息子は ピアノ無しでは生きていけない生き物。

 

入院して落ち着いた頃、 病棟のフロアーに アップライトピアノ発見 目

看護師さんの目を盗んでは ポロロン ポロロン ピンク音符むらさき音符音符

 

しまいには 毎朝の病棟の ラジオ体操のBGMを担当するように 拍手

 

息子にとって最高のリハビリではあった。

なので、担当医から おうちでピアノに専念した方が、、と言われ、

ちと早めだが 退院することに~あせる

 

 

退院の日、いきなりペットボトルの水を 頭からかけられた ガーン滝汗

横断歩道の真ん中、 電車の中、道路、所かまわず激しく嘔吐した

いきなり物を投げつけ 夜中でも奇声をあげた。

 

 

本当に辛い時期だった、、、 

だからこそ 必死でこの苦境から逃れようともがいた  母も子も。。。

 

 

夫は体調不良で 何度も入退院を繰り返し 収入は激減。

私は 朝5時から3つの仕事を掛け持ち 20時まで働いた。

 

 

この度の人生には どうやら法則があるようだ。

 

どん底に落ちてはダウン  上昇し幸せの極みにアップ  しばらくして又急落しダウン

 

ジェットコースターなら楽しいんだけど・・・

 

ということは❓   やったー!  上がる番だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウィーンから帰国後、 凱旋コンサートや 演奏依頼などで しばらくは

気を張ったまま なんとかこなしていたが、、、、

 

徐々に 顔は青ざめ 無口になり 沈み込むようになっていった。

その頃は、学院の近くの 1Rマンションで 一人暮らしを始めていたのだが

 

 

ある日突然 学院の友人から 「様子が変です!来てください!」と!携帯

友人が来訪中、 いきなり叫びだし暴れていると!

 

先ず 救急車を呼んで かかりつけの病院へ搬送依頼を! 

仕事帰りの道から 急遽 病院に駆け付けた。

 

   パニック発作だった。

 

涙とよだれで 見るも哀れな息子がそこにいた。

応急処置のあと、そのまま入院となり~ 3か月の入院生活を余儀なくされた。

 

 

初めての海外演奏で キャパ越え プレッシャーなど 張りつめた糸が切れたのだろう。   

体力 精神共に消耗が激しく、休養が必要との 赤信号であった。

 

加えて 「お姉ちゃんが厳しかった」と・・・

 

 

無理もない、 雑踏で見失うこと数回、タイムスケジュールの管理、身なりの世話、障害者の付き添いは 時として困難を極める。

娘の言動が いつにも増して荒くなったのは 容易に想像できる。

 

 

お母さんが 全部悪い、   ごめんなさい。泣

 

 

 

 

 

 

ここで少し 長女 について・・・

 

弟の障害が分かった時 9歳頃かと思うが~

  「お父さんお母さんが死んだあとも 私が一生面倒を見るからね ❣」

 

 

 

 

小さいママは 使命感に燃えていた。

やればできる! の精神で 障害者扱いはせず厳しく接した。

 

私が 先回りの世話をすると 「子をダメにする毒親!」と 悲しい汗

 

 

 

1歳から保育園で闘い ガキ大将で 他の親からの苦情は日常茶飯事むかっ

公園中をバク転し回り 鉄棒では ぐるんぐるんぐるんうずまき

小学校低学年では 男子と乱闘  女子の友人は皆無。

体操クラブでは選抜で県大会へ    水泳は男子より速かった

 

中・高と 担任が幾度も来訪し いじめを控えるよう、と懇願された。

カーストのトップらしいが 既に親の手に負えなかった。

 

海外を飛び回る仕事に就き、 年の半分も日本にいない。

ウィーンへ同行した際も 貯まったマイルで航空チケット無料。

 

趣味はスカイダイビング。 破天荒な自由人で 独身を貫き 孫はもはや望めない。

 

 

甘えたい時もあっただろうに。。。障害の弟のため 強くあらねば!と

母の愛を 弟にすべて譲り、 気を張って生きてきたのであろう。。。

 

先に生まれて 弟のために ピアノを用意し、

先に東京に出て 弟のために 道を用意してくれた。

 

コンクール、コンサートなどには どんなに多忙でも

お弁当、花などを携えて 必ず応援に駆け付けた。

 

 

息子の子育てに後悔は微塵も無いが、 

 

娘を思うと 今も涙が流れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて挑戦した 国際ピアノコンクールの結果は。。。

 

 

 3位 銅メダル であった クラッカー

 

 

緊張のせいか、出番直前まで嘔吐し 名前のアナウンスがあっても出てこない

娘や関係者が探し回ったが・・・  もはや棄権かと思いきや・・・

 

洗面所から 真っ青な顔で ようやく駆け付け 間に合った‼ 

この様子では多分 演奏は無理かと~ ゲロー   

 

 

課題曲は 「ベートーヴェン交響曲第9番」の変奏曲

 

演奏が始まると まるで人が変わったように 情熱的に 炎ルンルン

 

 

その時の状況を後日 娘から聞いた時は 卒倒しそうになった。

突然 行方不明になることは しょっちゅうで、 ウィーンに置いて帰ろうかと思ったらしいムキー

 

 

ピアノ演奏以外は 幼児と同じなのだが、姉が受容できるのは まだ先のことではあった。

初の姉弟だけの珍道中は、弟にとっては中々 厳しいものであったようだ。

 

帰国後、受賞の喜びも束の間  事態は思わぬ方向へ展開する~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一家3人で東京に移住して 怖いくらい何もかも順調だった。

 

区民館で始めた ヨガ教室も 地域の情報誌など 広報に努め、

10人ほどのスペースで始めたが たちまち入らなくなり、

更に教室を増やした。

 

インストラクター15年のキャリアが 還暦を控えても役に立った!

 

この頃から 60歳半ばの夫の体調に翳りが見え始めた時期でもあったが、、、

 

 

 

さて! 我が家の期待の星 息子ちゃんと言えば...

 

家では ヘッドホンで電子ピアノ に対して

学院の練習室では グランドピアノ弾き放題 の毎日で狂喜乱舞 ❣❣ 音譜

 

 

 

ある日 障害者の 国際ピアノコンクール の話が・・・ ウィーンで・・・

 

  か、勘弁してよ~ もちろん保護者同伴が条件だしぃ~

  り、旅費が~   飛行機超苦手だしぃ~

 

           言い訳無用であったえーん

 

 

 

救世主が現れた、  長女登場‼  仕事でパリに長期滞在していたが

戻ってきていた。

 

「大丈夫、任せておいて!」  あぁ 何という有難いお言葉! 

 

しかし8歳年上の姉は 物言いがきつく 息子には脅威の存在 叫び

 

半年後、受賞パーティの着物まで用意した娘共々 いざウィーンへ  飛行機