札幌から大阪へ突然の移住~

 

11歳の我が儘な元社長令嬢にとっては衝撃的、かつ過酷な毎日であった。

頼りの母は離婚で消息不明、父は生活を立て直すため夜中まで帰らず

異国のような地でいつも一人ぼっち、何を食べていたかも思い出せない。

 

60年以上昔のこと、カップラーメンもコンビニも記憶にない。

勇気をだして銭湯に初めて一人で行ったり、お肉屋さんで100gくださいと言って

笑われたり、毎朝父におにぎりを作り、ワイシャツやズボンにアイロンをかけ、靴を磨き会社に送り出した。

 

洗濯機も冷蔵庫もテレビも電話も無い、熱を出せば水道水しか無かった。

 

気が付けば5年生の少女の髪は真っ白に...

 

学校は休みがちで、北海道からの転校生で珍しがられたけれど成績は最下位でついていけなかった。

 

なんか暗ーい話になってきたけど、このまま落ち込んでいない自分に気が付き始めた時期でもある。

まず、成績を元に戻したいと思った。みすぼらしい身なりではいけないと思った。

父からの生活費をやりくりして貯金せねばと思った。親友を作りたいと思った。

 

 

それから数か月後。。。  思ったことは全て現実になる、という法則を学ぶこととなる。

成績は学年で10番以内に、制服のブラウスはへそくりでおしゃれに誂え、ましなアパートへの転居費用を貯め、友達もいっぱいできた。

 

    さぁ!思ったことは叶う人生の開幕です❣

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな人生の転換期を迎え、おそらく最終期に突入した70代シングルマザーの回顧録です。

突然ブログを書こうと思い立ち、今日で2回目 さぁ何から始めよう...

 

波乱万丈、変化に富んだ非凡な人生ではあるけれど申し訳ないくらい楽しかった!

愛されて 守られて 支えて頂き 愚かな私には勿体ないくらい幸せな日々であった。

 

 

札幌で生まれ、両親にたっぷり愛され何不自由無く我が儘一杯に育った。

成績はオール5、常に学級委員長の社長の娘は得意満面で大通り公園を闊歩してい

た。                   

 

 

 

父親が経営する会社が倒産し、親子3人で逃げるように大阪に移住するまでは...

 

11歳~ 身重の母と二人、父のあとを追いかけるようにして飛行機に乗った。

着いた大阪で待っていたのは、、、 母がコオロギ!と叫んだ生まれて初めて見る○○ブリと

慣れないぼろアパート生活、そして外国語のような大阪弁。

転校先の授業には全くついていけず5年生の4か月のブランクは大きかった。

 

ドキドキわくわくな我が儘娘の大阪での生活はいかに!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

70代に突入して早○年、今のうちに備忘録を兼ての回顧録を残さねば全ては忘却の彼方に...

さぁ!今日から類い稀なる?my lifeを綴ります。宜しければお付き合いを❣