近所での評判も悪く、ガラも悪い夫婦、そして当然疑われて捜査されれば、何やら怪しい不自然な保険金にまつわる詐欺と思わしきような振る舞いが見られるとなるに決まっている。何も得する事は無い自滅行為です。普通の判断力があれば、そんな事は簡単にわかる話。

しかしこれが検察や裁判所の解釈になると、疑わしき状況証拠はある。しかし動機が不明。というか普通にこういう前歴を読めばやらない事の証明を強化するような話のような気がするけれど、繰り返し詐欺事件を働いているうちに、つまり旦那さんや居候を殺そうとして保険金をせしめようとしているうちに、感覚が麻痺したって話になってしまう。ヒ素を使って人を殺したりする事に対して抵抗が無くなったという話になる。

旦那さんが自分でヒ素を飲んだというのも一審でその事を言わなかったという事を理由に却下されている。二審になって突然その事を言い出したので信用に値しないと。しかし旦那さんの言い分では担当検事にはその事をちゃんと言ったと言っている。法廷の進行は弁護人を通してと言われていたのでしゃべるような機会が全く無かったと。彼は詐欺罪で有罪になり、2005年まで刑務所に入っているので、アウトプットは法廷でしかない。そしてその事は言うなと言われたふしもある。

牛丼やうどんの問題で対象になっている居候の人の証言が何かと証拠として取り上げられているわけだけれど、この居候の人も詐欺仲間で詐欺事件では共犯者でもある。この詐欺集団は総額で8億から9億稼いでいる。居候の人はその事を不思議に思い、つまり何も仕事をしないで賭け麻雀やったり、ギャンブルに行けば一気に3、4千万も使ってしまうような狂った金銭感覚を持ち、裕福な暮らしをしている林夫婦に対して、どうすればそんなに儲かるのか?という事で近付いて、一緒になってその悪事に手を染めるに至ると、旦那さんは言っている。

しかしこの居候、今回詐欺では問われていない。むしろ単純に被害者として扱われている。これもおかしな話で毒を飲まされ続けてずっと居候していたという話になる。葛湯の話も居候の人の証言によって、車の中で旦那さんが「真須美にやられた」と言ったのを聞いたと。病院で「早く死んじゃえ」と奥さんに旦那さんが言われたのを聞いたと。これを証言として被告に殺意があったって話になっている。旦那さんは自分で飲んだと言っているのに、一審で言わなかったという事で信じるに値しないと。

車の中で聞いたという話は後に法廷では消え、病院の中で聞いたというのが残る。そしてそれは葛湯を飲んで入院した後、十日後の話であると。その間見舞いにも来なかったと。見舞いに来なかったという事が殺そうとした事の怪しさであると。十日後にようやく見舞いに来て、病室の中で居候の人がいる目の前で被告が旦那さんに向かって「お前なんて早く死んじゃえ」と言ったと。

殺人であるとするのなら、自分がやった事がバレたかどうか、成功したかどうか気になるのが普通。すぐに病院に行き死ぬかどうか?気付いているかどうか?これらを確かめずにはいられないはず。十日も放っておくという事は何を意味するのかと言えば、初めからストーリーはお互いに了解済みであるという事を示している要素の方が強いのではないか?居候のいる前で「お前なんか死んじゃえ」と言ったというのも、殺意が本当にあればそんな事は言わないし、殺してやると言ったわけでもない。このろくでなし、早く死んじゃえ、という言い方はある意味夫婦の会話としてはあり得る会話な訳で、そんな事を殺意と取られたら多くの夫婦がこれに当てはまるでしょう。

葛湯の話を細かく見て行くと、旦那さんと居候は保険金詐欺を行なおうとして病院に行くが、治ってしまい追い出されそうになる。翌日退院を命じられたという事で、どうしようかと自宅で思案する。何か食べるものが無いかという事で、奥さんに頼む。すると奥さんは「お前になんか食わせるものは無い」と言う。旦那さんは使いっ走りとして使っていた居候の人に何か食べられるものを探して来いと命じる。そこに葛湯があったって話になる。それに湯を入れて作る。そこにヒ素が入っていたというストーリーになっている。本当は旦那さんが自分で飲んだと言っているが、検察側の物語はそうなっている。

だとすると目の前のキッチンで被告がヒ素を入れたという事になる。仮にそうだとして、それに殺意があったとしても、そこですぐに反応が起こるのだから誰がやったのかは三人しか人がいないので簡単に怪しまれるし、本当にそこで死んでしまったら、検死となれば簡単にバレる。殺人事件としてはあまりにも杜撰な話でそれで詐欺が成立するなどあり得ない。極めて不自然な不合理な行動です。更に殺されそうになった旦那さんが、その事を理由に殺そうとした奥さんと結託して詐欺を働くか?って話になる。

被告はニッセイの保険の外交員をやっていたので、いろんな別の人名義の契約を解約しないで、ハンコもいっぱい持って、巧妙に保険を利用した詐欺を働いていた、居候が病院に行けば経営者保険のようなもので自分達にカネが入るようにしていて、その中から、居候にも分け前を与えていた。この手の詐欺は一件だけと言うなら話は別ですが、こういう風に複数回巧妙に利用していたとなると、一人では到底出来ない。保険屋も絡むし、医者もグルでないと出来ない。もちろん事故でせしめた事もあるわけだから、当然警察も絡んでいる。多数の人間が結託しないと、こういう巧妙な手口というのは上手く行かない。居候も食客として養われていた。しかもこの居候の父親や兄弟は警察関係者で警察一家でもある。

旦那さんが旅館でひっくり返って保険金をもらう。この時足を骨折している。この一件も詐欺であると立件されている。その際、骨折させたのは居候の人がバットで足を殴っていて、共犯であると旦那さんは証言している。更に被告である奥さんがバーベキューの火の中に突っ込んで大火傷を負って詐欺を働いた時も、家に火をつけて火災保険をせしめようとして、居候の人がガソリンまいて火をつけてしまったので、奥さんが逃げ遅れて大火傷をしたというのが被告の主張で、これは地元でも不審な事件という事で有名。これらがもし本当であるのなら、彼も共犯の疑いがある。その人間が証言している事が証拠になっているのは信憑性が無い。

もちろんこの林夫妻というのはどう考えても悪党だろうし、詐欺事件の方で言えば明らかに悪質な事を繰り返していたわけだから有罪でしょう。自分もその事には異論は無い。カレーの事件は疑義があると思っているだけで、彼女が無実だなんて事は毛頭思わない。詐欺に関しては黒でしょう。カレー事件だって現時点の証拠では有罪にするには無理があるとは思いますが本当の所はどうかはわからない。やっているかも知れないなと思いはする。

だから林夫妻の証言なんて信じるに値しないというのもわかる。だけど同じ穴のムジナである居候の証言は正当性があって、林夫妻には無いというのは不自然ではなかろうかと思うし、悪党だからと言って、カレー事件もやっているに違いないというのも違うと思う。外道は外道として裁く必要はあるだろうけれど、それはあくまでもやった事に関しての罪で、やったと証明出来ないもので有罪にしてしかも死刑にするのは、法治国家に住む人間としてはやっぱり看過出来ない。

金目的の詐欺事件はカレー事件との類似事件ではないし、しかも殺意があったというのも共犯でのヤラセの詐欺である可能性が高いわけだから、繰り返すうちに感覚が麻痺したという話もおかしい。実際にこの夫婦を詐欺の共犯でパクっている。

カレー事件は確かに起こった。夏祭りのときの炊き出しのカレーに何ものかが何らかの毒物を混入させ、4人の方が亡くなられ、66人の方が負傷されて今でも後遺症に悩まされている。毒物が本当にヒ素であったとするのなら、ほんの僅かになめただけでもの凄い嘔吐が始まってもの凄い苦しみと症状が出ると言われているので、事件の被害にあった方々は大変な苦しみであろうし、ご家族の方々の苦しみも尋常じゃないでしょう。

この世間を震撼させた恐ろしい事件が起こって、捜査が始まると、現場の目と鼻の先に、かつてシロアリ駆除業を営んでいてヒ素をいっぱい持っている林家というのがあった。近所では評判も悪くガラも悪い、しかも調べて行くと何やら怪しげな保険金詐欺とおぼしき犯罪を繰り返し重ねているふしがある。リーク情報によってマスコミが殺到しメディアスクラムが始まる。ガラの悪い被告は取材陣に水をかけたりする。犯人はコイツに間違いないと我々もすり込まれる。

メディアスクラムというのはカメラの向こう側、つまり対象が水をかけたり不遜な態度をしたりする所は映し出されますが、カメラのこちら側つまりどういう風な取材陣の過熱報道であるのかというのが画面からは見えない。対象側から写した映像なんかを見ると尋常じゃないキチガイ沙汰のお祭り騒ぎです。普通の感覚であれば腹を立てて水をまきたくもなるでしょう。クレーンで撮影しているは、木にのぼって撮影しているは、各新聞各雑誌、そして各テレビ局どころか番組単位で何台も何台もカメラを並べ立てられて、記者が張り付いている。おどろおどろしげな音楽で演出し、まるで犯人が彼女であるかのように報じ、お気持ちは?心当たりは?と散々追い込んで、キレて反撃した所を待ってましたと報じる。

世論が最高潮に盛り上がり、アイツが怪しいに違いないと誰しもがすり込まれて洗脳された頃に、林夫妻を別件で逮捕する。当初はカレー事件も夫婦が結託してやったのだろうという見積もりだったけれど、途中で旦那さんは詐欺で、奥さんはそれプラスカレー事件という事で、カレー事件は奥さんの単独犯という話に切り替わる。なぜかと言えば共犯の場合、共謀しなきゃならないので動機が必要になり、動機が見つからないので奥さん単独犯説に切り替わる。カレーを食べそうな人に保険金をかけたわけでもないし、カネが林夫妻に入って来るふしも無い。ご近所の人と喧嘩をして腹いせとしてやったというのも、そのケンカの跡が見つからない。動機が無い。そうなると二人では困る。一人だと衝動的犯行という話が成立する。やっていてもおかしくはないとメディアスクラムによって不機嫌そうな奥さんの不遜な態度を見せられて、世間でもこの鬼ババアがやっているに違いない。悪そうな顔をしているとすり込み、大半の人が疑う事も無く受け入れて行く。

しかし衝動的な犯行というにしても、鍋が四つあり、カレー鍋が二つ、おでんの鍋が二つあった。その中の一つにだけしか入れていない。一つの鍋だけであれば誰が食べるかわからない。つまり殺意というよりも悪質な嫌がらせに近い。更に犯行時刻の12時から12時40分の間にもし本当に紙コップ3分の2のヒ素を四つあるうちの一つの鍋に、林真須美被告が入れたとするのなら。ヒ素というのは水溶性ではないので金属のようにごろっと固まってしまう。12時から12時40分の間に入れて、食べたのが6時、12時40分以降、一度も味見もしくは味付けをしないで食べるのか?つまみ食いをする人だっている可能性も無いとは言えない。ほんのひとなめしただけで間違いなくすぐに症状が出て激しい嘔吐が始まる。

それに塊になってしまうので直前に相当よく混ぜないと混ざらない。まわりをうろうろしていただけで怪しまれるのに、混ぜていたという話は無い。しかも犯行時刻の時点ではカレー鍋の火はすでに止まっている。みんなでそれを食べるのが6時なわけだから直前で普通再加熱する。その時に味がつまってないか?もしくは味が薄くはないか?食中毒なんて起こっちゃかなわないので、痛んでいないか?そういう事を確認する。もし犯行時刻がその時刻であるとするのなら、みんなが食べる前に発覚していてもおかしくはないし、みんなを殺そうとしてやっているのだとすれば、不合理な時期に入れている事になる。自分の家族が食べるかもしれないし、子供が食べちゃうかもしれない。ヒ素がどれだけ危険なものかを十分承知している彼女がこんな無計画で不合理な行動を取るというのには、それを裏付けるような説得力がどこにも無い。

さてここまで読んでどうでしょう?合理的な疑いの差し挟む余地がないでしょうか?林被告が犯人だという証拠の数々を知って彼女が真犯人に間違いないと言い切れるでしょうか?言い切れなければ、つまり必ずしもそうとは言えない部分もあるではないかとなるのなら、近代裁判であれば推定無罪というのが鉄則になります。何度も繰り返しますが、必ずしもそうとは言えないのではないか?というのは違うという事を証明するのとは違う。無罪と言うとやってないと言っているように聞こえるかもしれませんが、裁判では無罪であって実際やっているかどうかはわからないとなるわけです。裁判とは真実を争う場ではない。必ずしもそうとは言えないのではないか?どころか、相当いい加減な証拠を積み重ねて彼女を有罪に、しかも死刑の判決を下している。

続く!!
案の定、マスコミは与党の中でのゴタゴタに時間を割き、与党対野党の図式から、与党の中での対立図式にフォーカスをズラそうと必死です。麻生がバカなおかげで、それが自民党にとってネガティブに作用していますが、誰が上に立とうが、自民党は自民党であり、マニフェストをよく吟味して、なんて言ってますが、ちゃんと報道なんてする気もないくせによく言うぜって感じです。だいたいその間に臓器移植法だの、児童ポルノ法だの、一見当然の政策だと思い込みやすい政策の裏に、キッチリ霞ヶ関の権益が盛り込まれている。そういうものの吟味をちゃんとやれよって感じです。そのチェックが作動しない。困った話です。

この手の話題もちょっと飽きたので、今日は切り口を変えて別の所から少し書き始めようと思います。先ず最も最近のニュースでビックリしたのは今更ですが、マイケル・ジャクソンが死んじゃった事です。

忌野清志郎が死んじゃったときもビックリしましたが、彼は癌に冒されていましたので、心のどこかで、もう長くはないのかもしれないという意識が深い所にあったのでしょう。ビックリしましたけれど今回マイケルが死んで感じたのは、それ以上の衝撃でした。

その数日前にプロレスラーの三沢が死んじゃったというニュースを聞いたときも度肝を抜かれて、そんなバカな!!と思いましたが、その後、まさかまたしてもビックリするような、金槌で頭をひっぱたかれたような衝撃が、こう連続するとは、何とも残念な話です。

まあ残念だと思っているのは世界中の人が思っている事でしょうし、三沢や忌野清志郎であれば日本中の人が思っている事でしょうから、残念だと改めて自分がここで書くまでもない事でしょう。しかしマイケルの死に関しては、自分は非常に申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。

リアルタイムでスリラーで洗礼を受けて、モータウンの音楽にハマり後追いでジャクソン5を聴いてこれまたやっつけられて、自分の音楽人生の中でそれなりに強烈な影響を与えてくれたにもかかわらず、バッド以降、80年代後半から90年代、そして2000年代にかけて、あまりにも巨大になりすぎて、あまりにも人間離れしてしまい、ちょっと時代とズレている所や様々なスキャンダルなんかもあって嘲笑のネタにされてしまっていた彼に対しては、正直興味を全く失ってしまっていました。

そんな事もあって「マイケル・ジャクソンなんて・・・・」とか、「もう終わってるでしょう」とか、こういった類いの言い方に対して違和感を感じていませんでした。復活すると聞いても関心が無かったし、ゴッパチ組の他の二人、プリンスやマドンナなんかはいろいろと気になるのに比べると、明らかに自分の中では興味も失せていたし、自分より若い年代の人でジャクソン5の活動どころか、マイケルの活動すら知らないし聴いた事も無いのに、彼をダサイ呼ばわりしている人に対して、そんな事無いと反論する事もありませんでした。

同じモータウンでもアル・グリーンとかマーヴィン・ゲイとか、今でも聴いてると言うとオシャレっぽく聞こえそうなものに関しては蘊蓄垂れるくせに、マイケルの功績については評価する事を避けていたような気もするし、好きだったと堂々と表明する事も避けていました。

なのでスキャンダル以降、マイケルを苦しめていた世間の目の側に少なからず自分も加担していたのではないかという事に、反省せざるを得ません。彼に張り付いてしまったスティグマに対して否定して擁護したり、フェアな目線で見ていなかったような気もします。その事は最初に書いておきます。

自分も彼を苦しめた世間の暴力性に加担していたという事は十分承知の上で書きますが、彼が死んで以降の世間の反応というか、報じられ方には違和感を感じざるを得ません。必ずセットになって「マイケル・ジャクソン、その栄光と転落」的な報じられ方がされる。転落させたのは誰なんだ?って話です。彼の幼児に対する性的虐待問題だって、実際裁判で無罪になっているにも関わらず、いまだにまるで彼が有罪であったかのような報じられ方がされる。

チンコぶらぶらさせて公園でパクられたアイドルはすぐに「さん」付けで呼ばれ、簡単に復帰出来るのに、無罪である人間が無罪であるという事が分かった後でも、実際にはやっているかのように報じられたり、当時どのように彼を貶めて叩いていたのか?という検証もなされない。みんな彼の事なんて忘れていて、彼を苦しめていた世間の暴力性に加担していたにもかかわらず、死んだら「彼は凄かった」とか、「素晴らしい」とかって評価をしたりする。一方では彼の無罪になった案件をいまだに掘り起こして、あたかも灰色決着であるかのように平気な顔して報じていたりする。

彼を傷つけて苦しめていた我々側の反省が無い。彼が貶められたのは彼が有名だからで、彼が疑われるような事をしていたからであるとしても、貶めているのは我々の側です。散々あんなに純粋に子供が大好きだった彼を追い込んで傷つけて笑っていたにもかかわらず、どうなんだ?と思うのです。

足利事件の菅家さん問題と同じです。当時推定有罪報道で散々叩いて、多くの国民もそれに乗っかって加担していた。それが冤罪だったと分かると自分達が何をしたのかを忘れ去り、お涙頂戴報道を垂れ流し、一方では反省する事も無く相も変わらず今日も推定有罪報道を繰り返す。冤罪が晴れてよかったねで本質的な冤罪の疑いがあるにもかかわらず17年間ブタ箱にぶち込まれていた構造の問題には届く事も無い。

それに加えて足利事件と同じ自白なしであるにも関わらず、DNA鑑定で有罪になった福岡の飯塚事件というのがある。久間さんという人が捕まっていて、判決は死刑が下されている。東の足利、西の飯塚といって、これも足利と同じように冤罪の疑いがある。足利事件について「DNA再鑑定へ」と報じられた際、飯塚事件の弁護団もそれを喜んだ。久間さんに接見して足利で再鑑定してくれるのだから、希望を持とうという事を言ったとか。

そしたらその数日後に死刑が執行されてしまう。当然、森法務大臣のサインもある。でなければGOサインは出ない。このクソ大臣もバカっぽいけれどまさか新聞に出ているわけだから、法務大臣の立場上知らないわけが無い。法務官僚だって知らないわけが無い。

否認事件で古いDNA鑑定が証拠になって死刑の判決が出ている、普通のオツムがあれば足利事件再鑑定という話が出ているわけだから、同じ手法の古いDNA鑑定が決定的証拠となっているものに対しては、せめて待ったをかけるとかするのが当たり前の話。死刑にしちゃったら取り返しがつかない。無罪にしろとか釈放しろって話じゃなくて、再鑑定の請求があるだろうという事はバカでもわかる。実際に弁護人が接見してそう言っているのを、係官も立ち会ってその事を聞いている。手続きをして準備をしている最中に、証拠隠滅に都合がいいとばかりに死刑を執行してしまった。

本当に目眩がするような怒りを感じます。この外道どもは許しがたい。コイツらこそぶち殺せと思う。死刑くらいじゃ軽過ぎるくらいの非道ぶりです。八つ裂きの刑でも軽過ぎる。ここまで腐っているとは、この国の統治権力にはもう1ミリも擁護する所無い。

死刑にしちゃったら取り返しがつかない。自分はこういう構造を放置したままであれば絶対に死刑は認めるわけにはいかないという立場ですが、死刑反対とか存置とか、そういう次元を遥かに跳躍するような問題外の振る舞いです。

大前提として今の日本の仕組みではどう考えても冤罪であってもそれを隠すような仕組みが回っているので論外ですが。その事をわきにおくと冤罪が生まれる事自体はなくせない。人が裁く事だから、仮にどんなに透明化をしても、どんなにデュープロセスをガチガチに縛っても完全に冤罪を無くすという事は出来ないでしょう。

冤罪が起こってもそれを後からキッチリチェック出来る仕組みがあってできるだけ素早く回復させるようなメカニズムがあれば、冤罪がしょうがないとは言わないけれど、国家の仕組みとしてはそういうものであるしか無い。

しかし殺してしまったらもうどうやったって取り返しがつかないし、それどころか原状回復どころか冤罪を冤罪のまま闇に葬ってしまう裁量を国家が抱えているのだからどうにもならない。そして一番どうにもならないのは、民主国家でありながらそこに手が届かない。バカマスコミが機能していないというのが、先ず第一にあるとしても、我々がその事を受け入れているふしがある。

冤罪は必ずなくせないという事を踏まえた上で、それでも死刑存置、つまり冤罪で死刑が執行されてしまう可能性があったとしても、そんなものは歩留まりだと腹をくくって、我が身に降り掛かったとしても、身内やまわりの人間に降り掛かったとしても、社会の公正さを示して社会を維持する為のコストだと、しょうがない事であると、ある種の覚悟があって死刑に賛成するという立場もあり得るわけだから、こういう前提を踏まえていてそう言っているのなら自分はそうは思えませんが、それはそれで一つの立場としては筋が通っている。

しかしだとしても、現状の統治権力の閉鎖性や司法の劣化を見るにつけ、死刑を存置するとか廃止するとか、そういう対立軸以前の問題のような気がします。冤罪であるという事がわかってそれを回復させるまでに17年もかかるとか、冤罪であるかもしれないという事をわかっていながら死刑を執行して闇に葬ってしまうとか、これでは社会を守るのでも何でも無く、役人や裁判所、そして政治家どものメンツを守る為に市民を犠牲にして隠蔽しているわけです。そんなのは言語道断です。マスコミは殆どこの問題もスルー。

林真須美被告が起こしたとされる和歌山カレー事件の顛末もそう。疑いはあるにしろ断定して死刑にするにはあまりにも証拠が無さ過ぎる。裁判というのはいつも書いてる事ですが被告を裁く場ではありません。原告つまり国家、要するに検察側の証拠を吟味する場です。無実を証明するという事は出来ない。悪魔の証明になる。検察側の証拠に対して合理的な疑いを差し挟む余地があるかどうかを吟味する場です。

検察側の証拠を完全に否定するのでもなくて、僅かでもその証拠に被告が犯人だという事を必ずしも証明出来ないのではないか?という余地があれば無罪。これが近代裁判の原理原則です。ようは、やったかもしれないけれど、完全には証明出来ないのであれば無罪になるという事です。

こういった基本的な所から見て行くと明らかにこの裁判の判決はいかれている。この国の司法はいつもそうだとは言えますが、あまりにも酷い。もちろん御用メディアはそんな事を報じる気配すらない。散々推定有罪報道で血祭りに上げたわけで、もし彼女が和歌山カレー事件について有罪でなければバカマスコミも困るのでしょう。

被害者家族なんかの会見を写して、死刑は妥当だと言っているものを流したり、被害者の感情に寄り添って、あたかも正義が執行されているかのように報じる。被害者家族や被害にあった人々の無念や怒りはわかりますが、その事と人一人を有罪にして死刑で葬り去るという話は別です。犯人だという証拠もいい加減なものしか無いのに、被害者感情に寄り添って誰かを血祭りに上げるのなら魔女裁判と変わらない。一体全体今何世紀だ?って話です。

この事件の証拠と言われるものは、彼女が犯人であると断定出来るものは何一つ無い。彼女が犯人であってもおかしくはないという程度でしかない。疑わしいというだけでしかない。そんな程度で死刑にされたら、誰でも有罪に出来て死刑に出来る国家だという事になる。

日本の判事、裁判所の裁判官は検察側の出して来る調書を鵜呑みにする。本来であれば起訴状だけを見て、事前に予備知識を入れずに白紙の状態で裁判に臨み、原告と被告の言い分を聞いてジャッジするのが鉄則であるはずなのに、検察と裁判所がグルなんだから公正もクソも無い。

実際この事件の最高裁では「合理的疑いの差し挟む余地のない『程度』に証明された」と下している。この『程度』という言葉の中に判決に対するやましさを感じる。

今回の事件は物的証拠が無く、あくまでも状況証拠しか無いという事と、否認のまま判決が下されたという程度は、まあリベラルを装ったメディアからは軽く報じられたりはしましたが、中身を吟味するというのは殆ど無い。

彼女を有罪とする状況証拠というのは、他にこの事件を起こす人がいない。だから彼女であるという背理法での証明が先ず一点。

目撃証言として順番でカレーの鍋の見張りをしていた中に林真須美被告もいて、12時から12時40分の間を彼女が担当していた。その際にゴリラのように行ったり来たりして不審な動きをしていたというのと、蓋を開けたのを見たというのがある。つまりその時に入れていてもおかしくはないという話。入れたのを見たという証言は無い。この証言自体も二転三転しているのだけど、この目撃証言が二点目の証拠。

そしてカレーの中に混入されていたヒ素と、被告である彼女の家にヒ素が残留している容器が見つかって、それが科学的な検査の結果合致したので、彼女が入れたのだろうというのが三点目。元々彼女の家というのは旦那がシロアリ駆除の仕事をしていたので、亜ヒ酸、所謂ヒ素を持っていた。だから目と鼻の先にある現場のカレー鍋にヒ素を混入させるには十分あり得る話であるという事。

そして、彼女の頭髪からもヒ素が検出されたというのが四点目。

決定的なのがヒ素を使って人を殺害しようとした前歴があるので今回もやりかねないというのが五点目。

この程度の話であれば検察のケツを舐めるマスメディアから出て来る話ですし、これだけを聞くと何となく決定的とは言えないにしろ、ほぼ黒っぽいわけだから推定無罪や疑わしきは被告人の利益にはわかるけれど、しょうがない所もあるのではないか?という感覚もあろうかと思います。

しかし実際に細かい話を聞いて行くと、この感覚が覆って行きます。白い紙コップにヒ素を入れて、それを四つある鍋の中の一つにだけ入れた。量としては135g、紙コップの三分の二くらい混入させたとされる。入れようと思えば誰にでも簡単に出来る事だし、当然味付けや味見をする事はあるわけで、その隙に入れる事は動作という所だけを見れば誰にでも出来る。現場にいて見張りをした人全てがやる気になれば出来る。人の目を盗んでやろうと思えば、そんなに難しい動作ではない。

しかし裁判ではその行為自体がそう簡単には出来ない事だから、一人でいる時にしか出来ないとあらかじめ断定している。なぜ断定出来るのか?その根拠無い。単に裁判官の主観です。一人でいた人は誰なのか?そこで林真須美被告が疑われる。しかし林真須美被告は娘さんと一緒にいたので一人ではない。それにまわりにも人がいた。

にもかかわらず裁判所は先ず一人でいないと実行出来ないという前提を作り出し、彼女だけが一人でいたという誤った事実を認定している。そして彼女だけしかヒ素にアクセス出来ないという証明がなされていない。他の人も可能であるのなら決定的な証拠にはならない。

見張りのときの動きが不自然だったという証言は、すぐ近くの家に住む女子高生の証言。カーテン越しに偶々外を見ていたら、林被告が変な動きをしているのを見たという話なんですが、最初の話では一階からカーテン越しに見たという話だった。これが後に二階から見ていたと見ていた場所が変わっている。

そして目撃したという服装が途中で変わる。不審な動きをしていたというのも鍋の周りを回っていたとか、道路の方をチラチラ見ていたとか、そういうのを指しているわけですが、不審な動きと言われれば、怪しいと思えてしまいますが、カレーの見張りをしている人間がカレーの鍋のまわりをうろうろしたり、道路の方をチラチラ見ているからと言って、その動きそのものを不審かどうか言えるのかという問題がある。

不審と感じる人もいるだろうし、そう思わない人もいるでしょう。見た人の主観の問題でしかない。それに蓋を開けたのを見たという証言も、鍋は四つあってそのうちの一つにヒ素が混入されていたわけで、蓋を開けたのを見たとされる鍋にはヒ素は混入されていない。だから当然蓋を開けているのを見たというのは何の説得力もなければ証拠にもならない。しかも弁護団が同じようなカーテン越しに見てみたら見えなかった。さらにその女子高生が見た女性というのが髪の毛の長さとか服装、背格好の話を聞くと、どうも林被告ではなくて娘さんである可能性が高い。

亜ヒ酸が合致というのも、最初は科警研が鑑定をして、被告の家から出た亜ヒ酸とカレーの中に残っていた亜ヒ酸、それから亜ヒ酸を入れたとされる紙コップに残留していたものを調べる。結果科警研は同一性は判断出来ないと言った。

東京理科大学の教授が名乗り出て当時最新鋭の大変大きな野球場ぐらいある分析機械スプリングエイトにかける。その結果、亜ヒ酸の中に含まれる不純物が同じであったという事がわかり、その事によって被告の家にあったもの、カレーに混入されたもの、紙コップに残留していたものの三つが同時期に同じ工場で作られたものであるという鑑定になる。

この亜ヒ酸は中国から輸入されたもので、同じものが3トン輸入されている。それがどこにどのように流れているのかがわからない。しかもどこの工場で作られたのかも出ていない。ただ缶には中国製としか書いていない。

不純物が同じと言っても量が同じわけでもなく亜ヒ酸に混入していたものでしかない。この実験の際にサンプルとして様々な亜ヒ酸と比べて実験されるわけですが、サンプルとして使用された亜ヒ酸は実験用のものであるとか、化学工業の材料であるとかで、和歌山で同時期に殺虫剤としてシロアリ駆除用に使われていたものや、みかんの甘みを増すのに使うものなどをサンプルとして比べているわけではない。

つまり実験の比較が恣意的であるという事です。使用目的の違う亜ヒ酸を持って来て合致しないとか言ったって、そんな事は当たり前の話であり、亜ヒ酸が合致としか報じられませんが亜ヒ酸に混入していた不純物が同じものが入っていたというだけでしかない。しかも量が同じだと言っているのでもない。それを合致を言い切って御用メディアが官報よろしく垂れ流す。

何度も言いますが挙証責任が被告側にあるのではないので、無罪を証明する必要があるわけではない。あくまでもこれらの検察側の証拠の中に合理的な疑いを差し挟む余地があるかどうかを問うているわけです。これで断定出来るのか?という事です。断定出来なければどんなに疑わしくとも無罪。これが近代裁判の原理原則です。

続く!!
ケッケッケッケ、クックックック、カァーッカッカッカ、イーッヒッヒッヒッヒッヒ、イエス!!ああスッキリした。ざまあみさらせ!!ヒャッホー!イェイイェイ!!

これで自民も追い詰められた。とっととあのアンシャンレジームを葬り去りましょう。この調子で行けば次期衆院選の自民は大敗を喫する事になるでしょう。お終い。引導を渡せ!!クックックックッケッケッケッケッカーッカッカッカ、ああ、おもしれえ。大爆笑です。

正直、民主党が大勝したらしたで、不安な部分はあるにはあります。笑っている場合じゃない。どうせロクな舵取りは出来ないでしょうし、それだけじゃなく能力的にどうこうという事よりも、チェックが働かなくなる可能性がある。拮抗していた方が、大勝するよりも、緊張感が残るでしょう。拮抗していれば政界再編への道しるべが生まれるやもしれませんし、民主党がボロ勝ちするというのは本当はあんまり望ましくない。ちょっと上回るくらいならいいけれど、逆に3分の2を握っちゃったりすれば、堕落するに決まっている。

それにマスコミの連中の民主党に対する梯子はずしも起こるでしょうし、自民内部でのお祭り騒ぎにフォーカスを当て続けるでしょうから、まだまだどうなるかはわかりませんが、今回の都議選の動きでわかったのは、完璧にマスコミの世論誘導というのは実際の世論とはかけ離れているという事がわかったのではないかと思います。民主党の不審点を喧伝しても、さすがに与党の人気は上がらない。マスコミの影響力は少なくなっているという事だと思います。民主党に問題があると言っても、自民よりはマシだろうと。政権交代が起こらない状況はやっぱり問題だろうという事が広がっているように思える。何とかして投票率を下げようと、政治に絶望するような話を広めようとしても、小泉選挙以降、投票すればそれが政治に影響を及ぼすという事を学んだ。小泉のやり方は問題がありましたけど、そこの部分だけは彼の功績かもしれません。

実際に地方の票と言うのは、小泉選挙以前からすでにそうなのですが、基礎票は民主党の方が実は実際には上回っている。自民党は都市部での風が吹かないと勝てない政党になっている。無党派層の支持を集めないと勝てない。無党派層が小泉を支持し、その帰結が足蹴にされたような展開ですので、とりあえず変えないと根本的な事は変えられないと学んだのでしょう。

個人的には自民がボロクソに負けるような気がしますし、民主党が大勝ちしたらしたで、問題なんですが、現在の与党の腐れっぷりや、頭の悪さを見ていると、いっぺん自民党は地獄を味わってもらった方がいいかもしれないとも思えます。小泉の以前の時点でもう自民党は死んでいる。小泉が目くらましで延命させたゾンビのようなもの。社民党のような存在に落ちぶれるならそれも仕方なし。アホが利権に勤しんで来た事のツケです。官僚にやる気がない一番の原因は政治家がバカだからです。ここまで国家を腐らせた罪は重い。淘汰されるか、それとも浄化して再生するのか、彼ら次第でしょう。どうせだったら閣僚クラスの候補者がバンバン落ちねえかな。それはそれで面白い。

今更言っても仕方ありませんが、安倍が参院選に大敗した時点で勝負はすでについている。その時に総裁を変えてすぐさま衆議院解散総選挙になだれ込んで、とっとと政権を民主党に渡してしまっていれば、ここまでのダメージはなかった。最悪麻生が総裁になった時点でそうするべきだった。そこで負けても選挙に負けて勝負に勝つじゃありませんけれど、自民党が復活する為にはそれが手っ取り早かった。それが目先の権益に縛られて、隠蔽して来た腐敗の情報公開を恐れる輩に引っ張られ、ここまで傷口を広げてしまった。自業自得でしょう。

だいたい麻生は吉田茂の孫のくせに、自分のじいちゃんが何をしたのか知らないんだから手に負えない。吉田はとっとと社会党に政権を渡している。その事によってその後の長期政権、そして社会党の低迷のきっかけを作っている。普段はピーチクパーチク言うだけで何のビジョンも無い連中にいきなり政権が転がってしまった。元々文句を言うしか能がない連中がいきなり政権を任されたって何も出来ない。何も出来ないという事に国民が懲りたから、結局90年代まで政権交代が起こらない。そこから何も学んでない。

ただ吉田茂の孫だというだけで、カッコをマネしたりしているだけ。肝腎の政治家としての戦略を学んでないんだから、それじゃ孫だろうが子供だろうが世襲だろうが意味がない。

もっともこの国の世襲や二世三世議員というのは、唯一それが有効な方法である事を証明出来る、先代からの政治哲学の伝承が無い。ただ地盤と看板と鞄を引き継ぐだけ。それでは意味がない。既得権の伝承であり、隠蔽の伝承でしかない。器だけ継承したってその中身がなければ、世襲なんてもんはリベラリズムのもっとも憎むべき敵です。金なんたらという台湾人のババアが世襲の正統性を遺伝子云々とほざいてましたが、それはナチと同じ発想になる。一番下らない発想です。一体いつの遺伝子話をしてんだよ。

今回の都議選の結果に浮かれている場合じゃないのですが、与党があれだけボロクソに負けたという事は、一つの弾みになるだろうと思います。今回の都議選に関しては、自分は生まれが東京で人生の半分くらいは住んでいましたが、今は東京都の人間じゃありません。東京都の人間じゃないくせに、非常に注目しておりました。何てったって知事選で石原が再当選しちゃいましたから、もしかすると・・・・・と思っていたのです。

が、今回の結果は一つの意思表示になったのではないかと思います。石原が再選したとき、まさかいくら何でもそりゃないだろうと思っていたのに、もちろん対立候補がいろいろと言われていたというのはあるんでしょうけれど、まさかと思っていたら、ガッカリの結果でした。何やってんだよ東京人と思ったものです。印象に残るのは、あのなんでしたっけ?「有権者諸君!!」と政見放送で中指を立てていたなんて人でしたっけ?あの人が結構票を集めていたのに笑っちゃったくらいでした。

まあ都議選なので、民主党と言っても怪しい輩もいるのでしょうけれど、今回の結果、東京の人は一つの意思表示をした。ブラボー!!さすが故郷!!



はてさて、いろいろと書きたい事はあるのですが、ここからは別の話になります。別にエントリーを立てようかとも思いましたが、面倒くさいので続けて書いちゃいます。多分長くなりますので、興味のない方は飛ばして下さい。前回の鳩山邦夫のかんぽの宿問題について、ちょっとご質問をいただいたので、それについての解答を書きます。

自分は基本的に、この問題は最初の時点から鳩山邦夫全否定の立場です。それに対して、あの問題に光を当てたのだから一定の評価に値するのではないかという反論をいただいたわけです。これは自分がその事を最初に書いた時点から繰り返されて来たバトルなのですが、最初に前フリを書いておきます。この返答の文章というか繰り返されて来たバトルは基本的にネタだと思って下さい。

自分は本音を言えば別に一定の評価をしたっていいとも思う。心の中で人それぞれが。それに自分自身もまあちょっと最後の鳩山の切り捨てられ方は無惨だったので、気の毒に思ってしまう所はありました。ピエロじゃんと。

最初にかんぽの問題に声を上げた段階で明らかに鳩山と麻生は結託して動いていた。鳩山は麻生の応援団長なんだから麻生が知らない事というか麻生のGOサインのない事を大々的にやるわけがない。麻生も実際郵政には反対だったと言ったわけですから。しかし鳩山の人気は出たけれど、麻生の人気は上がらない。結果的に鳩山が突っ込みすぎて前任者の総務大臣なんかの不作為を指摘するかのような行動によって、前任者や党幹部達の逆鱗に触れて、しかも民主党の代表が鳩山アンちゃんになった事で、鳩山邦夫切りが始まった。出る杭が打たれた。

それに最終的に麻生も乗っかって鳩山の梯子を外した。声の大きい。この問題人気で獲得した男であるわけですから、ヘタしたら次期総裁の目もある。そうなると、民主党との兄弟でのやり取りで政界再編の引き金になりかねない。そのとき冷や飯を食いかねない連中から足を引っ張られた。そういう自民党の多数派の連中から諭されて、麻生は鳩山を切り捨てる。

だいたいストーリーはそんな所なんじゃないかと思いますが、いずれにしろ、前日まで麻生を信頼しきっていたと言いますから、自業自得とは言え少々気の毒だと思いはします。

しかしそれは自分の自意識的にはそうであっても、公式に何かを表明する場合はやっぱり心情とは分離して思考すべき事だろうと思いますので、その上で書きますというか今までも書いて来ました。このネタはある意味、今の日本のポピュリズムが生み出す怒濤の流れに対してどういう風に向き合うかという立ち方の問題が含まれていると思います。なので、その事を念頭に置いて興味のある方は読んで下さい。

それからこの論争の相手となっている方というのは、結構当ブログ的には何度も何度も火花を散らしている相手なのですが、それはあくまでネタとして論争を書いている部分があります。少なくとも自分はそう思っていますし、その事を伝えてもいます。なので無礼千万な書き方をしている場合があったりしますが、あくまでも論争の軸を提示する為にあえてそういう書き方をしていますし、向こうの方も質問してくるのだと思っています。大人の方なので、それをわかった上でお互いに役割を演じこのブログ上で火花を散らしているかのように見えると自分は勝手に思っていて了解済みだと思っていますので、本気で腹を立てて反論しているわけじゃありませんから、誤解の無きように。

相手の方の言い分はコメント欄にありますし、相手のブログの方に行ってもらえば考え方が書いてあると思いますので、今回は鳩山弟について、全否定する立場から徹底的に書きます。いうまでもない事ですが、こういう論争というのはどっちが勝ったとか負けたとかはあんまり意味がなく、その論争から何が問題の軸であるのかという学びが得られると思って、あえてムキになって書いている側面があります。なのでその軸を読んでいる方々それぞれが考えて下されば、どっちの意見が正しいかはあんまり意味がないという事を一応書いておきます。

日本では学者や知識人も含めて論争や議論が起こると、大概相手を打ち負かして、どっちが勝ったとか負けたとか実存ベースの下らないやり取りが多い。議論というより喧嘩です。そういうのは一番下らないので、ネタだという事を前提に読んで下さい。

ヨーロッパやアメリカなんかで、例えば哲学論争とか、政治論争なんかがあると、徹底的にやり合いますが、それはお互いに相手のいい分もわかっているし、ヘタしたら自分の言い分は違う場合もある。相手が肯定であるから、自分は否定の立場にあえて立って論争を見せるという所があります。極端な場合、相手が言っている事の方が正しいという事まで承知の上で、あえて論争の軸を見せる事に意味があると考える。

それは問題の軸を考える上では非常に効果的な見せ方ですし、どちらの意見もしっくり来ない場合だってあるでしょう。しっくり来ないという事に気付けば、なんでしっくり来ないのかを考える。そういう考えるきっかけのようなものになるとおもい、何度も何度もこの手のバトルをそのまんま乗せて来たわけです。意見が違ってもその事自体は当たり前の話ですし、例えわかってもらえないとしても、自分は相手の方をリスペクトしていますので誤解の無きように。さてそれでは始めます。コメント返しになりますので、興味がある方はコメント欄を読んでから、読んでみて下さい。






それではxtc4241様ここからスタートです。







繰り返しになると思いますけど、理解が出来ないとすれば、この論点は多分いくら話してもわかり合うという事は出来ないと思います。自分はわかり合わなくてもいいと思っています。だって人がみんなわかり合って同じ意見だったら気持ち悪いじゃないですか。それこそ全体主義です。わかり合えなくとも相手の自由を尊重するのがリベラリズムの本義ですから、その意味で聞いて下さいね。看過出来ん!!と言われても、これが自分の見え方ですので。もちろん貴方の意見も尊重します。その上で、読んで下さい。これは自分の意見で、わかってもらえなくても結構です。何が見解の相違なのか理解してくれれば。

さて、文章中に書いてあるのですが、西川を擁護しているわけでも何でも無いという事を、まず言っておきます。そしてかんぽの宿問題というのは確かに資産価値という側面だけを見ると、価値はあるのかもしれませんが、すでに不良債権化しているのと同じ状態でもあるわけで、それをどう処理するのかという問題がまずある。

僕が買ったこの時計バブルの絶頂の時に1000万円で買ったんだよ。殆ど使っていないから状態もいいよ。だから500万円で売って上げるよ、といわれて、今の時代それを積極的に買う人がどれほどいるでしょうか?何てったってバブル絶頂の時の値段ですよ。時間も経ってしまっているし、世の中は不景気です。しかも100年に一度と言われてもいる。

そしてこの「僕」はまさに借金塗れで火の車、サラ金からカネを借りまくっている。その時にそんな悠長な事も言ってられないでしょう。

これは極端な例ですけど、まして不良債権化してしまっている不動産であれば人件費もかさみます。局所的な所を見て採算が取れているとしても、全体でどうなんだ?という問題もあるし、それプラス、先ずなんで不良債権化するような無計画な箱物がそれほど建っているのかといえば、それは完璧に郵政と政府である自民党の責任であるわけです。利権を貪って来た事のツケです。それを先ず認識して下さい。

そしてもちろん郵政民営化の名の下に悪質な売買やどう考えても公正さを欠いたやり取りがあったのは周知の事実です。例のオリックスが問題になった件は微妙な気がしますけれど、怪しいものが後から後からどんどん出て来ている。郵政を民営化する際にも、その事によって郵政のこれまでのツケを隠蔽しようとした力学もあった事でしょう。そういう風に見える所も実際にある。それを許しがたいと思うのは理解出来ますし、自分もムカついております。誰がそれをやったのかと言えば、これも与党である自民党と、それをバックアップしていた各省庁の役人共、構造改革の名の下に利権の分捕り合戦に勤しんでいたステークホルダーの奸族どもです。

なので、郵政が行なって来たツケはもちろん、郵政民営化というインチキを利用した新たなる利権の争奪戦、この二つをまとめてぶった切る必要がある。

鳩山は何の為にやったのでしょう?そして誰のバックアップでやったのでしょう?

もちろん先ず自分の立身出世と次期選挙での人気稼ぎが第一でしょうけれど、それがそのまま自民党の時期総選挙の為、麻生内閣の為につながるのでであり、彼をバックアップしていたのは郵政官僚です。そして当たり前ですが、麻生が郵政に反対であったと言いましたよね。である以上、まとめてぶった切るという事は出来ないと思います。政治家ですのでそういう風に行動する事自体を否定しているのではなく、政治家であればしょうがない所もある。だからそれを見ている我々が、そういう行動だという事を割り引いて見る必要がある。

二つまとめてぶった切るという事が出来るくらいなら、そもそも郵政の悪質な利権構造、そして郵政民営化を利用した利権屋どもの跳梁跋扈を許していないはずです。政権交代が現実化して来てバレそうになったから誤摩化している。今核密約問題でも散々しらばっくれて来たくせに、自民党議員ですら生き残りをかけて、問題化しようとしている。遅いんだよって話です。政権交代後にやればいい。要するにこの問題に言及してしまうと、郵政改革利権と従来型の役人の権益利権の鍔迫り合いのどちらを応援するかって話に加担する事になる。

だからこの問題はいずれ政権交代が起これば、西川の闇も、郵政が行なって来た闇も、核密約問題も情報公開されるでしょう。しなければ民主党が叩かれるだけです。あの時点でそれを自民党と総務官僚が結託してやるという事は、争点ズラし、もしくは争点パクリでもあるし、政権交代した際のダメージコントロールに他なりません。間違いなく恣意的に情報を流すに決まっている。

だから情報公開まで待つしかない。野党のケツをひっぱたけばいいのです。待ってられないというのはわかるけれど、そもそもこういう結果を招いたのは一番の原因を作ったのは誰の責任なんだ?といえば、前回の郵政選挙で自民党が衆議院の三分の二を確保したからであり、それは国民が支持したからです。そして「かんぽ」の構造問題も、国民がノーチェックで自民にお任せして来たからです。それが全ての元凶であり自業自得なのです。

鳩山のせいでも麻生のせいでも小泉のせいでも歴代の自民党のせいでも官僚のせいでもマスコミのせいでもない。西川のせいでも竹中のせいでもオリックスのせいでもない。国民がそれを支持し続け、小泉の郵政民営化にしろ8割近くも支持していたせいなのです。その事を先ず引き受けないと、誰かのせいにして、誰かを支持して。同じような事を繰り返して行くだけ。郵政民営化がインチキだとあれほど言っている人がいたはずなのに、みんな郵政民営化を支持した。その事を先ず自覚しろよと自分は思ってしまいます。

だからその痛みを受けるのは当然の報いであり、ここでまた利用されて、鳩山邦夫対上げ潮派みたいな与党の中での対立図式に絡めとられてしまえば、それこそ洒落になりません。あくまでも無視、それが賢明であると思います。

それに何度も言いますが政治家にとって政権公約は命よりも重い。破れば殺されても仕方ないくらい重いものです。自民党は2005年の選挙で何を言っていたのでしょう?郵政民営化と言ってましたよね。である以上、郵政民営化に反対だったという資格はないのです。それを言いたかったら先ず選挙で問うのが先であり、逆は絶対にあり得ない。

解散権が総理にあるという話になってますけど、それはあくまで与党が政策を実行して行く上でどうしても公約との整合性が崩れてしまう場合があり得ます。選挙公約が上手く行かない場合、選挙公約を変更する時に民意を問う為に、解散権が総理にあると言う解釈であって、誰も支持していないクズ政権が延命の為に解散権をおもちゃにする為にそれがあるのではない。立憲主義も民主主義も踏みにじる行為です。明らかにそれは郵政選挙の帰結が不人気になっている世論に媚びた選挙戦略であるわけで、麻生の政策の柱の一つ、ステークホルダーへカネを還流させる仕組みづくりの一つです。従来型の役人の天下り先を潤沢に潤すような。

郵政民営化に反対するつもりはないのだが、といいながら、西川の後釜が元郵政官僚、そして自民党のしかも麻生の応援団長である総務大臣が言うというのでは、どうなるかはいうまでもないでしょう。郵政民営化を失敗しているのだとしたら、彼らは公約を破っている。その時点で政権党としての正統性はありません。だから彼らにその事を改革する資格はない。それを言って許されるのは反対して自民を離れた連中と、反対していた野党の連中だけです。だから失敗しているのなら野党に政権を譲って、その上で改革してもらうというのが議会制民主主義の鉄則ですし、スジ論から言ってもそうでしょう。仮にどうしても郵政改革をやり直したいというのなら、先ず選挙で問うべき事です。単なる争点ズラしと時間稼ぎです。

だいたいなんで西川が行なっていた不正と思わしき行為に対して、なぜあの段階まで放置していたのでしょう?誰が放置していたのでしょう?それは言うまでもなく自民党であるわけです。自分で火をつけといて、火が燃えている火事になっちゃう!!誰だ!!火をつけたのは!!とやっているだけ。マッチポンプです。いやお前らだからって話で、結局郵政の闇も郵政民営化の闇も手付かずじゃないですか。しかも鳩山邦夫は自民党にいるし、あんちゃんの批判をしていたりもする。鳩山邦夫が善意かどうかなんてのはどうでもいいのです。政治家に重要なのは結果責任のみ。結果がどうなっているのかといえば、言うまでもありません。

結果的にどうなったかが重要であり、最初から郵政の闇にしろ、郵政民営化の闇にしろ、結局はうやむやになる。どうせやるわけがないと自分は言ってましたよね。結果的にやったら褒めればいいでしょと。その通りになっているじゃないですか。その事だけが重要で、それ以外は無意味です。ガキの部活じゃないんですから、統治権力の人間に対して、一生懸命にやったかどうかなんて事を評価していたら国が沈没する。国益と国民益が最優先事項であり、自民党益や役人益優先である連中が、やりもしないでやろうと頑張ったとか言っているのはクソの値打ちもありません。

野党でそれを言うならまだいい。閣僚であり、担当大臣が結果として話がうやむやにされてしまったのだから、彼の政治責任は重い。

誤解されたくないので、書いておきますけど、自分は利権化するのも天下りするのも、それによって国益に資する何ものかがあるのなら、別に構わないと思っています。民主党が政権を取ったって、絶対に役人の権益争奪戦はあるし、その力学を取り込んで利用しないと話が進まないでしょう。だけど、利権化している事が、害にしかならない場合は擁護出来ません。明らかに自民党が行なって来た利権政治の帰結が今の日本をダメにしている。だから結果的にそうである以上ダメなのです。

マスコミにしたってそうです。既得権があっても高収入であっても責務を果たしていれば何の文句もありません。それをやっていない事が問題で、利権を握っているかどうかは二の次です。責務が果たせなければ利権を引きはがすしかない。

それに小泉の時を思い出して下さい。郵政を民営化出来ないようであれば、もっと大きな問題である、政府の構造改革なんて出来ない!!と言っていましたよね。みんなが彼を支持した。一部の人が、いやアイツも自民党の議員で、ここまで日本の政治経済を疲弊させたのは誰なんだよという声に対して、彼を救世主呼ばわりしていた連中がなんて言っていたか思い出して下さい。そして小泉がやった改革の帰結はどうですか?殆どが中身のないものばかり、声を上げ拳を振り上げていただけで、役人の天下りは増えているし、財政規律だって結果的に破られ、公約違反なんてたいした問題じゃないとまで言った。それでも世論は彼に味方した。

今彼の事を評価する人なんて圧倒的に減ってますよね。世論の8割が支持していたのにですよ。彼は一生懸命やっていた、という人がいますか?改革の旗を立てたからその事は評価出来るなんて言う奴がいますか?圧倒的に減っていませんか?でもあの当時は言う奴がいっぱいいましたよ。

インチキだろと言っても、でも今までそういう事をやろうとした自民党議員なんていなかったじゃないか!!みたいな反応が結構あった。鳩山邦夫への支持もそれと全く同じ。結果的に何もやってないんだけどって話で、声を上げるだけならブログで出来る。与党の閣僚なんだから、結果が残せなかったという事が全てであり、小泉にしても、総理大臣を5年もやりながら何のサブスタンスもなかったのだから、それが全てです。

まあもちろん小泉以降の安倍にしろ、福田にしろ、今の麻生にしろ、小泉よりも更に最悪な総理大臣が続いているので、今から考えればまだマシだったような気もしないでもないですが、結果としてはバックフラッシュが起こり、財政規律どころか、15兆ものカネをバラまくに至る。それが郵政選挙で手に入れた議席で行なわれているのだから、小泉に善意があったかどうかなんてのはどうでもいい話でしょ?それと同じなのです。

小泉に仮に善意があったとしても、統治権力者の行なった政治に対する帰結は、国民全てが受けて痛い目に合わなきゃならない。だから評価出来るかどうかは結果だけなのです。それが嫌なら政治家とか官僚になんかならなきゃいい。誰もなってくれと頼んだ覚えはない。結果を残して当たり前、結果を残せなかったらボロクソに叩かれる。理不尽ですがそれが統治権力者の引き受けなきゃならない運命であり、だからこそ圧倒的なリソースを握り、時にはウソをついても、脱法してでも責務を守れとなるのです。

もういい加減彼らを甘やかすのは止めた方がいい。だからこの国はここまで腐っている。その上でその責務を引き受けている政治家やエリートに対してだけ、心の中で、静かな声でリスペクトすればいい。それは人に押し付けるものではない。まして自分でその事を主張している輩の自慢話は話半分以下で聞いた方がいい。何を言ったかが重要なのではなく何をしたかが重要なのです。

自分は官僚エリートにしろ、政治家にしろ、ある意味リスペクトしている人達は結構います。だけどその事は滅多な事じゃ書きません。批判しかしない。それでいいと思っています。なぜなら、いくら賢明なエリートが尊敬に足る仕事をしているとしても、彼らは統治権力者であり、今の日本の現状がその帰結だからです。その帰結だけが全てであり、統治権力者である以上、それを引き受ける責務がある。企業のトップだってそうでしょう。

麻生にしろ政治家にしろ、ステークホルダーにしろ、ボロクソのクソミソに書きますが、実際尊敬している人はいっぱいいるし(麻生は全く尊敬なんてしちゃいませんが)、企業人だって凄い人だなと思う人はいっぱいいる。カンブリア宮殿とかたまに観ますし。だけどそんな事を褒めたって意味がない。その人が頑張っていていい人かどうか善意があるかどうかと、その背負った責務を果たしているかどうかを分離して考える必要があると思うのです。いい事を言ったかどうかと、帰結はどうなのかを。何を言ったかではなく何をしたかです。

なので鳩山邦夫に対しては、何を言われようと支持は出来ません。悪い人ではないのかもしれませんが、その事と帰結は別です。擁護出来る所もあるなんて甘い顔をするわけにはいかない。ダメなもんはダメ。結局西川もうやむや、郵政の闇も、郵政民営化の闇もうやむや。それが全てです。一般市民とは背負っている責務が違うのです。おそらく総務大臣であったわけですから、公表出来ない秘密を握っている事でしょう。核密約問題と同じように役人共が隠蔽のため公文書を破棄してしまっている可能性も否定出来ないので、政権交代が起こっても情報公開出来ない可能性もある。それを野党となった時に洗いざらいぶちまけて、自民党の大掃除でもやったなら、その時は拍手をします。

ただ、そのごたごたによって麻生内閣の人気が下がっているのは確かなので、そういう意味で鳩山邦夫の行動は一定の評価は出来ると思います。要するにブッシュに対する評価と同じです。ブッシュのようなバカがいたからこそ、アメリカ人は懲りてオバマを支持して黒人とハーフの大統領が生まれた。政権交代が起こったわけです。

日本でも政権交代が起こるとすれば、そういう意味でなら麻生のバカにしろ、鳩山の茶番にしろ、評価は出来ると思います。ヘーゲルの言葉を借りれば「理性の狡智」、熱狂によって歴史がある方向に向かっても、時間が経つ事によって熱狂が冷めて理性によって梯子を外される。ある瞬間ある役割を担う為に、理性に利用されて、熱狂が冷めれば理性に切り捨てられる。そういう存在として。

そしてここからは蛇足で、完璧に妄想の領域の話ですので流して読んで貰って結構ですが、彼が仮にそれを戦略的にお兄ちゃんの為にやっているのだとしたら?麻生を応援団長として支える事によって、総裁選で麻生が負けても、麻生を取り込む為に、何らかのポストに就いて来た。その中で必ずおバカ発言をして物議をかもし、自民党の不人気に一役買って来た。もちろん最後のかんぽの宿は人気が出ちゃいましたが、それが麻生の人気取りと言うよりも結果的には不人気につながった。

鳩山一郎と吉田茂は仲悪かったといいますし、ひょっとしたら、兄の民主党の刺客として、自民に潜り込んで内部から自滅させる為の戦略的な振る舞いだったのではないかと。まああり得ない話だと思いますが、絶対に無いとは言えない。もしかすると非常に戦略的な政権交代の為の作戦だったのかもしれない。

多分そんな事はないだろうし、妄想のトンでも話だと流してもらって結構ですが、仮にもしそうだとしても、彼への評価は尚更変わりません。今自民党の鳩山弟が人気者になって、自民党の延命となれば意味がない。だからいずれにせよ彼は叩かれてけなされてこそ、その役割を果たせるのです。もし戦略的に自民党に引導を渡す為にやっているのだとすれば可哀想かもしれませんが、政治家というのはそれを引き受けてこそです。バラエティに出るのが仕事ではないですからね。

そしてこれもとんでも説ですが、もしかすると自民党はもうどう考えても勝ち目はない。多分議席を減らして、麻生は恥知らずなバカとして歴史にその名を残すでしょう。なので麻生の影響力を次に繋げる為に人気者の鳩山邦夫を泥舟と一緒に沈没する前に今のうちに切り捨てたように見せかけて、次の影響力を残す、もしくは鳩山兄の民主党との政界再編の鍵として切り札として残す為の布石なのかもしれない。という事もあり得ないとは思いますが絶対に無いとは言えない。その場合であれ、あんな恥知らずなバカ共の影響力なんか残しても何もいい事なんかありゃしない。次の総選挙でそれらの薄汚いクソ共に引導を渡す為にも、やっぱり鳩山邦夫は否定されるべき存在なのです。

つまり、いろいろな妄想をシミュレートしても、鳩山は叩かれてこそ、初めて評価の対象となり得る。彼が賞賛される可能性があるとすればただ一つ、野党に下った時に、どこまで自民党の膿を出すのに一役買うかでしょう。評価はそれからでも遅くはないと思います。

長くなりましたがこれが自分が彼を心情は別として、否定する理由です。否定してこそ、彼の価値が上がるのです。