「12月30日」「上杉謙信」笑って厄落とし | アリガトウ!開運369日ノ國史

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 「上杉謙信」笑って厄落とし

 

 

みなさん、おはようございます

昨日フォローいただいた皆様

ありがとうございました

 

今年もあと2日

楽しいことを考えて

笑って厄を落としたいです

さあ、今日「12月30日」の國史を学びましょう

 

「長尾景虎(上杉謙信)春日山城に入る」

天文17年(1548年)

 

謙信が18歳の頃です

春日山城(新潟県上越市)は代々、長尾氏の居城

標高180メートルの春日山を土台とする山城です

 

高い防衛力を持ち

謙信は戦いの神・毘沙門天を信仰していたことから

毘沙門堂があります

 

謙信が、その強さから「越後の龍」と呼ばれました

 

一方、ライバル武田信玄は

「甲斐の虎」と呼ばれます

 

信玄は

人は城、人は石垣、人は堀

信頼できる人間こそが強力な守りであると

城を持ちませんでした

 

謙信と信玄はともに戦国時代最強ですが

運が悪かったことに

隣の国であり

近いため、何度も戦いました

 

4度目の戦いである川中島の戦いでは

「鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河(よるかわ)渡る」

 

謙信は、夜、馬に鞭(むち)を打つ音も静かに

千曲川を渡ります

 

武田軍は朝、霧が晴れた時に

目の前に上杉軍が居てビックリします

 

謙信は一旦引き下がるように見せて

独りで信玄目掛けて突っ込みます

 

信玄も一歩も引かず

軍配でかわしました

 

影武者であったとの説もありますが

ライバル同士の戦いがあったのは事実です

 

謙信は、己の野心のため戦わず

誰かを助けるため

正義のために戦った

「義」の人だったのです

 

最後までお読みいただきありがとうございました

世の中の混乱も

自身の軸足をしっかりしていれば

真実は見えてきます

そのためにも

厄落とし

笑う門には福来る

今日も元気にハタラク(傍楽)

行ってらっしゃい

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