喜べば 喜びが 喜び引き連れて 喜びながら やってくる。。。

 

どんな時も、先ず自分が出発点 とヨガで伝えていた。

  

 

負けるもんかと傲慢に戦っていた時は、すべては敵だった。

冷たい仕打ちだけが繰り返された。

 

少しの苦労をして ようやくこころからの感謝を学んだ。

気が付くと  ありがとう の言葉と 笑顔に囲まれた。

 

 

 

なので... 苦しい時に ○○が叶いますように~と祈ってはいけない。

叶っていない 苦しい状況が延々と繰り返されるだけ。

 

先ず自分から!  鉄則である。

先に幸せになってしまうのだ!

先に叶った状況を 自由に楽しく思い描いてワクワクして!

 

幸せの中心である胸奥から波動を広げていくのだ、 水紋のように

 

わたしは 思ったことは全て これで叶えてきた。

 

 

 

 

 

 

人は何のために生まれてきたか~

 

幸せになるためである、とはよく耳にする言葉だが、、、

 

起きてくることには全て意味がある、とも、、、

 

だったら この試練は乗り越えられない筈はない!

今よりもっと幸せになるための 意味のある試練なのだ!

 

何度も言い聞かせた。

 

 

夫はストレスからくる噴門部閉鎖で2か月入院した。

やりきれない思いだったのだろう、、、 いろいろ、、、

店の経営に無関心だった私は 大変な時に守ってあげられなかった。

それでも文句も言わずに 黙って息子と私と父を守ってくれた。

 

 

どん底は一度経験がある。

人生の課題は、今苦しんでいること!

乗り越える醍醐味を楽しむんだ!とばかりがむしゃらに働き始めた。

 

大阪USJのホテルの客室清掃~

一部屋ごとタイムが計られる、点検があり不備があるとやり直し、、、

あなたのように仕事ができる人は初めて見た、と言われた。

3か月後には正社員の打診があった、主任として。

父の入院を控えていた  丁重にお断りをした。

 

 

JKKの電話交換手。

時間の拘束が自由だったので3年勤めた。

鼻っ柱が強く生意気で、人間関係で揉めたが 最後の日はハグし涙で退職した。

 

 

愚かで至らない私は 今までたくさんの方々に支えて頂いた。

還暦を前にして、ほんの少し成長させて頂いた気がする。

 

感謝しかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

札幌で生まれて~ 大阪~ 岡山~ 東京~ 埼玉~

 

晩年期に入り、最終点は何処やら...

 

渡り鳥や回遊魚は、空や海がどれだけ広大でも 巡る道筋は決まっていて迷わないとか、、、

 

父が倒産しなければ 夫とも巡り合うことはなかったし、もちろん子供たちも存在しない

湧き上がる思いのままに まるで決まっていたかのように 自分を信じて生きてきた。

 

 

50代半ば、居酒屋の女将はとうに引退し ヨガ講師としての人生を謳歌していた。

自主運営の教室の他に、ジムのフリーインストラクター、カルチャーセンター専属講師など 週6日、9時から21時まで運転し駆け回った。

 

当然 妻、母、嫁の役目は空っぽに。。。。。。

 

 

ある日突然  夫の口から 「店を閉めることになった」と。

 

30年続いた旅館と炉端焼き店はあっけなく消え去った。

 

家土地を処分し、一旦大阪へ移住することに。

 

手塩に掛けた教室は閉鎖、 生徒さん達には申し訳なかったと今も胸が痛む。

 

 

順風満帆だった人生に 思いもよらぬ大波が!

さぁ、いかに泳ぎ切るか🌊

 

思い返せば~

自らの半生に何の悔いも無い。

 

過去に囚われるのは大嫌いな性分で、常に前だけ向いて生きてきた。

多分あと僅かで今世を去らねばならないなら

過去を振り返るという苦手な作業に挑戦してみようかと・・・

 

叶えてきた思いは、日常の小さなことから人生の一大事まで限りなくある。

食べたいと思えば、その日のうちに実現したし

欲しいものは必ず手に入った。

裕福であるなしに拘わらず。

 

 

大まかな事だけ書き出してみよう。

 

10代は、歌って踊れるタレントになりたいと思った。

存分に芸能活動を経験し堪能した。この上もなく楽しかった。

 

 

20代は、温かな家庭が欲しかった。大きな愛に守られて安心して暮らしたいと思った。

50年添い遂げた夫は、わがままな妻をいつも許してくれた。ごめんなさい、ありがとう。。。

女の子を授かり可愛くて可愛くて~ 8年経つと男の子が欲しいと思った。

次の年には、まつ毛の長い真っ白な玉のような男の子を抱いていた。

 

 

30代は、店舗を経営したいと思った。

夫の実家は旅館でしたので、1階を居酒屋に改装しおかみさんと呼ばれた。

行列ができ予約が取れない店として長年繁盛した。

注文建築で思い描いた通りの家を建て、大切な父を呼び寄せた。

やさしい夫は私の思うままに、自由に任せてくれた。

 

 

40代は、ある日突然先生と呼ばれたいと思い立ち、

好きだったヨガの講師の資格を取り、それから15年間先生と呼ばれた。

8か所の教室に400人の生徒を抱え大成功を博した。

 

 

思ったことは必ず現実になる人生は、まだまだ続きます。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

札幌から大阪に移住し1年も経つと、大阪弁も板につき土地の空気にもなじんできた。

 

6年生の時、コーラス部に入らないかと音楽の先生からお呼びがかかった。

半世紀に渡る長いコーラス人生の始まりであった。。。

 

放課後の教室で、仲間と暗くなるまで流行りの曲を歌って遊んだ。

厳しい練習ではあったが、大阪府の合唱コンクールで優勝した時は一生歌い続けるぞと決めていたっけ~

中2、在校生代表で「仰げば尊し」を独唱した。

 

 

ダンス好きが爆発したのは16歳頃。

5歳からクラシックバレエを習い、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の主役を踊った写真が懐かしい。

 

西野バレエ団大阪校のレッスンでは、毎回超絶楽しくて魂が躍動した。

初めてCMに抜擢され、テレビや街の電光掲示板などで自分の姿を見たときは

これからだと思ったのを覚えている。

父は喜んでくれて新聞の広告欄などを大切に保管してくれた。

 

 

その時々の思いや意識は、必ず次の現実へと移行する。