久しぶりに更新します。覚えてらっしゃいますか?三日坊主でございます。いきなり長期にわたってお休みしてしまい申し訳ありませんでした。体調を崩してから諸事情が重なり、先月は更新を断念しておりましたが、やっと落ち着いて来ましたのでぼちぼち更新かましていこうかと思う次第です。まあ長く休んでいますと、書きたい事が多すぎてまとまらないと思いますが、少しずつ問題を掘り起こして行こうかとおもいます。

久しぶりなので何を書こうかと悩ましい所ですが、少しずつエンジンを暖めながら書いていくとしましょう。それではおっぱじめます。

さて下らな過ぎて鼻血も出ない、腐りきった統治権力についてあれこれ書きたい所ですが、今一番当ブログ的にホットな話題であり、なんか言えよという話題と言えば、民主党の鳩山兄の政治資金虚偽記載問題ではなかろうかと思います。読売や産経的な自民党万歳的な気持ち悪い翼賛メディア的に言えば断固追求すべしと拳を振り上げて君が代を熱唱する所でしょうし、リベラルを装う前大戦では最前線で旗ふり役をつとめたなんちゃってリベラルの朝日や毎日的に言えば自分のカネなんだから何も問題は無いという話になるのでしょう。というか記者クラブを開放するって言っちゃったから、とりあえず民主党潰せってモードなのかもしれませんね。

自分は政権交代最優先とは思っておりますが、今回の鳩山兄の一件は致命的な一件だと思ってしまいます。小沢と同じオープンな会見を行なった事に関しては一定の評価は出来るかもしれませんが、それはむしろ政治家としては当たり前の話であり、それも出来ない自民党のクズ共が最悪だという事でしかない。いくら開いたとしても中身が最悪なら最悪だと言う必要がある。お手盛りの弁護士を第三者と装い、政治家得意の全部秘書がやった事という逃げの醜さは言うに及ばず、決定的なのは細かくは触れませんが税務署、要するに財務省に弱みを握られてしまった可能性が大です。これで政権交代が起こってもラディカルな変革は鳩山が党首である以上あり得ないという事がほぼ確定したという事です。

自分は基本的に、であったとしても政権交代が起こり得るという事が重要であると考えておりますが、政権交代が起こるとしても、何らかの変革が起こるのは更に何年も先の話で、今度の選挙で政権交代が起こるとしても、あまり期待は出来ないだろうという事です。

そもそも小沢の問題が発覚した当初、とっとと辞めろと書きましたが、その後、小沢が居座るのをみて、居座るのであれば徹底的に戦えと論調を変えました。しかし小沢は辞任する。その際何があったのか?まあ冷静に見れば簡単な話ですが、なぜ辞任したかと言えば検察とバーター取引をしたわけです。要するに小沢が代表を辞めさえすればパクらないと。

これに屈して代表の座を降りた。検察とバーター取引しているのだから、政権交代が起こったとしても、この国の最も問題のある部分には切り込めないという事を表明した事と同義と言えますので、その段階で民主党へ期待は出来ないなと思っておりました。ただ政権交代が起こり続ける社会に期待をしていただけです。

そこにきて今回の鳩山兄の問題。これも面倒くさいので細かい説明ははぶきますが、多分鳩山兄は隠している事があると思われます。しかもそれは選挙向けに世論には隠す事は出来ても、役人にはすでにバレている。であるからには役人の権益に切り込むなんて事は出来るわけが無いので期待するだけ無駄だという事です。

しかも副代表である岡田にしてもそうですが、彼は副代表に就任した際の会見でもハッキリと言っています。小沢の西松疑惑が発覚した際に鳩山兄なんかがやった検察批判に対して、政治家である以上、国家権力の機関を軽々しく批判するような事は慎むべきであると。

ちょっと聞くと正論のように聞こえますが、その国家権力の機関が憲法意志を踏みにじって憲法違反もおかまいなしに、法律すら踏み越え、かってに法律をねじ曲げて、主権を侵害してやりたい放題にやっているのですから、そりゃ建て前は分かりますが政治家がそれに歯止めをかけなければ絶対に阻止なんて出来ない。じゃあ誰が阻止するのだ?本当に革命でも起こせとでも言うのか?その政治家が批判は慎むべきであるなんて寝ぼけた事を言っているから役人共の独壇場になってしまっているという現状が、事ここまで来ているにも関わらず見えていない。完全にズレた感覚の持ち主である事を表明している。

こういう既得権擁護的な物言いが以前からあったから、マスコミも彼をバックアップし、党首を決める際も鳩山兄に対してトリプルスコアの差を付けて、マスコミに煽動された世論が岡田を支持していたわけです。小泉政権のときの岡田副代表なんてあれほど人気がなかったにもかかわらず。

つまり霞ヶ関との勝負は今の時点ですでに相当ついています。そりゃ政権交代が起これば、ある程度の情報開示と人事の刷新、政策の見直しなどが起こるのは間違いありませんが、この国の最も問題のある中核の部分には相変わらずアンタッチャブルであるという可能性が強まったという事です。

記者クラブを本当に開けば、相当意義のある変革にはなりますが、おそらく現時点でもそうですが、マスコミからの反発もあるだろうし、足を引っ張られるでしょうから、世論もそれに動かされてしまう側面もあるでしょう。何も進まないうちに潰れてしまう可能性も十分ある。

裁判員制度の問題に対する煮え切らない態度も頭を抱えてしまいます。自民党に族議員がいるのと同じで、民主党にも裏族議員みたいなのがいる。何が何でも裁判員制度を通すのだという輩です。そういう連中の分裂を恐れ、党首である鳩山も問題があるとは思っているけれど、党の決定には従うと言った感じで賛成してしまっている。選挙で勝ったら総理大臣になる男であるのに、要するに族議員との調整の為に、問題があると思っても改革が出来ないと公言している事になる。困った話です。

それに加えてこちらは予想通りですが、岡田副代表も党としてはすでに裁判員制度は賛成という事で決まっている事。であるから党議拘束も当然。決まった事は決まった事、ルールはルールだと、予想通りとは言え頭が痛くなって来る反応でした。一部の議員が裁判員制度に待ったをかける超党派の議連に参加している事に対して、遠回しに不快感を示している。いったん決まったらもう後から吟味をしたり、見直したりしないというのでは、この国の全てに言えるいったん始まるとブレーキを踏めない構造をモロに抱えている事になる。

後から問題だったという事に気付いたら、全会一致で決まっていても、もう一度見直してみるという事が出来なければ、この国の全てに言えるいったん始まったら不合理だとわかっていてもブレーキが踏めない、戦前で言えば誰かが止めてくれると思った、反対出来る空気ではなかった的な構造問題に切り込む事なんて絶対に出来ない。彼のそういう頭の固さが既得権者が支持している所なのでしょう。

今回のこの制度はどちらかと言うと「左翼系」(あくまでもカッコ付きですよ)の人間であればあるほど、この法案に賛成している。弁護士なんかも人権派っぽい人ほど賛成しているという不思議な構図がある。社民党なんかも党首の福島瑞穂だけは賛成している。市民に開くという所がそれ系の連中にとって魅力的なのか、もしくは絶対に国家には勝ち目のない現状の裁判制度で、市民に開く事によって僅かでも前に進めると考えているのか?いずれにせよイデオロギーに殉じてしまう所がある。とりあえずやってみようってな感じで。これがこの国の左側の弱点で、最大の問題。

何を意味するのかと言えば、彼らにはチェック能力が無いという事を示している。自分達の信じるイデオロギーに近い政策だとしても、それはそれとして分離して、政策自体の中身が不合理なら、待ったをかけられるかどうか、それが出来ていない。この国がここまで腐りきっている原因は与党の腐れっぷりももちろん大きな要因ではありますが、それを牽制する勢力にチェック能力が無いからでもある。もちろんイデオロギーに殉じるといえばバカ保守も似たようなもんですけど。

冷戦体制の頃であればそれでもよかったのかもしれないけれど、イデオロギーはイデオロギー、実際の政策は政策という事で切り離して、例えば自分が大っ嫌いの思想の持ち主が掲げた政策であったとしても、その中身が合理的であり必要であると認められるものであれば賛成する。もしくは自分の掲げるイデオロギーを満たすような政策であったとしても、不合理な部分があればそれを認めて正すという姿勢が無い。組合系が単なる利権団体と化しているのもそこに要因がある。

例えるのなら、随分前にあった映画「靖国」が話題になっている時に、自民党のインチキ保守議員が吹き上がっていた。これに対して左側は一斉に攻撃を始める。本当のリベラルであれば、例え靖国万歳、日の丸君が代断固決然のバカが相手だとしても、嫌いな映画を嫌いだという権利くらいはある。不愉快なものを不愉快だというのは自由なはずです。弾圧にならない程度であれば、言論の自由の侵害には当らない。逆に言葉狩りをして言論弾圧している事に気付いていない。そういう時はアイツの言っている事は大っ嫌いだし、ムカつくけれど、アイツが嫌いなものを嫌いだという自由は尊重すべしと、インチキリベラルを切り捨ててこそ真のリベラリズムというもの。

まあ気持ちは分からないでも無いけれど、明らかにこの裁判員制度には問題点がありありで、しかもそれが表に出て来ないような仕組みになっている。問題のある部分をもう少し詰めてからだっていいはずなのに、十分検察や国家側はこの制度にする事によって取れる権益はすでに取っている。せめて民主党がもう少し骨のある対応をしてくれれば、待ったがかかったかもしれないのに。

繰り返しますがであったとしても政権交代は必要であり、それは民主党を支持する事とは別問題であると言っておきます。今度の選挙で政権交代が起こったとしても何も変わらないでしょう。ひょっとするともっと悲惨な状況になるかもしれません。だとしても、政権交代は必要であり、その事を繰り返して行く事によって初めて民主制が機能し始める。主権を国家権力者から取り戻す事が出来る。その為の第一歩が次の総選挙であるという考えは変わりません。

岡田副代表の感覚がズレているとは言いましても、彼は比較的クリーンでしょうし、真面目な人なんだろうとは思えますので、悪い人ではないのだろうとは思いますが、彼だけじゃありませんが、民主党が掲げている「頑張れば報われる社会」的な言い方というのには非常に違和感を感じざるを得ません。何を言っている事になるのか?本当に分かっているのでしょうか?

岡田さんは前に党首だったときから「頑張れば報われる社会」「日本を諦めない」とか言って戦っていましたが、頑張れば報われる社会、即ち頑張らないと報われない社会というのはつまり、アイツは頑張っていないから報われなくてもいい社会、優勝劣敗、弱肉強食の社会と一歩間違えれば隣り合わせであるという事を自覚しているのでしょうか?何を見て頑張っていると判断するのか?結果か?それともプロセスか?頑張っているかどうかなんてのは所詮主観の問題でしかない。新自由主義的なものの対立軸として示しているつもりなんでしょうが、ようは言っている事が同じになっているという事に気付いていないのか?新自由主義の対立軸として提示するのなら、頑張らなくとも、もしくは頑張れなくともそこそこ報われる社会。頑張らないのに必要以上に報われている人の権益を剥がして再配分する社会と言った方が適切なんじゃないのか?と思えるわけであります。

もうすでに今の日本の状況からしますと、頑張らなくともそこそこ報われる社会というのは、ほぼ実現出来そうも無い。頑張らないのに必要以上に報われている人から権益を剥がして再配分しても、ある程度の格差は受け入れざるを得ません。つまり本当は地方分権にしろ、各省庁の既得権の見直しにしろ、政府を小さくするという新自由主義的な路線は継承せざるを得ないのが現状であり、そうなれば格差はより激烈になり、頑張っても報われるかどうか分からない。頑張らなければ報われない社会にしか出来ない。

その上で、今は頑張っていないけれど既得権にしがみついて暴利を貪っている輩が沢山いるので、せめてそこから権益を引っぱがして再配分し、頑張ったかどうかは別にして、せめて生きて行けて、最低限の教育、医療くらいは受けられる社会へと変化させる。最低限のスタートラインは揃えて、そこからの競争でついた格差はしょうがないという社会。対立軸としてはそれしか道はない。役人の権益を叩いて、地方分権を叫んで、大きな政府というのでは無理がある。絶対にこの国の政治家ごときでは舵取りなんて出来る能力は無い。そうなると建前上は自民党の小泉竹中が言っていたのとたいして変わらなくなってしまう。その事に敏感になってもらいたいと思うわけであります。

自民党の小泉的なインチキ新自由主義路線というのはスタートラインは揃えていないし揃えようともしていない。権益を引きはがすどころかより強化し、今の自民党政権ではより鮮明に既得権護持に変化している。ディスクロージャーも全く無い。裁判員制度のように法律のプロフェッショナル達の正統性が残っているような分野を、素人の市民に開いて、責任の分担を図るような事はすぐにやるのに、誰も信じちゃいない統治権力の腐敗した構造を可視化して市民に開くような事は利権が減るという事でしらばっくれている。しかも何の計画も無くその状態で権限を中央が握ったまま末端を切り捨ててしまったので、政府はより強化され、社会がスカスカになってしまった。

なので鳩山兄が掲げる友愛社会という言い方というのは、甘っちょろいなんて批判もされますが、非常に的確な所をついているのは確かです。批判している人は政治学の現在の常識をわきまえていないたわけであるという事です。つまり政府にお任せではどうにもならない時代になっている。市民社会の側から巻き返して、公を国家に牛耳られたままにするなという事でしょう。市民一人一人が政治や社会にコミットし、政府のサービスを口を開けて待っているだけではダメであると。その時に社会がスカスカで仲間以外は皆風景の現状では、単なる弱肉強食にしかなり得ない。だから友愛なんだという事になる。

ハーバマス的に言えばシステムの全面化による生活世界の空洞化が起こっているわけで、その穴埋めをする為に市民の討議、要するにコミュニケーションによる巻き返しが必要なんだという話になる。友愛の無い討議では単なる喧嘩になってしまいます。

単なる理念としてそれを言うだけではダメで、そんなに暇じゃないという人もいるでしょうから、可処分時間を増やさないと上手く行くわけが無い。ワークシェアによる仕事の分かち合いによって市民の時間を増やす。その事によって仕事が減ってしまう人は収入は減る事になりますので、民主党的に言えば組合系が確実に足を引っ張るでしょう。旧社会党及び、現状の社民党と言った連中と連携するのはいいけれど、昔ながらの時代遅れの再配分というのでは絶対に100%上手く行かない。単なる奪い合いにしかならない、平等の外側に不平等を生み出さないと不可能な時代になっている。教育の改革も必要でしょう。今のように親の収入が直接教育格差になるような制度設計では問題外です。

殆どの国民の感情的にも、マスコミなんかが報じる紋切り型のクソ報道にしても、お任せ出来るのは自民か民主かという不毛な比較になっている。必ず民主党は頼りないという話になる。政治家ごときや官僚ごときに舵取りなんか任せていたら、この国は沈没するでしょう。もうそういう時代じゃない。この期に及んでまだ国家権力なんかを信用するのか?って話です。それは必要ないと言っているのでもない。それでも国家権力は必要不可欠なものです。必要だけど危険なものであり、それを監視して余計な事をさせないようにして行くのがこれからの政治の有り様なんだという事をハッキリ言った方がいい。市民が時間と手間とコストをかけて行く時代なのだと。

そうなると必ず民主制の問題点、民主的な投票によって最も不合理な決定をしてしまう問題が必ず出て来ます。無知蒙昧な市民になんて任せていたら、とんでもない事になるぞと。一番下らない物言いです。いいんです。民主制は間違える。民主的な決定は間違える。市民がコミットしたから世の中が善くなるわけではない。独裁者を生み出す事もあるし、戦前の日本のように戦争を望む場合もあり得る。みんなで決めて合意した事が大失敗になるという事は十分あり得る。アメリカのブッシュ前大統領の例じゃありませんが、民主的な決定によってとんでもない過ちを犯す事もある。

しかしそんな事は百も承知、アメリカだって何でも民主的に決めますけれど、アメリカが凄いのはだからと言って民主制が正しい答えを導きだすなんて微塵も思っちゃいない。間違えないからとか、間違えるから制度を選ぶのではない。もはや今の日本には民主的な決定以外に合意のプロセスはあり得ない。何も信じられる正統性を持ったものが無い。役人なんて信用出来ないし、政治家だって信用出来ない。お上にお任せでここまで来て、こんなに社会が滅茶苦茶になってしまった。民主的な決定が間違えるから現状の仕組みを温存するという話には、何の正当性も無い。市民が学べば戦争をしないという決定もまた出来る。その事が尊いのです。

以前のこの国であればお上にお任せでも上手く行ったとは言いませんが、なんだかんだで国民が納得していた。小泉以降それが完全にぶっ壊れてというかぶっ壊れていたのがバレて、信用出来ない時代に変化した。それはネットの普及が原因のいったんではあるだろうし、バブル以降の長期にわたる不況が大きな要因でしょう。現状の日本は何も信用出来るものなど無いにも関わらず、相変わらずお上にお任せしてしまっている。だからどのように舵取りをしようとも、結局は殆どの人が納得出来ない。何をやっても文句がいっぱい出て来る。それは市民がコミットして決めたとしても同じ事かもしれませんが、みんなで合意して決めた事であれば人のせいに出来ない。だから失敗から学ぶ可能性を提供してくれる。

正統性とは理由が無い。何で天皇が偉いのか?天皇だからとしか言えない。もちろんそう思えない人もいるでしょうけれど、正統性とはそういうものです。いろいろ理由を列挙出来ても、最終的には明確な理由も無く信用出来るのが正統性なのです。もはや日本ではというか日本でも、多くの近代成熟期を迎えた国家では少なからず起こる事ですが、そういうものが無くなっている。学校の先生は偉いなんて誰も思っていないし、政治家が偉いなんて誰も思わない。役人なんて泥棒の類いと一緒だと思っているし実際にそう。マスコミが正しい情報を流しているなんて誰も信じちゃいない。いったん壊れてしまった正統性というのは復活出来ない。

正統性が何も無ければ、間違えようがなんだろうがみんなで決めるしかない。誰かにお任せしたって上手く行くわけないし信用出来ないのだから、徹底的に情報開示をして、市民が自らコミットする以外に無い。そういう時代に変化している。要するに本当の意味での自己責任の社会であり、自己責任を取れるだけの情報とリソースをキチンと配分し、最低限のセーフティネットを整備する必要がある。小泉改革の頃のような情報も開示しなけりゃ権限も渡さず、あらゆるリソースを既得権が牛耳ったまま、ただ末端を切り捨てての自己責任とは全く意味が違います。

その為の制度設計をする事が重要であり、情報を開示されてもそれを判断する能力が無いと意味がないので、リテラシーの獲得の為に教育を改革しないとどうにもならない。啓蒙であるマスコミも開かなきゃどうにもならない。紋切り型の思考停止のクソ報道じゃ国民が賢くなんてなりっこ無い。国民をバカなまま管理して行く時代では無い。ある程度、市民一人一人の自己決定によって決められるような社会にする必要がある。個に分断されて単なる奪い合いにならないように、社会の厚みと繋がりを復活させる必要がある。友愛社会というのはそれを非常に的確に言い表してはいる。せっかくそういう事も分かっているのだから、頑張れば報われるかどうかなんてのはどうでもいい話です。

さて民主党についてはまだ書く気になりますが、自民党の蛆虫共についてはもう何も言う事は無いくらいに終わっています。基本的にマスコミも含めて、与党のバカ共は与党対野党の図式から、与党の中の対立軸にずらそうと躍起になっています。小泉政権の時と同じですね。前回の総裁選の時点で、任期満了、総裁選がもう一度ある。と予想していた自分としましては、せめてその予想は外れてくれまいかと思っていたのですが・・・・・・現状の与党議員は相当数使えないゴミしかいない。それは野党も一緒かもしれませんが、与党でそれだと本当に困る。

無知無教養な恥知らず麻生は政権にしがみつき、醜いを通り越して哀れにすら感じて来ます。まだ自分の愚かさが自覚出来ないのだから救いようが無い。全く惨めな男です。同情の余地もない。与党もボロクソに書いてやろうかと思いましたが、それはまた次回で。