痩せたから、体年齢も実年齢より一回り以上若く・・・
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痩せたから、体年齢も実年齢より一回り以上若く・・・
久しぶりに熱を出しました・・・。
熱のピークが週末だったのがせめてもの救い。
私が伏せっている日中、2人の子供は自分たちだけで、家の中で延々と遊んでいて、
ときどき簡単な食事を私がフラフラと作ればそれを食べて、
兄と妹で次から次へと遊びを考え出しては、適当に楽しく過ごしているようでした。
熱を出す機会はめったにないので、「自分の味わっている熱感」と
「実際の体温計の数値」とのズレ、
あと「左右の脇の体温差」が知りたくて何度も測ってしまって電池切れ。
前回高熱が出た時は下の子の授乳中で、上の子の保育園の送り迎えもあり、
子供達をお風呂に入れれば熱がぶり返して、治るヒマもありませんでした。
自宅マンションの1階にクリニックが入っているんだけど、
ベビーカーに下の子を乗せて、高熱のまま這うようにして2度ほど受診するうち、
先生もずいぶん案じてくださって、
「なんでこんなに熱が下がれへんのかなぁ、子供も小さいのに、楽にしてあげたいなぁ。
効きのシャープなステロイド点滴あるけど、どうしてもイヤ?楽になるよ~」
実はこの高熱は、その頃から勉強し、実践し始めていた自然療法の「好転反応」であることをほぼ確信していた私は、
授乳中であることを理由にステロイド点滴は固辞し、
それでも、下がらない高熱と育児の消耗に息も絶え絶えで、
「効きのシャープな座薬」という妥協点を先生と見出し、2週間ほどで無理やり熱を下げたのでした。
余談ですが、このクリニックの先生は
毎朝6時にはクリニック中の床を四つん這いでピカピカに磨き、
トイレのドアを大きく開けて、
髪が濡れそうなほどお手洗いに頭を寄せてブラシをかけ、
自動ドアの溝まで掘ってお掃除されているのが外から見えます。
お医者さんが禅寺の作務をされているようなお姿。うっすらと微笑すら浮かべて。
とても気さくで、キツめのお薬もバンバン出してくれる先生ですが、
ケミカル医療か自然医療か、という方向性うんぬん以前に、
こういうご人徳の先生はたまらないなぁ、と嬉しくなってしまうようなお医者さんです。
授乳中だった頃のことを思えば、本当に楽になりました。
今回は家族の協力で体を休めさせてもらって、
ロキソニンには手を出さず、自然療法で対処しています。
1日中カンヅメで通訳するような週末であればそうもいかないですし、
そんなときはロキソニンを何錠も飲みましたが、
その影響が体から抜けるまで、その後ずいぶんかかってしまいました。
家族が倒れたって自分だけは倒れられない、と、どのママも口を揃えて言います。
つい先日も、長いお付き合いの美容家さんとそんな話をして笑いあっていたところでした。
高熱によって溶かし出される体内の老廃物は、平熱ではなかなか排出できないものです。
体温を上げてデトックスをするために、遠赤外線サウナや岩盤浴、ハーブ蒸しやインディバのような温熱療法があるのですが、
何年かに一度、高熱を出して自分の免疫力で体内の大掃除をするのも大切なことである、と友人の自然療法家さんも話してくれていました。
また、線香やセージの葉での浄化のように、不浄なものは煙で燻(いぶ)すと祓(はら)うことができる、
という話になり、久しぶりに自宅でセージや聖木に火をつけたら、びっくりするほどごうごうと燃えて、
その後から熱が出始めました・・・。
この話をその療法家さんにすると、
「憑き物が落ちたんやね、よかったよかった、お大事にね♡」
と、ごく普通のことといった様子です。
時を同じくして、初めてチャリティーに参加するお話をいただいたり、
昨年から計画してきたいくつものお仕事が、今年に入ってことごとく立ち消えになったりしています。
古い固定観念や、これまで通りの発想、わずかな成功体験に依存していては、もうどこにも行けないよ、
心身ともにすべてスッキリと大掃除すべし、という声が聞こえてくるようです。
本当に自分がやるべきことは何なのか、
そしてそれを落ち着いて行動に移す勇気を持つこと、
目先の欲に囚われないこと。
ずっと以前から薄々感づいてはいたけれど、
ちょっとズラして周辺のことでお茶を濁してきたところもありました。
先の見えない転換期に入ったけれど、持って生まれた目的通りに生きるところへ戻るだけ。
もういいかげん、観念しないといけないんですね。
熱っぽい頭でそんなことを感じていました。
好きな人のこと、
自分にとって大切な人のこと、
愛している人のことを思いながら瞑想します。
名前も顔も知らない、いま生きているのかどうかも定かではない、
けれど自分の人生にとって、その人がいないということはあり得ない、というひとも含めて。
例えば私の母方の祖父のように。
母は自分の血縁の父のことは何も知りません。
顔も、声も、いま存命かどうかも
(もしかしたら何か知っているのかもしれないけれど)。
確かにその血は受け継いだんだけれど、
母や私の人生には一度も登場しなかった人。
私の中にいて、ほかのどこを探してもいない。
祈り。
私の好きな人が、
私にとって大切な人が、
私の愛している人が、
今こうしている間も、幸せでありますように。
近くても、遠くても。
たとえ生きていても、いなくても。
時空を超えて、繋がりますように。
祈り。
私の大切な人が、大切にしている人たちにも、
この祈りが届きますように。
そばにいても、いなくても。
この世にいても、いなくても。
終わりなんて、ありませんように。
Om Shanti
Peace
私には
「この人の書いたものなら無条件にすべて読む」
ことにしている書き手や、
「この人の曲ならとにかくすべて聴く」
ことにしているアーティストがいます。
この人たちは、
もはや専業作家や専業ミュージシャンという既存の職種枠には収まらない多才・奇才の方々で、
この世での生業が何であれ、
私にとっては「哲学者」枠の人たち。
直接会えるかどうかは別としても、
何年、十何年と私の魂にクサビを打ち込み続ける作品で、
私の言動や思考、選択に直接、具体的な影響を及ぼしてきた人たちがいます。
この人たちが、自分の命を惜しみなく燃やしながら、生きることについて深めてきた思索を作品に注ぎ込み、
その作品が私に、どこまで本気で生きるかを日々迫ってくる。
気迫と迫力に満ちて、
畏敬の念に圧倒されて、
同じ時代に同じ世界に生きていることに身震いするような。
最近、精神修養の尊さについて思い知るようなきっかけが立て続けにあり、
しばらくお留守にしていた精神修養の世界へ出戻りをし始めています。
「あなたはな、『片足あの世で片足この世」みたいな人間やから、この世には居場所が半分しかなくて、ちょっと生きにくいやろなぁ」
と、10年ほど前の流産の際にすがった尼僧さんに言われた言葉の安堵感を思い出します。
その尼僧さんはまた、
「ほんまは、あなたは『こっち側」の人間なんやけどな、今は出家みたいなことよりも、自分の日々の暮らしの中で修行するんやで」
と、お寺に救いを求める私の依存心にやんわりとクギを刺してくださったこともあります。
小さな頃に肉親の死が身近に迫ったことがあったり、
十代では巫女を務めて神社とのご縁が深かったり、
流産をきっかけに写経や読経を知ったりして、
「この世半分、あの世半分」で身が透けているような自分が、
初めて心地よく生きられる気がしたのがヨガの世界でした。
ヨガの練習では毎回、最後は「屍のポーズ」で横たわります。
やがて
「チーン」
と、おリンが鳴ってまたこの世に還って来る。
身を起こせば合掌して、マントラというお経を唱え、
今あるすべてへの感謝を思い出して、
俗世の務めに戻っていく。
死と輪廻を模するように。
息子を妊娠して、病院内のマタニティヨガクラスを受けてみたことが、
私のヨガとの出会いでした。
天女のように美しいヨガの先生に見惚れながら、
大きなお腹でとれるポーズも限られていたけれど、
帰り道にはヨガマットを抱きかかえて、
頬ずりしながら歩いたのを覚えています。
初めて受けたヨガクラスで、
ヨガのことをまだまったく何も知らないのに、もう
「とうとう見つけた」
という確信で気持ちは舞い上がっていました。
その病院では決していいお産ができたわけではなかったけれど、
「ヨガと出会う」ためには、その病院でなければならなかったんだろうと気づいたのは、
9年近く経ったつい最近のことです。
これでまたひとつ、
「あの病院を選んでしまった自分」
が許されるような、
自責が納得へ昇華するような、
私の中の何かが成仏したような気がします。
Poetry readingというアートを学生時代に知って以来、Poetry artの創り手になることに心のどこかでずっと憧れているんだけど、
こういう凄まじい詩人とミュージシャンがいる時点で(映像はオフィシャルじゃないけど)、自分の一歩を踏み出す以前に、もはやグゥの音も出ない。
自分がどうしても言わなければならないこと、を洗練しきった極みの芸術。
Arimi Barakaは晩年に至っても、若いヒップホップアーティストのイベントに出たりして社会を刺激し続けた伝説の詩人。
The Rootsのトラックと、Poetry Readingの相性・・・!このアルバムに収録されてます。
PHRENOLOGY
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The Rootsがまだワールドツアーに出ていた2000年代、何度かライブに行っておいて本当に良かった・・・もうやらないんだろうなぁ。
実は、娘を授かった時には2つの直観がありました。
この子は自宅出産でも必ず無事に生まれてくる、という確信と、
万が一そうでないなら、それは仕方がない、という覚悟でした。
これまでの流産や病院出産までに感じていたような、
拠り所のない不安はどこにもなく、
この確信と覚悟は最後まで、揺らぎも消えもしませんでした。
結婚して間もない流産で自分の体への信頼が揺らいだまま、
その後の妊娠を誰にも告げずに、頼りなく静かに暮らしていた息子の妊娠期間を経て、
初めての産後は、2ヶ月の息子を連れてヨガを習い始め、
自分の肉体とコミュニケートするすべを学び、
呼吸法や瞑想を通じて自分の内側に深く入ることを経験し始めていました。
いちばん苦しく孤独だった流産の後、
ひとり静かに写経や読経をすると心が安らぐのを尼僧さんから直接教わったことも、
自分の持って生まれた質を自覚することに繋がっていました。
やがて、ヨガ歴などほとんどないままに赤ちゃん連れのヨガサークルを地域で立ち上げてみたり、
当時お世話になったヨガの先生方に励まされて、
ヨガ通訳者としてお仕事をするようになります。
2009年に息子が生まれて1~2年のうちに、
転機が連続してやってくるようでした。
2012年に娘を妊娠した時には、
ヨガコミュニティの中に、
練習者として、そしてヨガ通訳者として、
ありがたいことに素晴らしい居場所がありました。
妊娠全期を通して、娘はお腹の外側の世界からたくさんの方の祝福を受けました。
時には海外のキルタン奏者に楽器を演奏していただき、皆さんに歌を唄ってもらって、
こうしてみんながあなたの生まれてくるのを楽しみにしているよ、
という温かい愛情を浴び続けていました。
Kevin Jamesさんのキルタン通訳。この時も皆さんが私とお腹の子に歌を贈ってくださいました。
私は今も、さまざまな祝福の機会に恵まれたときの皆さんお一人お一人のことを、
深い感謝の気持ちと共に思い出します。
ヨガ通訳という仕事を通じて忘れられない出会いに恵まれ続け、
お腹の子と共に自分がそこに在ることが本当に嬉しく、
私は皆さんに囲まれながら、
思わず隣の方の温かい肩を借りて泣いてしまうこともありました。
0歳の息子を抱えて立ち上げた、地域のママと赤ちゃんが集まるサークルRION
(当時書いていたブログはこちら)
妊娠8ヶ月でのヨガ通訳
知識と経験豊富な素晴らしいヨガ指導者の方々を、より良く通訳するためにと、
解剖生理や医学英語の検定を受けて合格したことが、
やがてリオ五輪の通訳にも繋がっていきました。
ヨガは新たな扉をずっと開き続けてくれているようです。