娘のお産は、初産の息子のときにも増して早く進み、

自宅に駆けつける3人の助産師さん達も間に合いませんでしたが、

実はそれこそが、妊娠中ずっと私が娘にテレパシーを送って頼み、願い続けていたことでした。

 

息子のお産では叶えられなかった「子を産む本能の発動」を、

どうしても自分の体で知りたい。

 

人間が何十万年も繰り返してきた体の叡智を、

お産に生じる、ありとあらゆる感覚も感情も、

迫る圧も喜びも、降伏も解放も。

誰の目も気にせずに、

自分の肉体と魂で感じ尽くしたい。

 

その私の願いをその通り叶えるように、

陣痛の朝は偶然、誰も家にいなくなり、

産む少し前までたった1人、

自分の部屋で、

壮大な本能の波がどんどん増幅していくのを心身の全てで味わいました。

 

 

 

五感も肉体も意識も、そのすべてが本能へ降伏し、

自我を離れたそこは宇宙のようで、

その大きな瞑想状態のさなかに、

ある呼吸を選んで、

娘の全身は私の肉体を一気に通過しました。

 

私の心身を天まで貫くような瞬間。

 

魂にまで深く焼き付けられた誕生でした。

 

 

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生まれた直後の娘。まだ助産師さんは到着していません。

フニャ、フニャと2回産声を上げたら、あとは穏やかでした。

 

 

 

このお産での「ナチュラルハイ」はその後1年半以上続き、

娘の1歳の誕生日にもまだ高揚感が続いていました。

そのハイな私が書いた自宅出産体験記(リンクはこちら)は、

記録として別ブログに残しています。

 

 

 

 

この日からさかのぼって5年前、

初めての妊娠をした時すでに、

実は、家まで出張してもらえる自宅出産の助産師さんに連絡を取り始めていました(今回お願いした助産師さんとは別の方です)。

 

その妊娠が流産となって、お腹の命を突然失い、

その喪失感から、自分の肉体の智慧を確信できないまま迎えた息子の病院出産。

それが「人に産ませてもらう」ような初産になったことで、

自分の尊厳が侵された感覚がその後も長く心身に残りました。

 

自分の肉体と魂に、何十万年と続いてきた人間の本能が発動する。

そこで起こる何もかもを、端から端まで自分で知りたい。

 

 

それを実際に自分で経験してみると、

「じんつう」は「神通」に近く、「痛み」とは別のものでした。

 

 

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月の満ち欠けや潮の満ち干と同じ、

自然と調和する大きな力が産ませてくれた子。







陣痛が激しくなればなるほど、

それを上回る大量の快楽ホルモンが分泌され、

陣痛の合間には快感に恍惚として、

眠ってしまうほどである、

と本に書かれてあったのは本当でした。




 

 

 

心身の全てで自分への信頼を取り戻すことができたこのお産のおかげで、

私はやっと過去の自分を許すことができたのかもしれません。

流産に気づけなかった自分、

病院で息子の生まれる時が過ぎても来ない医師を待ち続け、

屈辱的な出産の記憶を抱えて息子に葛藤すら感じてきた自分。

 

 

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自宅での穏やかな産後の時間。

臨月以降は、お産に必要なものは全て布団の周りに集めて用意していました。そこに助産師さん3名が到着し、道具を広げて胎盤の処理などをしています。

病院出産と違って、これから新生児検診も沐浴も、全ての母子ケアが訪問で行われ、私達の普段の家庭生活は何も変わらないまま。赤ちゃんは最初から家の中で温かく守られ、静かにこの世界に慣れていきます。


 

 

 

 

この自宅出産は、

一度も「痛い」という言葉を発することなく、

ただ、新たな生命がこの世に現れ出てくるエネルギーの、

宇宙のようなありさまに圧倒されたお産でした。

 

 

深い瞑想のような安堵感と、

尽きることのない充足感があれ以来、続いています。

 

 

 



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ふたりの子。それぞれに、健やかに。

 

 

 









 

(女性の集まるイベントや、マタニティヨガ指導者養成コースなどで、

自然な出産や育児のお話をしています。

お問合せはrion3112@yahoo.co.jpまで、お気軽に・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の初めての出産は、

「スピーディーな難産」になりました。

 

バースプランを提出していた担当医は結局やって来ず、

初めて会う知らない医師は、

担当したことのない私の陣痛室に数時間遅れで明け方に到着するらしく、

その場にいた看護師と助産師は、

毛色の違う私のバースプランを持て余していました。

 

進みの早いお産で、

産みどきを遥かに過ぎて陣痛の間隔がゼロになっている異様な私の様子にも、

お腹に計器を取り付けた後はモニターを監視するばかりで、

誰も近づいては来ませんでした。

 

少しでも腰を浮かせば飛び出してしまいそうな息子の頭の上から、私はあぐらをかいて座り、

医師の到着を待ち続けました。

目を閉じて天を仰いでいる画像が残っています。

 

あのとき腰を浮かして、

自分の力で息子を産み出していたら・・・。

 

自然が私の体を通して発揮しているその圧倒的に大きな力に抵抗せず、

誰にも依存せずに、何も怖れず、

ただこの宇宙の中に息子を産み出す、

その覚醒と覚悟があの時の私に備わっていたなら。

 

息子はなんとか無事に生まれたものの、

私自身が大きな怪我と後悔に苛まれることになった実際のお産の記憶ではなく、

今はイマジネーションに力を与えて、

違った感覚で振り返ることがあります。

 

 

 

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用意してあった産着を着せて

 

 

 

 

というのは、

2人目の娘は自宅の布団の上で、

娘の望むペースで私の体を自由に使い、

本人自らの好きなタイミングで、

誰からなんの干渉も受けずに、

力強く、意志の塊として、

この世に生まれ出てきました。

 

私はただ、

この世に顕れ出てくる新しいエネルギーの通り道としてそこに存在したに過ぎず、

私の意思や力でお産を早めることも遅くすることも本来あり得ず、

子宮口の開き具合を測られることもなければ、

1度も、いきむことすらないままに、

ただただ肉体のコントロールを手放し、無我夢中で全てを本能に明け渡していました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

もう一度妊娠することでしか、

この喪失のショックから立ち直ることはできそうにない、と

再度妊娠することにすがりついていた私のお腹に、

やがて息子が宿りました。

 

でも、いざまた妊娠してみれば、

その喜びを大きく上回る「喪失の不安」が私を覆いました。

 

毎日「居る?生きてる?」とお腹にテレパシーを送っては、

聞こえない返事を感知しようと全身の感覚をお腹へと研ぎ澄まし、

妊娠初期を過ぎて胎動を感じるようになってからも、

大きなお腹を抱えて涼しい顔で、

誰にも妊娠を告げませんでした。

 

もしも万が一、再びこの子を喪うようなことがあれば、

もう今度こそ私は耐えられそうにない。

 

傷心の中で縋り付くようにして迎えた2度目の妊娠生活は、

家の外の誰にも知られることなく、

静かに過ぎて行きました。

 

流産や死産の報告は、する側も受け取る側も哀しいものです。

 

 

 

 

 

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生まれて数時間後の息子と私。

病院とは意思の疎通の仕方もわからないまま、ただ決められた手順をなぞって、退院。

 

 

 

 

人に告げなかったぶん、

お産に対する私の思いは深く募っていきました。

自然出産、アクティブバース、

まだ時代的に物珍しかったそんな言葉が入った本を、

地域の書店や図書館、その書庫まで探し尽くしては読み耽りました。

 

 

かつて流産に全く気づかなかった自分の肉体と感性の鈍さを、

最新鋭の設備を備えた病院を選ぶことで辛うじて補いながら、

生まれてくる子への長いラブレターのようなバースプランを書いては、

担当の産婦人科医に可否の確認を取っていました。

 

お産で明らかになる自分の産む力を感じたい、

と原始的な自然出産を望んだ私は、

無痛分娩を売りにして、自然出産とは正反対の概念を掲げているはずの病院で、

曖昧に受け入れられ、やがて陣痛を迎えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全幅の信頼を寄せて、何も偽らずに本音で相談することができる、温かくて不思議な小児科の先生に出会えたのは、

2人目である娘を自宅で産むと決めてから、

インターネットで探し出した地域の助産師さんの紹介のおかげでした。

 

 

 

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出産直後に自宅に駆けつけてくれた3人の助産師さん達と、私たち親子。

なんとなく赤ちゃんに触れながら、
テキパキと胎盤が処理されていくのをリラックスして眺めているところ。





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かつて、私の初めての妊娠は、

なんの前触れもなく3ヶ月で流産となりました。

 

心臓がキラキラと輝くように鼓動し、

すでに人間の形をして手足を元気に動かしていた私のお腹の中の子は、

その4週間後の妊婦検診では、

水で滲んだような姿でぼんやりとモニターに映し出されていました。

混雑した大きな総合病院の日常の1コマとして処理されていく私の流産は、

突然電源を抜かれたような放心状態を私にもたらし、

私はフワフワとお寺に足を運んで尼さんに話を聞いてもらったり、

勧められて毎日写経や読経をしたりして過ごしていました。

 

自分がどこまで無力で、無知か。

妊娠すれば産めるものと信じて疑わなかった自分の傲慢、

ウキウキと浮かれて過ごしていた日々のどの瞬間に、

お腹の子の心臓は鼓動をやめていたんだろう。

前触れも痛みも出血も何もなく、

どうしてやめちゃったのかな・・・

 

命が終わってしまった子をお腹に宿したまま、

なぜ気づくことなく何週間も過ごしていたのか。

 

見捨てられたような、

期待と喜びごと置いていかれたような、

妊娠する前よりもずっと孤独が深まって感じられました。

 

自分の心を唯一そのままにそっとしておいてくれる尼さんの前でぼんやりしていたある日、

「孤独は、ええもんなんやで」

と慰められて、

なんとなく1人旅に出る準備をしてみたりしていました。

 

夫は善い人で、今後の生活と私自身を物理的に護ることに努めていました。

夫にとって私はきっと、

いつも次の予測がつかない妻で、

私の、生きることを探求して変わり続ける奇妙な生態を、

妨げることなく眺めながら、

自分は常識の中にちゃんといるような人です。

「夫婦は2人でワンセット」みたいな概念を、

この先もずっと持ちそうにない私に、

なんの制限を課することもなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ小児科や皮膚科で出される大量の薬やステロイドを、
指示通り与え続けることに抵抗があるのか、

どうして予防接種を全種類コンプリートしないつもりなのか。

 

その理由を、家庭内や親族、保健所や保育園に説明して理解を得なければ・・・

 

「不自然なほど自然育児にこだわる親子」という周囲の目、

健診で行く保健所や、

待機を経てやっと入れた保育園、

何をどこまでどう伝え、誰からどれくらいの理解を得ながら、子どもの居場所を確保していこうか。

 

健やかな環境を息子に与えたい一心で、心を尽くして理解を頂くためには、時に相手を選ぶ必要がありますし、

選べないときには、うまく知恵を働かせないと・・・

 

 

 

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生後2週間、お盆に帰省した弟が撮ってくれた写真

 

 

 

 

 

英語通訳の準備と同じように、

自然育児の本をたくさん読み、

優先順位をつけ、

価値のあるものを吸収して、

人に伝えられるよう整理して。

 

でもお仕事と違って、自分のことでもなければお金でもない。

息子がかかっている。

自分のことではないからこそ、余計になんとかしなければと責任を感じていました。

 

内心ドキドキしながらいろんな人に会って、

話を聞いたり、こちらのことを伝えたり。

 

フッと力が抜けると泣いてしまうようなこともあって(産後鬱だったかも)、

産後1〜2年ぐらいの間、私は息子の症状に一喜一憂し、

息子と自分との境目がまったく無いような状態でした。




息子が私を、ものすごく強くも弱くもしていた頃です。



どうしても、薬ではない自分の力で、

強く生きられる体を作る方法が知りたい。


2度の癌から生還してきた母の生活を見続けてきた娘として、

自分にできることをやる、と決めて。



 

 

 

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だんだんと、私たち親子なりの生き方が定まってきました。


身内には言葉と行動を尽くしてとことんまで理解を得る、

保健所には3秒で丸く収まる話し方をする、

保育園には素晴らしい園長先生がおられて、

今でもその信頼関係が続いています。

何よりも、西洋医学と自然医療を融合した不思議な力で子供達の症状を治してくださる、

とある小児科医の先生との出会いが、

私たちの医療ジプシーをとうとう終わらせてくださいました。


健康保険証の使える診療所でありながら、

理想の治療をしてくださる小児科医に出会うまで、

息子が生まれてから4年半、

私たち親子の孤軍奮闘でした。










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