一家3人で東京に移住して 怖いくらい何もかも順調だった。

 

区民館で始めた ヨガ教室も 地域の情報誌など 広報に努め、

10人ほどのスペースで始めたが たちまち入らなくなり、

更に教室を増やした。

 

インストラクター15年のキャリアが 還暦を控えても役に立った!

 

この頃から 60歳半ばの夫の体調に翳りが見え始めた時期でもあったが、、、

 

 

 

さて! 我が家の期待の星 息子ちゃんと言えば...

 

家では ヘッドホンで電子ピアノ に対して

学院の練習室では グランドピアノ弾き放題 の毎日で狂喜乱舞 ❣❣ 音譜

 

 

 

ある日 障害者の 国際ピアノコンクール の話が・・・ ウィーンで・・・

 

  か、勘弁してよ~ もちろん保護者同伴が条件だしぃ~

  り、旅費が~   飛行機超苦手だしぃ~

 

           言い訳無用であったえーん

 

 

 

救世主が現れた、  長女登場‼  仕事でパリに長期滞在していたが

戻ってきていた。

 

「大丈夫、任せておいて!」  あぁ 何という有難いお言葉! 

 

しかし8歳年上の姉は 物言いがきつく 息子には脅威の存在 叫び

 

半年後、受賞パーティの着物まで用意した娘共々 いざウィーンへ  飛行機

 

 

 

       

 

 

 

思ったことは、自身の人生に於いては必ず実現してきた

例え親子であっても 息子の人生までは 神通力は及ばない。

 

彼には彼の 航路がある。    東京の音楽専門学校に行きたい!と。。 

 

一度だけ 東京の学生寮に挑戦したことがある。

夜中に音を出す  風呂で泳ぐ  しょっちゅう物を失くす 等々

早々に退寮処分となり  大阪に戻ってきた (´;ω;`)ウゥゥ

 

 

 

東京への移住は 夫と共に一応躊躇したものの、、

 

親として 息子の希望を叶えてあげたい思い を選択した。

 

 

父を見送り、 グランプリを獲得し、 手帳 薬などの手配も完了!

 

いよいよ 更に  へ向けて移動が始まった‼

 

東京と言っても広い。。。  いったい何処へ住もうか?。。。

 

得意の瞑想から始めよう~ 

 

 

車は手放すので、 駅 スーパーは5分以内が必須~

ショッピングモールが目の前で  緑豊かな美しい街並み~

 

風景をありありと瞼の奥に映し出した。。。

 

 

 

 

物件を見に行った時 息を呑んだ

瞼に映った景色が そのまま そこにあった!  うそー!!

 

 

息子は 嬉々として音楽学校へー

私は 隣にある区民館で ヨガ教室を開いた。

夫は 魚をさばくプロ、スーパーの刺身売り場を任された。

 

ちなみに 音楽学校は、作曲科 研究科と5年間通うこととなる。

このあと とんでもない展開に...‼

 

 

 

 

 

 

当日は 東京在住の長女も駆けつけ、久々に一家揃ってのお出かけとなった。

 

大阪府堺市にある ビッグ・アイ 

 

到着後 一団体ごとに一部屋の楽屋と 豪華なお弁当を家族にまで頂き、

手厚さに感動した。

 

リハーサルが済み 緊張気味の息子に 長女は言い放った。

 

   「絶対に優勝する‼」  ポジティブ思考は母親以上の娘。。。

 

 

 

オリジナル曲「夕日」  出来立ての即興曲で 弾く度にフレーズが変わる、、

 

 

本番~   舞台の袖で 戦いに挑む息子の背中を見送った

        もはや 信じて祈るしかない

 

 

 

結果発表  3位から・・・   2位・・・  ああ・・・  

 

 

  お待たせしました  グランプリは!  「夕日・・」

 

しか耳に残っていない、あとは涙    娘の歓声 拍手 拍手 拍手

 

 

審査員の講評 : 音大の助教授  彼なら うちの大学の3年次に入れます。

                 是非 来てください。

         審査員長    すでにプロとして通用します。

 

 

 

その年明けの NHKラジオ「共に生きる」正月特番で 

息子のインタビューと

 

オリジナル曲「夕日」は 全国放送された。

 

 

世界の大海原へ漕ぎ出す 船出を飾ってくれた出来事ではあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、心臓の大手術を乗り越えた 実父が同居していた。

 

強度行動障害の息子は どんなに暴れても、祖父の部屋だけは 指一本触れなかった。

 

東京に移住する前に、 父に無理が無いよう 妹のいる大阪でしばらく様子をみることになった。

 

これが運命の3年間となることは この時は未だ知る由もない。

 

専門学校が 当分お預けとなった息子は 相変わらずマンションの壁を穴だらけに!

療育センターに連れていき、 手帳の手配や 病院、作業所を決めるなど

障碍者としての手続きを 5歳以来 初めて進めていった。

 

 

同時に 本人の強い希望で 心斎橋まで ピアノの個人レッスンへ~

やはり 天才だと驚かれ、その先生の 恩師を紹介してくださった。

 

大阪芸大の客員教授をされている現役のピアニスト・・・

多数の栄光が輝くプロフィールを拝見し 恐れ多くて気後れしたが・・・

毎回 感動の素晴らしいレッスンであった。

 

20年近く経つ現在も親身にご指導賜り、胸が熱くなるほど感謝が溢れてくる。

 

 

離婚した母や妹の手厚い看病の末、大阪へ来た翌年 父が安らかに旅立った。

 

葬儀の件で区役所へ行った時、ふと 大阪府障碍者芸術コンテスト音楽部門 

チラシが目に。。。  

 

オリジナル曲を創り続けてきて、 コンクールなどは無縁だと思っていた。

ダメ元で 予選に応募してみようかと!

 

書類と自作曲のテープを送ったが 本人も私も期待していなかった。

 

 

 

忘れた頃に 封書が届いた!  ドキドキ***

 

 

   「予選通過」の文字が‼

 

息子と手を取り合って 小躍りした ❣❣❣

 

 

                                                       さて、本選 では如何に・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起きてくることには全て意味がある、としたら〜



収入の柱を失い 家は半壊 息子は狂人と化し


慣れ親しんだ土地 岡山 を離れることに、、、



息子は精神が不安定でも ピアノだけは弾くことを止めなかった 

ピアノが無かったら死んでいた、と当時を述懐する。

突然 東京の専門学校に行きたい! と。


唯一残った財産、土地家屋。

家屋には値が付かず 土地のみ売却となった。


回遊魚は東へと進路を定め 更に大海原へ〜