全幅の信頼を寄せて、何も偽らずに本音で相談することができる、温かくて不思議な小児科の先生に出会えたのは、

2人目である娘を自宅で産むと決めてから、

インターネットで探し出した地域の助産師さんの紹介のおかげでした。

 

 

 

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出産直後に自宅に駆けつけてくれた3人の助産師さん達と、私たち親子。

なんとなく赤ちゃんに触れながら、
テキパキと胎盤が処理されていくのをリラックスして眺めているところ。





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かつて、私の初めての妊娠は、

なんの前触れもなく3ヶ月で流産となりました。

 

心臓がキラキラと輝くように鼓動し、

すでに人間の形をして手足を元気に動かしていた私のお腹の中の子は、

その4週間後の妊婦検診では、

水で滲んだような姿でぼんやりとモニターに映し出されていました。

混雑した大きな総合病院の日常の1コマとして処理されていく私の流産は、

突然電源を抜かれたような放心状態を私にもたらし、

私はフワフワとお寺に足を運んで尼さんに話を聞いてもらったり、

勧められて毎日写経や読経をしたりして過ごしていました。

 

自分がどこまで無力で、無知か。

妊娠すれば産めるものと信じて疑わなかった自分の傲慢、

ウキウキと浮かれて過ごしていた日々のどの瞬間に、

お腹の子の心臓は鼓動をやめていたんだろう。

前触れも痛みも出血も何もなく、

どうしてやめちゃったのかな・・・

 

命が終わってしまった子をお腹に宿したまま、

なぜ気づくことなく何週間も過ごしていたのか。

 

見捨てられたような、

期待と喜びごと置いていかれたような、

妊娠する前よりもずっと孤独が深まって感じられました。

 

自分の心を唯一そのままにそっとしておいてくれる尼さんの前でぼんやりしていたある日、

「孤独は、ええもんなんやで」

と慰められて、

なんとなく1人旅に出る準備をしてみたりしていました。

 

夫は善い人で、今後の生活と私自身を物理的に護ることに努めていました。

夫にとって私はきっと、

いつも次の予測がつかない妻で、

私の、生きることを探求して変わり続ける奇妙な生態を、

妨げることなく眺めながら、

自分は常識の中にちゃんといるような人です。

「夫婦は2人でワンセット」みたいな概念を、

この先もずっと持ちそうにない私に、

なんの制限を課することもなく。