低炭素社会実現とか、安心元気な健康長寿社会とかって、とっとと解散してしまえばよかったものを中身の無い、言うのはいいけれどそれに対して適切な政策を打つ事も無くただ利権に勤しむ役人の手の平で踊っている麻生政権。あまりの下らなささに批判する気にもならない所ですが、あのバカがバカであるという事はみんな知っていて、風前の灯なのはいいですけれど、あのバカを利用して、その背後では結構無茶苦茶な状態になってしまっている。御輿は軽くてバカがいいとはよく言ったもんです。

まず鳩山弟の顛末にも触れておきましょうか。あの男を評価しているマスコミも一部にありますが、自分は当初から与野党の対立構図から自民内部での対立構図にフォーカスをズラす、小泉がやった抵抗勢力作戦を真似た戦略だから放っておいた方がいいという立場でした。鳩山邦夫自体、麻生の応援団長としての論功行賞であの地位を得ているわけだから、ハナっから麻生とのヤラセに決まっていると。

郵政には反対だったといった麻生のご機嫌とりとなって人気稼ぎの為に郵政の問題に突っ込む。ポピュリズム的にも小泉改革が不人気である今、選挙対策にもなりますし。彼をバックアップしていたのは明らかに元郵政官僚であり、彼は総務大臣でもあったわけだから、要するにその事が総務省の権益拡張にもなるという一石二鳥いや三鳥という所でしょうか。

クソメディアは官報よろしくあたかも大切な問題であるかのようにケツをなめなめ報じていますが、郵政の問題と全く同じような構造が全ての省庁や天下り団体を覆い尽くしている。そういう問題は全くのスルーであるにもかかわらず、こんなどうでもいいような社長を辞めさせるかどうかなんて下らない話を大騒ぎしている。

辞めさせりゃいいのだし、役人の権益にバックフラッシュするのもダメ、これしか道はないのに、改革か?改革待ったか?といった下らない二元論。インチキ郵政民営化推進か役人の権益かって二元論になってしまう。そんなのどっちもダメに決まっているわけで、こんな下らない話を報じているアホらしさ。

鳩山は郵政民営化に対する不人気の世論にポピュリズム的に媚び、麻生のバックアップになるのかと思いきや、バカ麻生、自民党内の多数派に媚びて鳩山が仕掛けた人気稼ぎに乗り損ねる。党内の多数派に媚びても、世論的には全くの不人気なわけだから、どこを向いて政治をしているのかがわかる。完全に自民党内での権力闘争であり、鳩山はその中で切り捨てられたという事でしょう。しかし最初から言っている通り全く同情の余地はない。あのバカ麻生を応援して、援護射撃になると思い、役人の権益拡張のバックアップとポピュリズムを、自分の立身出世に利用していたのはまぎれもない事実でしょう。自業自得です。

そもそも麻生政権というのは選挙で正統性を得たわけでもないにも関わらず、民意を無視してのうのうと政権に居座り、解散権をおもちゃにしている恥知らずなクズ政権であり、彼らに郵政民営化を反対する資格もなければ、政権を運営する資格すらないという事は散々書きました。憲法意志を踏みにじる行為です。

しかしにもかかわらず居座り続けているのに、郵政には反対だったと言いながら、土壇場で党内のほうしか向いていない。何がしたくてそこにいるのかすらわからない。ただ総理大臣であるという事にしがみついているだけなのか、本当にウンザリするような迷惑なゴミ野郎です。

解散する前にもう一度総裁選というパターンがあってもおかしくないような感じになって来ました。多分バカマスコミもそうなると大騒ぎして盛り上げるでしょう。民主党に政権交代するのは既存のメディアにとってはおいしい構造とは言えませんから。まあもう引っかからないとは思いますが、どうも安心しきれない所があります。自民党の中での権力闘争に言及すればするほど、それは総裁選への呼び水となり、圧倒的にひっくり返すという事が出来難くなる。なので、今ある問題点に自民が対処しようとしていても無視しましょう。どうせ利権が隠れている。政権交代してから民主党のケツをひっぱたいてやらせればいいのです。

さて書き出すとキリが無いと思いますが、バカ麻生と自民党をボロクソに書きます。あのアホのおかげでどうにもならないくらい滅茶苦茶な政策が進んでしまっている。いくら麻生が不人気とはいえ権力は握っています。もう麻生を批判するのもバカバカしいと世間的にもなっているでしょうけれど、それはある連中にとっては都合がいい状態と言えます。それではおっぱじめます。

麻生の英断とメディアがもてはやし自分でも野心的だとほざいていた、清水の舞台から飛び降りたつもりの(清水はいいから首相の座から飛び降りてくれよ)、低炭素革命を目指した中期目標がありましたね。2005年比15%削減と威張っていました。全くバカに付ける薬はありません。もっと酷いのはこれをいい事かのように報じている官報メディア。

再生可能エネルギーの割合を20%に。太陽光発電を2020年に20倍に。太陽光発電の固定価格買い取り制度を創設。エネルギー事業者に非化石エネルギー導入を義務づける法律を整備。省エネ住宅を2019年に50%以上に。新車販売の2台に1台をエコカーに。とレイムダックでどうせ長続きしない政権が何を言うかって話です。お前はとっとと解散すりゃいいんだよって事です。誰も支持した覚えもないのにいつまでも政権にしがみついて何の正統性もない人間が、政策なんかを偉そうにほざく権利はない。

しかも言っている事もバカ丸出し。だいたいなんで05年比なのか?国際的には何の意味もないし、なぜそこを基準とするのか恣意的です。そこに誤摩化しが先ずある。だいたい数字を出したって今まで何もやっておらず、今も何もやろうともしていない。

そもそも京都議定書の際、90年を基準にして2012年までに-6%の削減目標を立てた。その時から日本は増えている。一昨年のデータでプラス9.2%、90年を基準にするのは日本は省エネがしっかりしていたのだから不公平だという嘘を前提にして、国際的には何の意味もない05年比というわけのわかなんない基準で威張っている。しかもバカマスコミもそれを大々的に取り上げてエコと騒いでいる。具合が悪くなります。

05年比で-15%という事は90年比で考えると-8%。ちゃんとそう言わないと何の意味もない誤摩化しです。

IPCCの第四時レポートに沿って行なわれた、一昨年のバリでのCOP13でその時に基本的に合意したのが長期的に2050年までにー80~ー60%地球全体で減らさなければならないという話になって、その為には先進国が先ず2020年までにー40%~ー25%減らせというのを求めている。

基準はいずれも90年比でそれを基準に今鬩ぎあっているにもかかわらずその事を無視してわけのわかんない何の意味もない基準でー15%とか言っている。-40~-25%の間にせよと言われているのに、-8%しか削減しないと言っている。その事を誤摩化す為の恣意的な数字遊びです。麻生は本当にバカなのでそれが野心的だと思っているのかもしれませんが、役人の省益と、ステークホルダーの利権に二人羽織的に操られて、自分がバカで操り人形である事を公共の電波を使って大々的に宣伝している。これをキチンと報じないメディアにはエコを語る資格はない。

京都議定書の段階で2012年までに90年比で-6%を求められていたのを、90年比で2020年までに-8%しか削減しないと言っている事になる。元々の目標から清水の舞台からダイブした野心的な大英断で、2012年以降20年までの8年間でー2%しか削減しないと言っている。これが大英断って勘弁しろよって話です。ちゃんとそう報じろよ。

マスコミは日本が世界からなんて言われているのか全く報じませんが、おもいっきり恥知らずなことを言っているのと同じです。アメリカが入っていないとか中国やインドが入っていないとかを理由にして、世界全体で公平なルールをと言い訳をよくしますが、新興国を巻き込もうとすると、先進国が歴史的に出して来たツケを先ず払わないと枠組みには入れないと言っている。中国は先進各国に-40%を要求している。

中国が参加していないという言い訳を言いながら、とても合意して入れないような、たった-8%程度の目標しか立てられないのに、新興国に同じように求めるのはそもそも無理があるに決まっている。

せめて-25%の目標を立て、それでお前らも入れというなら交渉にもなるかもしれませんが、入れるような枠組みを構築する事をそもそもやろうともしないで、新興国の不参加を理由にだだをこねている。論理性のかけらもない。国際交渉上全く通じないロジックです。

ボンでの会議でも90年比とは別にカッコにくくって05年比と出して、各国から混乱するから止めろと批判されている。そういう事を報じるどころか、新聞のみだしまで「05年比-15%削減!!」とか言って打っている。翼賛メディアも困ったもんです。恥ずかしくねえのかよ。

ボンの会議でも各国のNGOからたった-8%しか削減しない事に対して「ジョージ・W・麻生」と揶揄されている。せっかくブッシュがいなくなったと思ったら、似たようなのが出て来たぞという事でしょう。

アメリカはすでに90年比で-28%まで可能な法案を着々と押し進めている。ヨーロッパは言うに及ばず、ドイツやスペインを筆頭にして随分先を行っている。日本は削減すると言っているけど何もやってない。しかも目標もショボイ。数字が低いだけではなく具体的に何もやっていない事が問題なのです。

役人は自分達の省益の為、ステークホルダーは自分達の権益の為、それに操られるバカな政治家、最大のステークホルダーである独占企業である電力会社は原子力にしがみつき世界の動きについて行けない。しかもマスメディアにとっても最大の広告主、この不況の最中、最大の広告主にとって手痛い啓蒙をするインセンティブなんて働きようもない。下らない話をエコだのなんだのとやっている。

自分は基本的に排出権取引とか温暖化ガス削減という事に関して、やや疑問に思う人間ではありますが、国際的な枠組みで決まってしまって、どんどんその事でイニシアティブを握ろうとする鬩ぎあいの中で、あえて逆行するような振る舞いをするのは、どう考えてもヴァルネラビリティを更に抱える事になってしまう。それは温室効果ガスが温暖化の原因になっているという事が正しいかどうかとは別の話です。それが更に突っ込まれると、国益を丸裸にされてしまうという構造を生み出す。国益の観点から考えると、非常にマズい展開になっている。

その事を国民がキチンと知っていて、どれだけ非常識だと非難されているかとかわかっていて、それでもそれでいいと思えれば別にそれでもいいですけれど、そんな事は報じるどころか大英断って話になるんだからどうにもなりません。

今回の補正予算も酷かった。酷すぎて目眩がします。そのうち4.3兆が基金という形でカネをプールしているだけ。どうしてもGDPの二割としたかったのか、無理矢理使い道の無いカネを必要であるかのように散々言っときながら、単にプールしているだけという形になっている。表面上は何年かにわたってこれこれの使い道に使いますなんて言い訳をしていますが、46個基金を作り、そのうちの22個が農林水産関係。早い話が、民主党に流れてしまった地方の農村票を取り返す為にカネをバラまく見え見えの愚策。

麻生という男はなんのポリシーも無い。単に役人の二人羽織的に動いている。それで人気が出ると思っているのだからよっぽどのバカなんでしょう。霞ヶ関なんて誰も信じちゃいない。任せておくととんでもない事になるとみんなが思っている。そいつらの言うがままに動いていれば、何をやった所で批判されるに決まっている。誰も信じちゃいない霞ヶ関官僚の言うがままに基金を作り、従来型の天下り先を潤沢に潤すような政策をこの期に及んで打っている。どこまでズレているのか?

子育て支援にしたって愚策ですし、ETC利権の為の高速道路1000円問題も低炭素社会とか言いながら全く矛盾した、役人の利権の為だけの下らない愚策です。その事は国民の間でもコンセンサスとなっているでしょう。

経済効果を見込むのならレジャーである高速道路利用よりもむしろ物流を中心として打つべき対策であるわけで、何でそれを逆にしたのかと言えばETCの普及という役人の権益拡張の為だけで、景気回復にも興味は無いし、短期的な人気稼ぎでしかない。

今更このクズにクズと言っても実りがありませんが、マスコミは政局しか殆ど報じない。日経までも、この補正をグローバル・ケインズ主義に協調とか言って歴史的な危機に一定の使命を果たしたとかって話になっている。頭大丈夫か?

こういうどう考えても愚策としか思えないような下らない政策に対して、マスコミは全く無力。解散はいつか?総裁選か?人事は?とかこういうどうでもいい政局しかやらない。おかげでやりたい放題になってしまっている。これでは仮に政権交代が起こって民主党が成すべき事をを成そうと思ったとしても、手のほどこしようがないくらい滅茶苦茶にされてしまっている。

麻生政権の政策というのは二つの柱があって、自民が延命する為のポピュリズムと既得権益者に何らかの形でカネを還流する為の工夫。ETCを一台取り付けると、天下り団体にカネが落ちると言ったような感じの。この両方を満たすような政策を追求しているだけで、国民の為なんて微塵も考えていないでしょう。将来にツケを回すだけの短期的な逃げ切り戦略。しかもそれが見え見えです。

メディアはその事を時間を割いて報じない。なぜかと言えばメディア自身もエコ家電バラマキによって地デジ普及の恩恵にあやかれるというのもありますが、報じないというより報じる事が出来ない。能力が無いという問題ももちろんあるでしょうけれど、それを言えば、お前らこそなんなんだ?となる。何でお前ら放送局は固定資産税払ってないのだ?なぜ税制の優遇措置を受けているのだ?でありながらなんで高給を取っているのだ?再販価格制度は?クロスオーナーシップは?これらは周知の事実であり、国民だってもう彼らをバックアップする気も起きない。潰れちまえと思っている人もいっぱいいるでしょう。自分達の利権を温存する為に国家に守って貰っているという事によって肝腎な所は国家に握られている。

補正予算15兆のうち1800億が警察関係の予算。これだけを聞くと別に15兆のなかの1800億なのでそれほどでもないような気がしますが、警察の毎年の本予算は2600億。漆間官房副長官の力かなんだか知らないけれど、補正で3分の2以上の予算が流れている。何に使うのかと思ったら、Nシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)が全国に今800台ある。これに700台補正によって増やして、全国で1500台にするという話になっている。いきなり監視国家に更に邁進するという動きが出ている。

全く何が景気対策だって話です。やりたい放題の裁量を握っていて、国民をガチガチに監視出来るようになれば、いくらでも邪魔者を排除出来る社会になってしまう。安心安全という錦の御旗を掲げて、恐ろしい社会がもう目の前まできているかも知れないにもかかわらず、マスコミは全くその事を報じやしない。

盗聴法の時と似た議論で、犯罪の予防の為にNシステムを稼働させておくというのは、まあ予防になんかなりませんが百歩譲っていいとしよう。しかしそれに捜査員がアクセスしていいというお墨付きを与えるには、どのような令状や手続きが必要で、見たものがその後どのように処理されるのかというのが全くのブラックボックスであり、完璧に国家の裁量になってしまっている。その事が問題で、こういう捜査権の拡大のような事があれば、普通であれば各国必ず最小化措置というのが取られる。アメリカの警察は盗聴が出来るけれど、試し聴きというのが出来ないようになっている。

日本の場合はそういう最小化措置を盛り込もうという仕組みが作動しない。試し聴きと称していくらでも試し聴きしてしまう事を許してしまうような警察権力の拡大、恣意的な裁量を与える事を防止出来ないしチェックも出来ない。

NシステムならNシステムの運用が適正に行なわれるという事を確実化するような法的な枠組みを作り、その事をチェックするお手盛りではない第三者委員会のようなものが無ければ、基本的には国家は何でもする。

自分が映っているものが自分では確認出来ないという自己情報制御権が担保されていないという、行政機関が握る自分の情報を開示させるという事が出来ないという事が問題。それは自分の情報なんだから情報開示はプライバシーの侵害にはならない。裁判員制度の中のカミングアウト禁止法でも、裁判員を守る為に禁止だという話になるが本人がカミングアウトしたいという事を罰するというような、おかしなロジックを使って来る。

捜査の可視化とか、自己情報制御権をつかって警察が握っている自分達の情報を開示しろという話をすると、必ず反論として捜査の障害になるというのが出て来る。しかしそういう反論は全くのお門違いで、何の為の行政であるのかというのを勘違いしている。例え捜査の障害になってもいいから情報を出せというのが、国家をチェックする我々としては取るべき態度です。

捜査活動の障害になるというのは不定形な利害を持ち出して相手を脅している事になる。情報が開示されれば、それがどの程度捜査の障害になりうるのか、それが単なる脅しではないのかという事を含めて判断が出来るので、そういう判断を市民にさせろというのが近代国家の本義。その上で捜査の障害になり得るなという事が共有出来て初めてクローズにするという事に正当性も生まれる。出さなければ何も分からない、出さない事の正当性も問われない。出さないという事すらも認識出来なくなってしまう。たかが行政官僚ごときに権力を与えるとロクな事が無い。

薬のネット販売の問題もしかり、日本薬剤師連盟というのがあって、過去三年間だけでも大雑把に言って15億くらいが政治家に献金されている。そのうちの8割9割が自民党の政治家にカネが流れている。ネット販売云々よりも薬剤師にとって薬屋に薬剤師がいないと薬が売れないというのはもの凄い既得権。たかが風邪薬を買うのに薬剤師のサポートなんて必要ない。こういう事もメディアは全く報じない。

風邪薬も飲み方を間違えると、危険であるという話がなされるが、そんなもん薬じゃなくたってどんな食べ物だって飲み物だって、必要以上に摂取すれば危険であるのは変わらない。民主党の第三者委員会への反論なんてしているヒマがあるのなら、こういう事を報じるのが責務であるはずなのに、国家のケツを舐め、国民から搾取する構図に乗っかって利権を貪る最低の連中です。殆どチェックもしなければリサーチもしない。官報よろしく垂れ流すというのを思考停止で繰り返している。

薬剤師から国会議員になっている人間というのは結構多くて、そういう所に必ず多額の献金が流れている。これが法案審議を歪めているとなれば犯罪であり、西松どころの話じゃない。検察は西松社長の冒陳で、全く別の事件で反論も出来ない小沢の案件の正当性を主張する為に「天の声」云々の話をしていましたが、小沢の場合は野党ですので、結局は法案審議を歪ませる事は簡単に出来るもんじゃない。日本薬剤師連盟から献金を受けている与党議員が薬剤師の既得権の為の法律を、偶々薬剤師の既得権とは無関係に本当に市民の安心安全の為に法律を作っているなんて事はあるわけが無い。間違いなくそこには犯罪があるわけで、チェックが働かないからこういう事が野放しになる。

麻生がバカだというのはもう分かっているし、不人気であるというのも十分分かっている。解散も近いうちにあるわけだし、何日なんて競馬の予想みたいな話はどうでもいい。要するに自分達の夏休み問題と絡むから騒いでんじゃねえの?って感じです。そんな事よりもその影で役人達がやりたい放題にこの国を滅茶苦茶にしている。これではただでさえ弱みを抱えている民主党が政権交代を起こしたって手のほどこしようが無くなってしまう。相当将来にわたって暗い時代を過ごさなきゃならなくなってしまう。その事をどうしてくれるんだという話です。

民主党の党首選自体、ちょっと茶番がかっていましたので、たいした話はしてませんでしたけれど、岡田氏の言っている事も鳩山兄の友愛社会と似ています。小沢氏の頃で言えば「政治とは生活だ」でしょうか。要するに、政府にお任せのメンタリティを卒業して社会の側の厚みを取り戻すという事をおっしゃってましたので、基本的には両氏とも政策には大差ないと思います。多分民主党の中では、細かい差があっても一応のコンセンサスにはなっているように感じます。一部変わった人もおりますが。

そしておっしゃるように彼の言っている事自体が「頑張れなくともそこそこ報われる社会」に近いのではないかというのも、自分もそう思います。なので、言い方に気をつけてほしいと思うわけです。せっかく何を成すべきか分かっているのだから。

岡田さんは言い方が固いのが気になるのです。あえてトボケてマスコミにデコイをまく為にやるような人には見えませんから、口にしちゃった事が後から彼や民主党自体を追い込んで行く事になりかねない。あの生真面目さがいい方向に向いている時はいいのですが・・・・・と、気になってしまうのです。まあそれでも以前の代表を務めた時に比べると段違いで柔らかくなったなという印象もあるんですけどね。もちろんそういう生真面目さが今の与党の主要ポストについているふざけた連中よりは信用出来る部分ではあるんでしょうけれど、足を引っ張る輩が多いですからね。言うべき所をキチンと書いて、それでも支持しますというのが当ブログのスタンスです。批判は批判、支持は支持です。

結局何の旗を掲げるかという事で、現時点の日本では、何をするかというよりも、どうやって市民の合意を調達するのかという事を考えないと何も話が進まない時代になってしまっていると思います。

要するにどのように舵取りをしようとも今後当分の間は多分上手く行かない。不満を言う輩が結構なボリュームで出て来る。日本は人口が多すぎますし、そのバランスが悪すぎます。これだけ複雑化してしまった世界では、一体全体何を成せば本当に合理的決断であるのか?という事を実際に誰も分からなくなってしまっているというのもあるし、その事をみんなが合意するというのも不可能です。理解出来ないだけでなく、実際にある人にとって合理的でも、ある人にとって不合理になってしまう。

戦後の日本の経済成長のような成功体験は二度と味わえるわけもないですし、成すべき事が山積していてもどこから手をつけるのかで、副作用も変わって来てしまう。散々市民に開けとか言っといてなんですけど、市民の民主的な決定がなければ合意が調達出来ないシステムというのは、もうその時点でシステムとしては欠陥であるといえます。アメリカみたいな国というのは、非常に特殊な例でしょう。

これはハーバマスの生活世界の空洞化をコミュニケーションで埋めよという話、要するに市民の討議による合意で空洞化の穴埋めをするという話に対して、ニクラス・ルーマンが論争して批判した論点の一つで、一般的にはルーマンに軍配が上がっています。そもそも我々は合意が最初にあって社会を営んで来たのではなく、理由も無く昨日もそうだったから今日も明日もそうであるという根拠のない信頼に基づいて社会を営んで来た。それで上手く回っていたわけです。もしくは上手く回っていなくともその事に気付かなかった。日本ではその信頼がすでに破壊されてしまっていて、復活させた国は歴史上一つもない。自力で短期で人工的に作り出した例もない。数百年単位の長い蓄積を必要とします。知っちゃったら知る前には戻れない問題、知らぬが仏問題と言えます。

いちいち人々の合意なんて無くたって、システムのそれぞれのロールを担う人々が一定の数必ず生まれて成長し、人々がそれぞれなんで上手く行っているのか知らないけれど、上手く回っている社会、つまり散々批判してますが、お任せ出来るシステムというか、お任せしていて大丈夫だと思えるシステムというのは、実は一番合理的且つシステムとしては理想的なシステムであると言えるわけです。その信頼が崩れ去って、いちいち合意がなければ前に進めないような状況、誰も彼もが納得いかないような疑心暗鬼が蔓延しちゃっている状態のシステムというのは、すでにシステムとしては、もう機能していない事を示しています。だから明治維新なんかが起こったわけですね。要するに変動期を向かえているといえます。

合意がなければ前に進めない状況というのは、コストもかかりますし必ず失敗もする。民主制の限界がそれを示しています。会議ばっかりやっている会社はロクなもんじゃないとよく言いますよね。しかしそれしかシステムを駆動させるものが無くなってしまっていれば、最悪だけど、それしかないから合意に開くしかないわけです。

昔の統治権力が偉くて、もしくはシステムのロールを担うそれぞれの人が、今が劣化しているというように見えるのも、本当に劣化している側面もあるかもしれませんが、根拠も無く信頼していたものの実情がバレてしまったからそう見えるという側面が強かろうと思います。人が劣化したというより時代が変わったので人も変わってしまった。

テクノロジーの変化だけでも、人は簡単に欲求するものや、時間の配分も変わってしまいます。それだけで世界の見え方も変わってしまう。そして変わってしまったら元通りにはならない。意識的に戻そうとしてももう別のものに変化してしまう。

なので本当はかなり絶望的な状況に追い込まれているといえます。更にこれを言うと身も蓋もないのですが、システムが安定している時というのは人の問題よりも仕組みの問題を考えた方が上手く行くのですが、今のような変動期というのはシステムをいじってもすぐに効果が無くなってしまい、もしくはをいじってもこぼれ落ちる人が多くそれが膨大な数に及んでしまいます。すぐに梯子はずしが始まってしまう。安定期のようにこぼれ落ちる人もいるけれど大多数はカバー出来るような政策は打てない。打てたとしても一瞬しか続かない。時代の変化に追いつかない。それは統治権力の有能無能とはまた別の話です。なのでこういう時は人の問題を考えた方が上手く行くともいえます。

政策は失敗する事を前提に考えた方がいいと思いますので、副作用を慎重に吟味して余計な事はさせないような縛りが必要でしょう。政策で人々を満足させるという事を考えるよりも、不満でも尊厳を持って生きられるような社会をいかに構築するのかを考える必要があります。社会全体で何かを信頼するというのは不可能にしろ、人が人を信頼するというのは比較的簡単な話です。それを直接政府がやるというのは無理なので、そういう事が可能な社会を国家が再構築の手助けをし、社会が人にとってのクッションとなるように設計し直す必要があるのではないかと。

多分その事を岡田さんにしろ、鳩山のあんちゃんにしろ(民主党の主要なメンバーだけでなく、本当は一部の自民党の人も)、分かってらっしゃるように自分には思えます。その事を伝える伝え方がが今イチ上手くないなと思ってしまうのです。まあ期待の裏返しですね。その意味であえて厳しく書いたわけです。政権交代も起こりそうな感じですし、鳩山兄があの体たらくでは岡田さんが首相になる可能性も十分あるわけですから。
久しぶりに更新します。覚えてらっしゃいますか?三日坊主でございます。いきなり長期にわたってお休みしてしまい申し訳ありませんでした。体調を崩してから諸事情が重なり、先月は更新を断念しておりましたが、やっと落ち着いて来ましたのでぼちぼち更新かましていこうかと思う次第です。まあ長く休んでいますと、書きたい事が多すぎてまとまらないと思いますが、少しずつ問題を掘り起こして行こうかとおもいます。

久しぶりなので何を書こうかと悩ましい所ですが、少しずつエンジンを暖めながら書いていくとしましょう。それではおっぱじめます。

さて下らな過ぎて鼻血も出ない、腐りきった統治権力についてあれこれ書きたい所ですが、今一番当ブログ的にホットな話題であり、なんか言えよという話題と言えば、民主党の鳩山兄の政治資金虚偽記載問題ではなかろうかと思います。読売や産経的な自民党万歳的な気持ち悪い翼賛メディア的に言えば断固追求すべしと拳を振り上げて君が代を熱唱する所でしょうし、リベラルを装う前大戦では最前線で旗ふり役をつとめたなんちゃってリベラルの朝日や毎日的に言えば自分のカネなんだから何も問題は無いという話になるのでしょう。というか記者クラブを開放するって言っちゃったから、とりあえず民主党潰せってモードなのかもしれませんね。

自分は政権交代最優先とは思っておりますが、今回の鳩山兄の一件は致命的な一件だと思ってしまいます。小沢と同じオープンな会見を行なった事に関しては一定の評価は出来るかもしれませんが、それはむしろ政治家としては当たり前の話であり、それも出来ない自民党のクズ共が最悪だという事でしかない。いくら開いたとしても中身が最悪なら最悪だと言う必要がある。お手盛りの弁護士を第三者と装い、政治家得意の全部秘書がやった事という逃げの醜さは言うに及ばず、決定的なのは細かくは触れませんが税務署、要するに財務省に弱みを握られてしまった可能性が大です。これで政権交代が起こってもラディカルな変革は鳩山が党首である以上あり得ないという事がほぼ確定したという事です。

自分は基本的に、であったとしても政権交代が起こり得るという事が重要であると考えておりますが、政権交代が起こるとしても、何らかの変革が起こるのは更に何年も先の話で、今度の選挙で政権交代が起こるとしても、あまり期待は出来ないだろうという事です。

そもそも小沢の問題が発覚した当初、とっとと辞めろと書きましたが、その後、小沢が居座るのをみて、居座るのであれば徹底的に戦えと論調を変えました。しかし小沢は辞任する。その際何があったのか?まあ冷静に見れば簡単な話ですが、なぜ辞任したかと言えば検察とバーター取引をしたわけです。要するに小沢が代表を辞めさえすればパクらないと。

これに屈して代表の座を降りた。検察とバーター取引しているのだから、政権交代が起こったとしても、この国の最も問題のある部分には切り込めないという事を表明した事と同義と言えますので、その段階で民主党へ期待は出来ないなと思っておりました。ただ政権交代が起こり続ける社会に期待をしていただけです。

そこにきて今回の鳩山兄の問題。これも面倒くさいので細かい説明ははぶきますが、多分鳩山兄は隠している事があると思われます。しかもそれは選挙向けに世論には隠す事は出来ても、役人にはすでにバレている。であるからには役人の権益に切り込むなんて事は出来るわけが無いので期待するだけ無駄だという事です。

しかも副代表である岡田にしてもそうですが、彼は副代表に就任した際の会見でもハッキリと言っています。小沢の西松疑惑が発覚した際に鳩山兄なんかがやった検察批判に対して、政治家である以上、国家権力の機関を軽々しく批判するような事は慎むべきであると。

ちょっと聞くと正論のように聞こえますが、その国家権力の機関が憲法意志を踏みにじって憲法違反もおかまいなしに、法律すら踏み越え、かってに法律をねじ曲げて、主権を侵害してやりたい放題にやっているのですから、そりゃ建て前は分かりますが政治家がそれに歯止めをかけなければ絶対に阻止なんて出来ない。じゃあ誰が阻止するのだ?本当に革命でも起こせとでも言うのか?その政治家が批判は慎むべきであるなんて寝ぼけた事を言っているから役人共の独壇場になってしまっているという現状が、事ここまで来ているにも関わらず見えていない。完全にズレた感覚の持ち主である事を表明している。

こういう既得権擁護的な物言いが以前からあったから、マスコミも彼をバックアップし、党首を決める際も鳩山兄に対してトリプルスコアの差を付けて、マスコミに煽動された世論が岡田を支持していたわけです。小泉政権のときの岡田副代表なんてあれほど人気がなかったにもかかわらず。

つまり霞ヶ関との勝負は今の時点ですでに相当ついています。そりゃ政権交代が起これば、ある程度の情報開示と人事の刷新、政策の見直しなどが起こるのは間違いありませんが、この国の最も問題のある中核の部分には相変わらずアンタッチャブルであるという可能性が強まったという事です。

記者クラブを本当に開けば、相当意義のある変革にはなりますが、おそらく現時点でもそうですが、マスコミからの反発もあるだろうし、足を引っ張られるでしょうから、世論もそれに動かされてしまう側面もあるでしょう。何も進まないうちに潰れてしまう可能性も十分ある。

裁判員制度の問題に対する煮え切らない態度も頭を抱えてしまいます。自民党に族議員がいるのと同じで、民主党にも裏族議員みたいなのがいる。何が何でも裁判員制度を通すのだという輩です。そういう連中の分裂を恐れ、党首である鳩山も問題があるとは思っているけれど、党の決定には従うと言った感じで賛成してしまっている。選挙で勝ったら総理大臣になる男であるのに、要するに族議員との調整の為に、問題があると思っても改革が出来ないと公言している事になる。困った話です。

それに加えてこちらは予想通りですが、岡田副代表も党としてはすでに裁判員制度は賛成という事で決まっている事。であるから党議拘束も当然。決まった事は決まった事、ルールはルールだと、予想通りとは言え頭が痛くなって来る反応でした。一部の議員が裁判員制度に待ったをかける超党派の議連に参加している事に対して、遠回しに不快感を示している。いったん決まったらもう後から吟味をしたり、見直したりしないというのでは、この国の全てに言えるいったん始まるとブレーキを踏めない構造をモロに抱えている事になる。

後から問題だったという事に気付いたら、全会一致で決まっていても、もう一度見直してみるという事が出来なければ、この国の全てに言えるいったん始まったら不合理だとわかっていてもブレーキが踏めない、戦前で言えば誰かが止めてくれると思った、反対出来る空気ではなかった的な構造問題に切り込む事なんて絶対に出来ない。彼のそういう頭の固さが既得権者が支持している所なのでしょう。

今回のこの制度はどちらかと言うと「左翼系」(あくまでもカッコ付きですよ)の人間であればあるほど、この法案に賛成している。弁護士なんかも人権派っぽい人ほど賛成しているという不思議な構図がある。社民党なんかも党首の福島瑞穂だけは賛成している。市民に開くという所がそれ系の連中にとって魅力的なのか、もしくは絶対に国家には勝ち目のない現状の裁判制度で、市民に開く事によって僅かでも前に進めると考えているのか?いずれにせよイデオロギーに殉じてしまう所がある。とりあえずやってみようってな感じで。これがこの国の左側の弱点で、最大の問題。

何を意味するのかと言えば、彼らにはチェック能力が無いという事を示している。自分達の信じるイデオロギーに近い政策だとしても、それはそれとして分離して、政策自体の中身が不合理なら、待ったをかけられるかどうか、それが出来ていない。この国がここまで腐りきっている原因は与党の腐れっぷりももちろん大きな要因ではありますが、それを牽制する勢力にチェック能力が無いからでもある。もちろんイデオロギーに殉じるといえばバカ保守も似たようなもんですけど。

冷戦体制の頃であればそれでもよかったのかもしれないけれど、イデオロギーはイデオロギー、実際の政策は政策という事で切り離して、例えば自分が大っ嫌いの思想の持ち主が掲げた政策であったとしても、その中身が合理的であり必要であると認められるものであれば賛成する。もしくは自分の掲げるイデオロギーを満たすような政策であったとしても、不合理な部分があればそれを認めて正すという姿勢が無い。組合系が単なる利権団体と化しているのもそこに要因がある。

例えるのなら、随分前にあった映画「靖国」が話題になっている時に、自民党のインチキ保守議員が吹き上がっていた。これに対して左側は一斉に攻撃を始める。本当のリベラルであれば、例え靖国万歳、日の丸君が代断固決然のバカが相手だとしても、嫌いな映画を嫌いだという権利くらいはある。不愉快なものを不愉快だというのは自由なはずです。弾圧にならない程度であれば、言論の自由の侵害には当らない。逆に言葉狩りをして言論弾圧している事に気付いていない。そういう時はアイツの言っている事は大っ嫌いだし、ムカつくけれど、アイツが嫌いなものを嫌いだという自由は尊重すべしと、インチキリベラルを切り捨ててこそ真のリベラリズムというもの。

まあ気持ちは分からないでも無いけれど、明らかにこの裁判員制度には問題点がありありで、しかもそれが表に出て来ないような仕組みになっている。問題のある部分をもう少し詰めてからだっていいはずなのに、十分検察や国家側はこの制度にする事によって取れる権益はすでに取っている。せめて民主党がもう少し骨のある対応をしてくれれば、待ったがかかったかもしれないのに。

繰り返しますがであったとしても政権交代は必要であり、それは民主党を支持する事とは別問題であると言っておきます。今度の選挙で政権交代が起こったとしても何も変わらないでしょう。ひょっとするともっと悲惨な状況になるかもしれません。だとしても、政権交代は必要であり、その事を繰り返して行く事によって初めて民主制が機能し始める。主権を国家権力者から取り戻す事が出来る。その為の第一歩が次の総選挙であるという考えは変わりません。

岡田副代表の感覚がズレているとは言いましても、彼は比較的クリーンでしょうし、真面目な人なんだろうとは思えますので、悪い人ではないのだろうとは思いますが、彼だけじゃありませんが、民主党が掲げている「頑張れば報われる社会」的な言い方というのには非常に違和感を感じざるを得ません。何を言っている事になるのか?本当に分かっているのでしょうか?

岡田さんは前に党首だったときから「頑張れば報われる社会」「日本を諦めない」とか言って戦っていましたが、頑張れば報われる社会、即ち頑張らないと報われない社会というのはつまり、アイツは頑張っていないから報われなくてもいい社会、優勝劣敗、弱肉強食の社会と一歩間違えれば隣り合わせであるという事を自覚しているのでしょうか?何を見て頑張っていると判断するのか?結果か?それともプロセスか?頑張っているかどうかなんてのは所詮主観の問題でしかない。新自由主義的なものの対立軸として示しているつもりなんでしょうが、ようは言っている事が同じになっているという事に気付いていないのか?新自由主義の対立軸として提示するのなら、頑張らなくとも、もしくは頑張れなくともそこそこ報われる社会。頑張らないのに必要以上に報われている人の権益を剥がして再配分する社会と言った方が適切なんじゃないのか?と思えるわけであります。

もうすでに今の日本の状況からしますと、頑張らなくともそこそこ報われる社会というのは、ほぼ実現出来そうも無い。頑張らないのに必要以上に報われている人から権益を剥がして再配分しても、ある程度の格差は受け入れざるを得ません。つまり本当は地方分権にしろ、各省庁の既得権の見直しにしろ、政府を小さくするという新自由主義的な路線は継承せざるを得ないのが現状であり、そうなれば格差はより激烈になり、頑張っても報われるかどうか分からない。頑張らなければ報われない社会にしか出来ない。

その上で、今は頑張っていないけれど既得権にしがみついて暴利を貪っている輩が沢山いるので、せめてそこから権益を引っぱがして再配分し、頑張ったかどうかは別にして、せめて生きて行けて、最低限の教育、医療くらいは受けられる社会へと変化させる。最低限のスタートラインは揃えて、そこからの競争でついた格差はしょうがないという社会。対立軸としてはそれしか道はない。役人の権益を叩いて、地方分権を叫んで、大きな政府というのでは無理がある。絶対にこの国の政治家ごときでは舵取りなんて出来る能力は無い。そうなると建前上は自民党の小泉竹中が言っていたのとたいして変わらなくなってしまう。その事に敏感になってもらいたいと思うわけであります。

自民党の小泉的なインチキ新自由主義路線というのはスタートラインは揃えていないし揃えようともしていない。権益を引きはがすどころかより強化し、今の自民党政権ではより鮮明に既得権護持に変化している。ディスクロージャーも全く無い。裁判員制度のように法律のプロフェッショナル達の正統性が残っているような分野を、素人の市民に開いて、責任の分担を図るような事はすぐにやるのに、誰も信じちゃいない統治権力の腐敗した構造を可視化して市民に開くような事は利権が減るという事でしらばっくれている。しかも何の計画も無くその状態で権限を中央が握ったまま末端を切り捨ててしまったので、政府はより強化され、社会がスカスカになってしまった。

なので鳩山兄が掲げる友愛社会という言い方というのは、甘っちょろいなんて批判もされますが、非常に的確な所をついているのは確かです。批判している人は政治学の現在の常識をわきまえていないたわけであるという事です。つまり政府にお任せではどうにもならない時代になっている。市民社会の側から巻き返して、公を国家に牛耳られたままにするなという事でしょう。市民一人一人が政治や社会にコミットし、政府のサービスを口を開けて待っているだけではダメであると。その時に社会がスカスカで仲間以外は皆風景の現状では、単なる弱肉強食にしかなり得ない。だから友愛なんだという事になる。

ハーバマス的に言えばシステムの全面化による生活世界の空洞化が起こっているわけで、その穴埋めをする為に市民の討議、要するにコミュニケーションによる巻き返しが必要なんだという話になる。友愛の無い討議では単なる喧嘩になってしまいます。

単なる理念としてそれを言うだけではダメで、そんなに暇じゃないという人もいるでしょうから、可処分時間を増やさないと上手く行くわけが無い。ワークシェアによる仕事の分かち合いによって市民の時間を増やす。その事によって仕事が減ってしまう人は収入は減る事になりますので、民主党的に言えば組合系が確実に足を引っ張るでしょう。旧社会党及び、現状の社民党と言った連中と連携するのはいいけれど、昔ながらの時代遅れの再配分というのでは絶対に100%上手く行かない。単なる奪い合いにしかならない、平等の外側に不平等を生み出さないと不可能な時代になっている。教育の改革も必要でしょう。今のように親の収入が直接教育格差になるような制度設計では問題外です。

殆どの国民の感情的にも、マスコミなんかが報じる紋切り型のクソ報道にしても、お任せ出来るのは自民か民主かという不毛な比較になっている。必ず民主党は頼りないという話になる。政治家ごときや官僚ごときに舵取りなんか任せていたら、この国は沈没するでしょう。もうそういう時代じゃない。この期に及んでまだ国家権力なんかを信用するのか?って話です。それは必要ないと言っているのでもない。それでも国家権力は必要不可欠なものです。必要だけど危険なものであり、それを監視して余計な事をさせないようにして行くのがこれからの政治の有り様なんだという事をハッキリ言った方がいい。市民が時間と手間とコストをかけて行く時代なのだと。

そうなると必ず民主制の問題点、民主的な投票によって最も不合理な決定をしてしまう問題が必ず出て来ます。無知蒙昧な市民になんて任せていたら、とんでもない事になるぞと。一番下らない物言いです。いいんです。民主制は間違える。民主的な決定は間違える。市民がコミットしたから世の中が善くなるわけではない。独裁者を生み出す事もあるし、戦前の日本のように戦争を望む場合もあり得る。みんなで決めて合意した事が大失敗になるという事は十分あり得る。アメリカのブッシュ前大統領の例じゃありませんが、民主的な決定によってとんでもない過ちを犯す事もある。

しかしそんな事は百も承知、アメリカだって何でも民主的に決めますけれど、アメリカが凄いのはだからと言って民主制が正しい答えを導きだすなんて微塵も思っちゃいない。間違えないからとか、間違えるから制度を選ぶのではない。もはや今の日本には民主的な決定以外に合意のプロセスはあり得ない。何も信じられる正統性を持ったものが無い。役人なんて信用出来ないし、政治家だって信用出来ない。お上にお任せでここまで来て、こんなに社会が滅茶苦茶になってしまった。民主的な決定が間違えるから現状の仕組みを温存するという話には、何の正当性も無い。市民が学べば戦争をしないという決定もまた出来る。その事が尊いのです。

以前のこの国であればお上にお任せでも上手く行ったとは言いませんが、なんだかんだで国民が納得していた。小泉以降それが完全にぶっ壊れてというかぶっ壊れていたのがバレて、信用出来ない時代に変化した。それはネットの普及が原因のいったんではあるだろうし、バブル以降の長期にわたる不況が大きな要因でしょう。現状の日本は何も信用出来るものなど無いにも関わらず、相変わらずお上にお任せしてしまっている。だからどのように舵取りをしようとも、結局は殆どの人が納得出来ない。何をやっても文句がいっぱい出て来る。それは市民がコミットして決めたとしても同じ事かもしれませんが、みんなで合意して決めた事であれば人のせいに出来ない。だから失敗から学ぶ可能性を提供してくれる。

正統性とは理由が無い。何で天皇が偉いのか?天皇だからとしか言えない。もちろんそう思えない人もいるでしょうけれど、正統性とはそういうものです。いろいろ理由を列挙出来ても、最終的には明確な理由も無く信用出来るのが正統性なのです。もはや日本ではというか日本でも、多くの近代成熟期を迎えた国家では少なからず起こる事ですが、そういうものが無くなっている。学校の先生は偉いなんて誰も思っていないし、政治家が偉いなんて誰も思わない。役人なんて泥棒の類いと一緒だと思っているし実際にそう。マスコミが正しい情報を流しているなんて誰も信じちゃいない。いったん壊れてしまった正統性というのは復活出来ない。

正統性が何も無ければ、間違えようがなんだろうがみんなで決めるしかない。誰かにお任せしたって上手く行くわけないし信用出来ないのだから、徹底的に情報開示をして、市民が自らコミットする以外に無い。そういう時代に変化している。要するに本当の意味での自己責任の社会であり、自己責任を取れるだけの情報とリソースをキチンと配分し、最低限のセーフティネットを整備する必要がある。小泉改革の頃のような情報も開示しなけりゃ権限も渡さず、あらゆるリソースを既得権が牛耳ったまま、ただ末端を切り捨てての自己責任とは全く意味が違います。

その為の制度設計をする事が重要であり、情報を開示されてもそれを判断する能力が無いと意味がないので、リテラシーの獲得の為に教育を改革しないとどうにもならない。啓蒙であるマスコミも開かなきゃどうにもならない。紋切り型の思考停止のクソ報道じゃ国民が賢くなんてなりっこ無い。国民をバカなまま管理して行く時代では無い。ある程度、市民一人一人の自己決定によって決められるような社会にする必要がある。個に分断されて単なる奪い合いにならないように、社会の厚みと繋がりを復活させる必要がある。友愛社会というのはそれを非常に的確に言い表してはいる。せっかくそういう事も分かっているのだから、頑張れば報われるかどうかなんてのはどうでもいい話です。

さて民主党についてはまだ書く気になりますが、自民党の蛆虫共についてはもう何も言う事は無いくらいに終わっています。基本的にマスコミも含めて、与党のバカ共は与党対野党の図式から、与党の中の対立軸にずらそうと躍起になっています。小泉政権の時と同じですね。前回の総裁選の時点で、任期満了、総裁選がもう一度ある。と予想していた自分としましては、せめてその予想は外れてくれまいかと思っていたのですが・・・・・・現状の与党議員は相当数使えないゴミしかいない。それは野党も一緒かもしれませんが、与党でそれだと本当に困る。

無知無教養な恥知らず麻生は政権にしがみつき、醜いを通り越して哀れにすら感じて来ます。まだ自分の愚かさが自覚出来ないのだから救いようが無い。全く惨めな男です。同情の余地もない。与党もボロクソに書いてやろうかと思いましたが、それはまた次回で。