ダンス講師のフィギュアスケート鑑賞記 -3ページ目

ダンス講師のフィギュアスケート鑑賞記

フィギュアスケート五輪連覇の伝説の王者・羽生結弦選手を独自の視点で応援させていただくことを主な目的とするブログです。
フィギュアファン歴20年以上。

体調不良が続いていたことも相まって、続きを書くことを諦めていた。だが24時間TVでの羽生選手の慈愛に溢れる神の舞に癒され、自分のためにも最後まで書くことを決意した。

 

 

 

続き

 

マスカレイドの深淵⑤  〜最終回・無声慟哭の臨界点〜

 

 

プログラムを通して徐々に上昇してきたダムの水位は、前述のツイヅルと、GOE満点を付与したいトウステップで急上昇した。そして新技「ハニュウブロッサム・ディレイドアクセル」直後の独創的な出方で決壊寸前に。大変だ。このままダムが決壊するなら危険だと私は瞬時に思った。

だが、歌詞「勇気の」の直後、曲はダムの水すべてをブラックホール1点に凝縮させた。これでダム決壊の事態は避けられた。

そして歌詞「真実」のあと、凝縮されたブラックホールを心の奥に秘め、羽生選手は前を向いてゆっくりと歩いていく…、はずだった。

 

 

だが…、最終日に羽生選手は絶叫した!  実は私は、1日目と2日目の演技を確認した時点で「孤高なる王者の無声慟哭」と題して1話完結の感想を書く予定だった。そして次のように書こうと思っていた。「本当に絶叫したら良いのではないか。」と。だが最終日、羽生選手は我が予想の斜め上を飛行したのであった。絶叫直後に手を首に当てた振付も見事だ。他の選手には絶対に真似出来ないだろう。羽生選手が自覚する以上に、手を首に当てる振付は美しい。細くて長い首だからこそ映える。無声慟哭の表現として認識していたプログラムは、本物の慟哭となった。それは時空を切り裂いた。ブラックホール1点に凝縮されたはずの、心のダムは決壊した。激流は渦巻いて流れ込む。このような結末が待っていようとは予想出来なかった。激流の中のコンビネーションスピンの時、演技冒頭の得体の知れない洪水が再出現し、再び私は飲み込まれ、曲の終了と同時に陸へ打ち上げられた。私は溺死せずに生存していた。天へ放たれた手袋(仮面)と共に、我もまた歩いていくのだろう。羽生結弦史上最も内省的かつ形而上学的な4分未満のプログラムは、かくも重厚であった。

 

 

羽生選手の仰る通り、みな仮面があるから生きていけるのかもしれない。例えば自分は超真面目だが、無理してパリピを演じる時もある。なぜならば、生きるために必要であるからだ。

我々は皆、社会の構成員。無人島で自給自足しない限り。人類が繁栄しているのは、協力してきた故であると私は考えている。人類と他の動物との最大の違いは、そこにあるのではなかろうか。弱者の命はどうでもいいなどと発言した有名人が最近いるが、納税額で人間の価値は測れない。その人とて社会の一員だから稼がせてもらえる事に気がつかないのだろうか? 

その対極にいるのが、社会全体を考えて行動する姿を見せ続けてくださった羽生選手だ。今このプログラムを演じることに意味があると羽生選手は仰った。それはコロナ禍という社会情勢において、協力し合う事・他者への思いやりを持つ事の大切さを訴えているように私には思えるのだ。人によって感想は異なるであろうが、私はそのように受け止めた。

 

 

技術と表現の話に戻そう。特筆すべきは、全体を通して無駄な動きがほとんど消失した事。本音を言うと2019年版では、やや無駄な動きも散見されたように見えた。勿論、あえて無駄な動きを多くして若さ未熟さ荒々しさを前面に押し出す表現方法もあり、高校2年頃の羽生選手が該当すると思う。だが2021年版の羽生選手は洗練された方法によって激情や葛藤を表現した。私はその事が非常に嬉しかった。今回のショーのために相当の練習を積んだことは間違いない。具体的な選手名を出すのは遠慮するが、例えばジャンプの助走が長かったり、ジャンプ前後に無駄な力みや無駄な動きが多いのは私は好きではない。身体表現においてもそれは共通であると私は考えている。その意味も含めて、『マスカレイド2021』はジャンプのみならず身体表現においても、無駄のない美に磨きがかかり、さらに一段高くなった芸術作品だ。羽生選手にしか出来ないプログラムと表現である。

 

 

最後に。「ドゥエンデ(duende )」という言葉がある。スペイン語でいたずら好きの妖精という意味だが、芸術的表現においては異なる意味で使用される。人によって解釈は異なるが、それは芸術の魔力であり、魔法であり、仄暗い魅力であると言われている。サルサの「サボール」の概念とは似ているようで少し違うと思う。能の「花」の概念とも似ているようで少し違うかもしれない。マスカレイド2021年版をフラメンコに例えるなら、明るめの曲種のセビジャーナスやアレグリアスとは異なる、最も暗く深いシギリージャスに近い、と私は感じた。「ドゥエンデ」とは、芸術的表現において安易に口にできる言葉ではなく、非常に重みのある言葉であると私は認識している。最高レベルの賛辞の言葉と言っても差し支えないだろう。底知れない森羅万象であり、生と死の神秘(とりわけ死について)である。

マスカレイド2021年版の演技を簡潔に説明するならば、私はこう答えるだろう。

羽生結弦にドゥエンデが舞い降りた」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※本記事は私の意見であり、演技を観た人によって感想は異なると思います。