毎朝、朝礼前に会社の玄関前の掃き掃除をしています。毎日しているとたかが掃除ですが

いろんなものが見えてきます。最初はただ、漠然とはいていたのですが、そのうち毎日掃

く度にきれいになっていくのがわかるようになり、ちょっと楽しくなってきました。そし

て色々気がつき出しました。


ほこりやちりはどこからくるか、どこにたまるか。塀や柱の隅、置いてあるもの下や周辺

に隠れています。これらが風が吹くと表に出てきます。玄関前のザラメの下もほこりを貯

め込むポイントです。もちろん風に運ばれてくるゴミやほこりがほとんどなのですが、そ

ういう隠れたところに予備軍がいるわけです。


それが見えてくると、次は、置いてあるものをどける、ザラメをひっくり返すようになり

ました。それまではまさに四角い部屋を丸く掃きーだったわけですが、そのように掃除を

心がけることにより一層きれいになってきました。でも、掃除の時間というか手間は倍に

なります。


そうすると次は置いてある障害物がそもそもなぜここにあるのかーと思えてきました。使

ってもいない植木鉢やタイヤがなぜ置いてあるのかといった具合です。これを片づけてし

まうと障害物がなくなり掃除は一層効率よくなり、かつよりきれいになってきます。たか

が掃除だけど、お釈迦さんは掃除だけでも悟りを開けると看破したそうです。特に禅宗で

では掃除は修行の一環であり、永平寺などがチリひとつないのはまさにその例です。そこ

までいかなくとも掃除ひとつでも考え方をちょっと変えるだけ随分効果が違ってきます。

そのことに気がついたわけです。しかたないなあ~と思いながら嫌々掃除をやっている人

はいつまでたっても現状のままで、たいしてきれいにもならず、喜びもなくむしろ掃除が

ストレスになり、それこそ体にも悪い。


本当に考え方ひとつです。皆さんはいかがでしょうか。私には四角い部屋を丸く掃いたり

モップをかけている人がほとんどのように思えます。床に物を直置きし、それをどかしも

しない。どかすのが面倒なら物を置かないことです。その意味で床に極力物を置かないこ

とが効率のよい掃除の第一歩です。


社長は細かいことをうるさいな~と、思っている人も今いるかもしません。でも掃除すら

出来ない人がいい仕事ができるわけないのです。細かいことをおろそかにすると必ず後で

しっぺ返しがくるのです。


稲盛和夫塾長は日常の小さな積上げが大事、その上に常なる改善・工夫の努力が大事、それ

らをド真剣に取り組めとよく言っておられます。掃除もまさにそうです。毎朝、10分の

掃除をおろそかにしない。そのために当社は掃除の時間も就業時間としているのです。そ

の意味をどうか皆さん真剣にとらえてください。たかが掃除だとは絶対に思わないでくだ

さい。それは会社のためではありません。自分のためなのです。よろしくお願いします。


朝礼でする話ではないかもしれませんが、学生時代に東京・池袋の地下道でおかまに追いかけられて以来、私はおかまが大苦手です。

そんな私から見ると最近のテレビのバラエティ番組でコメンテーターの一人に必ずと言っていいほどおかまチャンが入っていることが私には考えられないというか、理解に苦しみます。日本はおかしいんじゃないでしょうか。そんな風に考える私の方がおかしいのでしょうか。男になりきれない男が古今東西を問わず存在することは私も理解しています。そのような人達にも人権があることはわかります。ただ、大した芸があると思えないのにただ、おかまというだけで公共の電波に乗り、かつ皆がそれをおもしろがって見入っている。ただ開き直っているとしか見えないマツなんとかとか、女装家なんて職業がそんざいするのかわけわかんないミツなんとかとか、あげくの果てにおかまの整体師とか料理研究家とかスタイリストとか次から次へと登場してきます。あれは一体なんなんでしょうか。子供たちがあれが当たり前だと思って見ていたり、はたまた憧れたり、芸能界に出るにはてっとりばやくおかまになればいいとか、そんな風に勘違いする子供たちが将来大人になった時が心配です。もう大人なのに大人になりきれない若者、または大人になることを拒否する若者、父親なのにあるいは母親なのにそれを受け入れようとしない父親、母親。現実を受け入れることを回避しようとする人達が増えているような気がしてなりません。今のおかまチャンブームはまさに現実逃避的なムードの象徴ではないでしょうか。いつの間にか日本は、物事に対して真剣に向き合って真剣に議論するということから逃げてしまう、おちゃらかして対立や対峙を避けてしまう風潮が蔓延しているような気がしてなりません。そんな危うさを今の日本に感じます。よく稲盛和夫塾長はド真剣に向き合えとおっしゃっていますが、不器用かもしれないけどそんな生き方をもう一度思い起こす必要があるのではないでしょうか。

ちなみに何故、私が池袋のおかまに追いかけられたかというと、JRをくぐる地下道の前の街灯の下でおかまが客引きのために立っていたのですが、深夜映画を見ての帰りの私は最初それが何者なのかと思い田舎者ですからつい目をこらして見てしまったら目線がばっちりあって、私がぎょっとしたら、なんせ私より背の高いおかまで化粧はけばい、けばい。背筋がブルときて、そしたら「見世物じゃないわよ」とドスきいた声で迫ってきたのです。私はすぐ逃げ出したのですが、相手はハイヒールで普通は追いつかれる心配はないのですが、私も運悪く下駄ばきで、暗い地下道の中で、下駄とハイヒールの音がこだましてそれだけでも怖かったですね。なんとか逃げたのですが、最後は私の頭の横をハイヒールが飛んで行きました。忘れられない私のトラウマです。

皆さん、もしそういうおかまにであったら見て見ぬふりが無難ですよ。
女のヒステリーに、男の腕力がついてくるのですから怖いですよ。やっぱ朝礼でする話ではなかったですかね・・
今日(6月6日)丁度、菅総理が誕生して一年だそうです。
この間、日本の政治家は一体何をやってきたのでしょうか。
菅総理の辞任については個人的には賛成しています。
川の水の中で乗っている馬を乗り換えるようなことをすべきではないとの意見もありましたが、このまま進めば川の真ん中で流されてしまうことが確実な馬に乗っているくらいなら、多少は危険をおかしても馬を乗り換えるべきだと思います。
問題は乗り換える馬が準備されていないあるいはその馬が大丈夫なのかというところに日本の不幸があります。
それはともかく菅さんの罪は、思いつきのパフォーマンス、信念・理念を感じさせない言動等々、色々ありますが、私は一番の罪は自らの責任を示さない、取らない点にあると思っています。
自衛隊の自主的な判断でとか、東電の判断・責任でとか、海上保安庁の判断でとか現場任せのいい訳がこれまでいかに多かったか。
責任を押し付けられた上でやれと言われても現場の士気は上がりません。
むしろ下がるだけです。
また、この間、菅さん自身が国民に向けて将来ビジョンを示しながら、震災復興を進めるとかいったメッセージの発信はほとんどありません。
それは自らの責任を示そうとしないからでもあります。
トップがこの無責任なら現場がしっかりするしかないのですが、現場は現場でその対応力とか、いわゆる現場力が落ちているような気がしてなりません。
一例は先月の北海道での特急列車のトンネル内火災事故です。
煙が漂ってきているにも関わらず、JRの乗務員は列車のドアを開けようとしなかったそうです。
理由はマニュアルにないから・・怒った乗客たちが自分達でドアを開け脱出したお陰で死者は一人も出ず、大惨事にならずに済みました。
焼けただれた特急列車を見ても一歩間違えば大変なことになっていました。
客を守る立場の乗務員がむしろ客に助けられたわけです。
乗客の一人は「あのままJRの乗務員の言うことを聞いていたら今頃、燻製になっていた」と吐き捨てるようにインタビューに答えていましたが、いつの間にか我々はマニュアルがないと動けない、判断できない人間になってはいないでしょうか。
マニュアルですべてが解決できるわけありません。
今回の大震災で想定外、想定外と繰り返されましたが、想定外のことが起きるのが世の中だと考えるとマニュアルで対応できない事態は常に起きるのです。
そのことは私達自身も肝に銘じておく必要があります。
現場、現場、常に考え、どう動くか。
一歩間違えると現場の暴走ということになりかねません。
私は現場力を身につけるには常日頃からの訓練が必要だと思います。
上司に相談する時、自分はどう考えるか、どう対応するか、すべて上司や人任せにせず、自分は自分で考える癖をつけることが自らの判断力、現場力を高めることになります。
その時、心がけることは判断基準に一定の尺度を持つことです。
これをころころ変えると対応・判断のブレにつながります。
会社で言えば経営理念に照らして考えるとかいうことになります。
マニュアル人間にならず、現場力・人間力のある日本人になるにはそうした心がけを忘れないようにしないといけないと思います。
先日テレビを見ていたら今回の大震災が東京の人達の人生観や生活にどのような影響を与えたかという特集をやっていました。
非常に興味深かったのでご紹介します。
まず、貸金庫や貸倉庫が密かな人気だそうです。
これはすぐわかりますよね。
大事な資産や思い出の品を安心できるところに置いておこうという発想です。
マンションは高層分譲マンションが売れなくなり、やや低層の賃貸マンションの人気が高まっている。
特に、都心に近い場所が人気だそうです。
これも資産としてマンションを所有していても大地震で倒壊したら元も子もない。
しかも高いマンションは停電になったらエレベーターも使えず大変なことになる。
近場が人気なのも例の帰宅難民を心配してのことでしょう。
では、結構相談所への登録が震災前の2倍に跳ね上がったそうです。
これはなぜか。
一人身の気楽さがこれまで優先されてきたけど、一人身の怖さがクローズアップされ、特に、夜中の余震の恐怖心が、一人身の女性に大きな不安を与えている。
やはり一人で生きていくことへの将来的な不安を今回の震災は都会暮らしの女性達にもたらしたようです。
さらに、震災での避難者や犠牲者の姿が逆に家族の絆の大切さを都会の人達に呼び起させた面もあります。
塾から家庭教師に変える家庭が増えています。
これは万が一、塾からの帰宅途中に地震に子供が遭遇した場合の心配が背景だそうで、自宅で子供の学習する姿を見守りたいということ家庭教師が見直されているそうです。
横町酒場が人気になっています。
見ず知らずの人達と隣り合わせになって飲むスタイルだそうです。
間仕切りで仕切られた居酒屋が人気でしたが、他人と交わる酒場が見直され始めている。
これらの現象は改めて人は一人で生きていけない。
他人との関わり、地域との絆の必要性を日本人が再認識し始めたということでしょう。
大震災を経験し、会社も改めて社員同士のつながり、連帯感の重要性を認識しないわけにはいきません。
その点だけでは震災はいい教訓を残してくれたと言えるかもしれません。
先週の日曜日に福井北RCの50周年記念行事として徳川記念財団理事長の徳川恒孝さんの講演がありました。
大河ドラマのお江がらみの話かなぐらいの気持ちで行ったのですが、講演の内容はなかなか示唆に富むものでした。
戦国時代が終焉し、徳川幕府が開かれ日本全土に平和がもたらせられます。
それまでほとんどの税金は戦費に消えていましたが、それら民へと活用されるようになります。
治水や街道整備、新田開発、教育などです。
それまでは治水は戦時を考えればむしろいつでも堤防を切って敵の侵入を防ぐべきもので治水の必要性すらなかったわけです。
同じように街道も整備したらかえって敵の進行が早まるだけでした。
そうした投資が日本全土で起こり、経済は活性化され、富が分配され、一気に活性化します。
その結果人口は戦国時代の1200万人から3000万人へと拡大、徳川幕府設立から80年たらずで日本は栄華を極めます。
元禄時代、歌舞伎がもてはやされ、豪華絢爛の着物や生活がはやります。
まさにバブルの到来です。
ところが18世紀に入り、富士山の大噴火で様相は一変します。
大飢饉が訪れ、自然のキャパと人口のバランスが取れなくなります。
ここで登場するのが徳川吉宗の享保の改革です。
彼は生涯木綿の着物しか着ず、徹底した緊縮財政、質素倹約の行政を展開します。
一方で、できるだけ金をかけずに民を楽しませることを考え、公園を整備し、桜の木を植えます。
花見はこの時代から始まったそうです。
その他、川柳や菊の品評会なども吉宗は奨励しました。
こうして享保の改革から治安は安定し、教育水準が上がり、質素倹約が定着しました。
今の日本人の生活習慣や資質はほぼこの時期に形成されたと言われています。
鎖国が解かれ、江戸末期から明治にかけて日本を訪れた外国人は誰も日本人の教育水準の高さと思慮深い言動に驚愕し、「この国の人は貧乏だけど貧困ではない」と畏敬の念を覚えたことが数々の資料からわかるそうです。
一方現代、第二次世界大戦で破れ、日本は焦土と化します。
ただ、戦時中は85%を占めた戦費が一気に民へと向かいます。
その結果、経済は一直線に拡大し、まるで江戸時代の元禄期のよな派手な社会が登場します。
そして今回の大震災です。
徳川さんは戦国時代から元禄、そし富士山の大噴火への経緯と戦後のから今回の大震災への流れ、それぞれの時代背景がよく似ていると指摘します。
では、吉宗のような改革者がこれから登場し、そして経済を自然とのバランスで収縮させ、清貧を楽しむ社会がくるのでしょうか。
でもそんな我慢が日本人ができるかどうかもわかりません。
ただ、はっきり言えるのはこれから日本と日本人は大きな転換点を迎え、選択を迫られることは間違いないような気がします。
江戸時代のような清貧生活に一気にぶれるとは思えません。
一方で、エネルギーを始めなんでも無尽蔵に消費する元禄時代がこの先も許されるとも思えません。
ではどうしたらいいのか。
誰も答えを出せずにいる。
それは国全体にも、我々会社にも、そして日本人個々にも問われている。
ただ、日本人の議論は極端から極端に走る傾向が高いので要はどうバランスを取って長期的展望で着地点を求めていかざるを得ないのだろうと思います。
そうは思いつつもいずれにせよ難しい時代が来るだろうな~と、徳川さんの講演を聞きながら思わずにはいられませんでした。