(続き)
そして、歌詞の「孤独の マスカレイド」直後、一瞬の愁いが眦に浮かんだことが脳裏に焼き付いて離れない。羽生選手の、このような眦を見たのは初めてかもしれない。
その後、曲は間奏に入る。
力強いスケーティングと表情は、大海原の時化(しけ)に立ち向かう勇者に見えた。
運命の趨勢に抗う意志。2021年版は首の動き1つで、それを表現した。私の知る限り、羽生結弦は首だけで表現出来る稀有なスケーターである。細くて長い首の持ち主だけが、それを可能にする。整形外科的・整体的には、鎖骨と肩甲骨を下げる訓練によって首を長く見せる事は可能だ。だがどれほど訓練しようとも、生まれ持った気品と繊細さがなければ、首だけでここまで表現出来る人はごく僅かである。スケート界であろうと、バレエ界であろうと、ミュージカル界であろうと、その他の分野であろうとも。(ただし、羽生選手のような細くて長い首の持ち主は頸椎を怪我しやすい傾向があるので、トレーニング中は注意してほしいと思う。)
その後、3Fへ立ち向かう。
そして、成し遂げた。
まるで大海原の時化は羽生選手本人だったとでも証明するかのように。
2019年版と2021年版では3Fを実行するタイミングが異なっていた。2021年版では着氷直後に、「闘いの場面」から「感傷的な内省の場面」へと瞬時に場面が切り替わる。なかなか高度な事だと思う。舞台演劇のようであった。
曲と舞台は一転して、内省的で叙情的な世界へ移動。
歌詞の「戻りたい」の腕の動きの、なんと幽雅で繊細なことか。「戻りたい」の時点で鋼鉄の鎧を脱いだ素顔を見せる。その腕の動きで心情を語っている。
しかもその右足は3Fを着氷したままの流れであることに驚かされる!
原曲の歌詞「奇跡の 月明かり」から「流れる 熱い想いは 仮面を熔かし」までが省略されて編集されている。だが、それを感じさせないどころか、その編集が大正解とすら思えるのだ。
歌詞の「ありのままでいい」の部分は至高のレイバックスピンしかあり得ない。それによって表現しているのは、魂の彷徨。ここでシットスピンは似合わない。レイバックスピン一択だ。これほどまでにスピンで表現出来るスケーターは、私の知る限り羽生結弦とステファン・ランビエールだけである。
「素顔の自分に」の表現は、2019年版ではとても激しかった。激しい葛藤であった。だが2021年版はあえて抑制され、達観へ近づいているかのような、洗練された表現に変化していた。過去の葛藤を、達観して眺めているかのようだ。
「戻りたい ありのままでいい 素顔の 自分に」。
この一連の部分の表現を見る限り、2021年版の羽生選手はご存知なのだろう、それが不可能である事を。
ああ、何ということだ。
まさにその通りだ、時間は戻らない。
過ぎ去った時間は、永遠に戻りはしない。
背負う物の大小は違えど、誰もがそうではないのか? いつまでも素顔のままの、子どものままでいることは出来ない。それを突き付けられる残酷な青春の影。それを多くの人は通過していくのではないか。唯一、時を止める方法があるとするならば、それは「死」以外にありえないのだ…。
美しき勇者よ、どうか生きてくれ。過酷な宿命に立ち向かえ。たとえ背負う物の重さに潰れそうになる日があるとしても。
そして我は祈る。
この勇者が仮面を外せる場所があることを。仮面を外せる人々に巡り会うことを。幸せの多からんことを。そして穏やかな春の日の多からんことを…。
そんな想いが駆け巡ったのも束の間で、演技は次の段階へ移動していく。
(続く)
