海外遠征で 心に残っている思い出を少々~

 

エジプト・カイロの オペラハウスでの演奏旅行。

 

 

飛行機が大の苦手なわたしは、決死の覚悟?で 14時間のフライトに挑んだ。

 

安定飛行に入って束の間、激しく上下に揺れだした。

隣で息子が  「こ、来なきゃ良かったね、、ガーンあせる」と。。。

 

身じろぎもせず緊張の一晩を明かし、翌日お昼前にようやくカイロに到着。

復路を思うと 気が滅入った。ガーン

 

 

どこまでも一様に建物が砂色なのと 道路の砂煙を見て エジプトに来た実感が。

 

 

 

実は、この遠征で 心にしっかり根を下ろした思い出は?

 

オペラハウスに 名を刻んだことでも~

ナイル川のほとりに宿泊したことでも~

大使館を表敬訪問したことでも~

ピラミッドや博物館でも~         ないのだ!

 

 

恐れていた復路の、 機内から見下ろした  ヒマラヤ山脈 飛行機ポーン

 

往路は夜行便で暗黒だったが、 復路はみごとな快晴

 

真っ白な頂きと立体的な尾根が 眩しく輝いて、体中を感動が駆け抜けた キラキラキラキラ

 

 

 

 

ほんの数十秒にも満たない 恐らく最初で最後の 不思議な感動であった!

 

 

地球上のどこに行こうが、  宇宙に飛び出そうが、

人間は 自分からは抜け出せない。

 

生涯、 自分の中を ぐるぐる巡っているだけなのだと言われている。

一生かかっても巡り切れないほどの壮大な器を 授かり生きている。

 

二つの眼に映る 壮大な山脈も、 自らの命にあるものなのだ。

 

嬉しくて  有難くて  涙が溢れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真は、無事演奏を終えて ほっと一息コーヒー の場面。

 

タキシードからセーターに着替えて お疲れさま~

 

マネージャー兼 荷物持ち兼 保護者兼 運転手兼・・・

 

あがり症で、 出番前は唇紫色で 吐き気と闘う息子の背中を押す役目 バイバイ

 

演奏前にはマイクを持って 本人紹介のスピーチも~

 

我ながら よく頑張った!

 

 

 

 

 

現在は お世話頂いている事務所の方にバトンタッチ なので

本当に助かる  ニコニコお願い

 

 

 

 

 

 

 

70数年 荒海に揉まれた私の人生は、 現在は  (なぎ) である。 

 

障害のある息子を ここまで運んでこれた 充足感。。。

 

穏やかな海面を ぼぉーっと 漂っている。

 

しかし 基本  は苦手だ。

 

 

 

少々 疲れた。。。   と言っていられないのは分かっている。。。

 

 

       私はいったい何をしに この地球にやってきて  

       何処へ行こうとしているのか?

 

しっかりせねば!と  いつも自らに問いかけ 鼓舞する。

 

 

 

60年近く 様々な仕事に従事してきた~

仕事は 私を裏切らない。

努力はいつも報われ 希望と成長と感謝をもたらせてきた。

 

 

恋愛はさほど興味がなく、夫が初恋で結婚した。

夫婦関係で悩んだことは とうとう最後まで皆無であった。

 

 

人間関係は 自らの未熟さを映し出す鏡なのだと学んだ時から

嘘のように 嫌い 苦手は 意識から消え去り 感謝だけが残った。

 

 

身体 は 有難いことに頑健で、病気 入院 手術歴は一切無し。

 

以上は どうやら今回の人生の 重要課題 ではなさそうだ・・・

 

 

 

今 悩んでいること、苦しいこと、解決できない事こそが

生まれてきた 課題 だとすれば、、、

 

 

  母親業 ❣  これが私の果たすべき この度の宿題なのか‼

 
恐らく 前回の人生で 子育てを放棄したか、子を捨てたか、、、
      因果応報 から逃れることは出来ない。
 
 
一人の時間をこよなく愛する私にとって、生涯 世話が必要な息子の存在は
修行以外の何物でもない、と思ったり~
 
子は親から離れていくものなのに、ずうっと母を慕う 可愛い我が息子でいてくれる、
と嬉しくなってみたり~
 
いまだに揺れ動く 自らの心の有様が情けないタラー
 
 
いずれにせよ、私の宿業に立ち会ってくれる 宝の命であることは間違いない。
 
  報恩感謝 という。  感謝だけではなく 恩 に報いていかねば !
 
 
母亡きあと この子が 音楽の使命  を果たしていけるよう 準備を・・・
 
  に甘んじている場合ではない。

 

 

突然のパニック障害で 3か月の入院後~

 

ようやく自宅のピアノの前に戻ってきた息子は

遅れを取り戻すかのように 鍵盤に喰らい付いた!

 

服薬の効果か 症状も徐々に治まり 学院にも復帰した。

 

 

早速 コンクール、演奏会、イベントなどのオファーが次々と***

 

北は青森 ~ 南は熊本まで 全国各地を演奏旅行で巡った。。。

どちらでも手厚く迎えてくださり、心温まる思い出は尽きない。

 

新聞でも幾度となく掲載され、 音楽雑誌にも取り上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつでも飛び出せるように 大型キャリーケースには一式を常備。

シフトの自由がきく会社に恵まれ、本当に有難かった。

 

棚に収まらない程の メダルと表彰状の数々。。。

 

13年間 頂上から 次の頂上へと目まぐるしく駆け抜けた。。。

 

 

 

 

 

低迷している息子の病状、 ピアノ人生 ダウン

 

そして我が家の経済状況 ダウン

 

逆行して 私の中の負けじ魂は パワーを増すばかり キューン上矢印

 

収入UP目指して 未経験のコールセンター業務に挑んだ。

 

入社して3か月目に 張り出された成績表の 3番目に名前が!!

ダメ元ではあったが、 やってみようか!と...

 

 

自己ノルマを増やし、ノルマ票の空白欄が全て埋まっている有様を

仕事前に ありありと想定した。

 

始めの「もしもし」だけで、お客様の性格 体調 状況が把握できるようになった。

 

1日数百件の架電・・1件1件に心を込め、時にはやさしさを 時には励ましを

時には喜びを 感謝を 電話の声を通してお伝えできるよう努力した。

 

毎月貼りだされる 100名近くの成績表の 1位の常連となり~

以降 5年間 その座を維持した。

 

 

定年となり、嘱託に移行してからも 都合13年 勤めあげた会社であった。

 

今年1月夫を見送り、 わたしも70歳を幾つか越え 転換期ではと・・

去りがたい思いではあったが 惜しんで頂き、 今年3月 退職した。

 

 

さて、 その13年間は 息子にとっても激動の日々であった。

日本中~  いや世界を飛び回ることとなる アップアップアップ