私の初めての出産は、
「スピーディーな難産」になりました。
バースプランを提出していた担当医は結局やって来ず、
初めて会う知らない医師は、
担当したことのない私の陣痛室に数時間遅れで明け方に到着するらしく、
その場にいた看護師と助産師は、
毛色の違う私のバースプランを持て余していました。
進みの早いお産で、
産みどきを遥かに過ぎて陣痛の間隔がゼロになっている異様な私の様子にも、
お腹に計器を取り付けた後はモニターを監視するばかりで、
誰も近づいては来ませんでした。
少しでも腰を浮かせば飛び出してしまいそうな息子の頭の上から、私はあぐらをかいて座り、
医師の到着を待ち続けました。
目を閉じて天を仰いでいる画像が残っています。
あのとき腰を浮かして、
自分の力で息子を産み出していたら・・・。
自然が私の体を通して発揮しているその圧倒的に大きな力に抵抗せず、
誰にも依存せずに、何も怖れず、
ただこの宇宙の中に息子を産み出す、
その覚醒と覚悟があの時の私に備わっていたなら。
息子はなんとか無事に生まれたものの、
私自身が大きな怪我と後悔に苛まれることになった実際のお産の記憶ではなく、
今はイマジネーションに力を与えて、
違った感覚で振り返ることがあります。
用意してあった産着を着せて
というのは、
2人目の娘は自宅の布団の上で、
娘の望むペースで私の体を自由に使い、
本人自らの好きなタイミングで、
誰からなんの干渉も受けずに、
力強く、意志の塊として、
この世に生まれ出てきました。
私はただ、
この世に顕れ出てくる新しいエネルギーの通り道としてそこに存在したに過ぎず、
私の意思や力でお産を早めることも遅くすることも本来あり得ず、
子宮口の開き具合を測られることもなければ、
1度も、いきむことすらないままに、
ただただ肉体のコントロールを手放し、無我夢中で全てを本能に明け渡していました。