ダンス講師のフィギュアスケート鑑賞記 -4ページ目

ダンス講師のフィギュアスケート鑑賞記

フィギュアスケート五輪連覇の伝説の王者・羽生結弦選手を独自の視点で応援させていただくことを主な目的とするブログです。
フィギュアファン歴20年以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

(続き)

 

 

 

ここは何処だ?  青木ヶ原樹海か、バイカル湖のほとりか、自分が今どこにいるのか分からない。忘れたはずの記憶の中で彷徨っているのか。いや違う、ただ羽生選手の演技が進んでいくのを我は見ていたのだ。羽生結弦史上、おそらく最も内省的なプログラムを。

 

 

プログラムは終盤に差し掛かる。

 

 

歌詞の「残酷に」の直後、伴奏のアクセントに合わせてドーン・ドーン・ドーンと3回伸びていくスケーティングの、痛ましい程の力強さよ! 最後には氷のしぶきを上げて右足を止めた。それは洞爺湖の「しぶき氷」を連想させた。寂寞たる深淵の中で、自らの強い意志によって何かを凍結させようとしたと見えたのは気のせいだろうか。なぜならば、2019年版では「残酷に」の部分でこのような足の動きは無かったのだから。

 

変形ランジの前後の流れも、良い意味で抑制された表現だ。2019年版は良くも悪くも若かった印象だったが、2021年版では精神的にも大人びたように見えた。続く「残酷に  乱れて」の直後の、氷上の走り方の変化は天賦の才としか言いようがない。シェイ=リーン氏らしさを感じる迫力ある振付だと思うが、羽生選手独自のアレンジが加わったことは間違いあるまい。

 

 

 

その後に続く「無常の  償い」の部分の、ツイヅルは大きな見せ場だ。さらに、ツイヅル直後の、バレエのシェネ、いや、それ以上だと見紛うような高速回転は、2021年版ブラッシュアップの最大の見せ場の1つ

増量した筋肉量を3kg落とした(TBS放送の羽生結弦DOIドキュメントでのご発言)からこそ、これほどのキレが出たと思う。努力して増量した筋肉を、このアイスショーのために落とした理由は、このためだったのかと私には思える。腕を開くのではなく、腕を閉じたことも要因の1つだ。それによって回転速度を増し、キレが増した。即ち、少し前に羽生選手のスピン事例がテレビ番組で紹介された「慣性モーメント」というものである。

個人的には最も心を掴まれた場面であり、このプログラムの最高潮と言えるだろう

 

羽生選手のツイヅルとトウステップといえば、私は2011-2012シーズンのショートを真っ先に思い出す。スクリャービン『悲愴』でのステップシークエンス。あれはあれで、荒削りの若者の感情を見事に表現していたと思う。だが2021年版のツイヅルとトウステップの流れは、もはやレベルが違う、別次元のものであった。

 

この一連の表現から私が見たものは3つあった。1つは、運命の仮面と共に生きていく事を、とうに受け入れている、という事であった。羽生選手の心の中でケジメがついている。私には、そのように見えた。2つ目は、小野田寛郎少尉を彷彿とさせるもの。上官からの作戦任務解除令を受けるまで続行された孤独な闘い。他にもう1つ見えたものがある。だが、それは言うまい。

 

 

その時プラトンは我に告げた。

「哲学というものは、たしかに結構なものだ。ひとが若い年頃に、ほどよくそれに触れておくぶんにはね。しかし、必要以上にそれにかかずらっていると、人間を破滅させてしまうことになるのだ。」

その助言には、我はただ頷くことしか出来なかった。もうこれ以上は考えまい、生きることの苦痛さえ。

 

 

 

その直後に我が見たものは、歌詞の「甦る」での、ディレイドアクセルの輝きである!

腕の動きを「タノ」ではなく「Hanyu blossom (ハニュウ・ブロッサム)」と命名した海外ファンの意見を私は支持する。芳しき花弁を連想させた動きは、羽生選手の心境とリンクしているのであろうか。それは知る由も無い。だが外部から見れば、あれほどまでに固く固く閉ざされていた蕾が、徐々に、美しく妖しく開いてきた、とでも言おうか…。無限の可能性を秘めた蕾よ、何を迷うことがあるのかと問いかけたくなるような、新技「ハニュウブロッサム・ディレイドアクセル」であった。

 

 

 

 

そして『マスカレイド』は驚愕の結末を迎えることになる。

 

 

 

続く