松風園文庫 「高須藩への招待」

松風園文庫 「高須藩への招待」

岐阜県海津市にかつて藩庁が置かれた尾張藩の支藩である高須藩について紹介するブログです。また、所蔵品も載せていきます。 
 

 

 〇三又学舎 箕作秋坪の門人

   山田鉄治

 

   「興斎交遊録」より

 

 〇安積艮斎の門人

 天保七年

  牛込尾州屋敷近辺松平中務大輔様御屋敷

 四谷伊賀町  井坂 曻太郎

   注※ 井坂曻太郎の名は「職禄名譜」にも見えない。

 天保八年

    濃州松平摂津守様御藩

 九月二十六日 和田 百蔵

 弘化四年

    松平摂津守様御内

  二月     中尾 益太郎

 嘉永二年

    松平摂津守様御内

 三月七日   岡崎 種作 

 塾生請人

 嘉永五年

 河原丈平

    松平摂津守様御内

 四谷御上屋敷  筧 速水

 

  「安積艮斎門人帳」より

 

松平摂津守義行が将軍より新知3万石を拝領したことを披露した書状。

新知拝領は天和元年8月13日であった。宛名の松平大膳太夫とは、義行の妻吉姫の父長州藩主毛利綱広のこと。

 

 

 

「蒼岳公百回御忌、泰量公三十三回御忌、泰厳公三回御忌、泰厳公七回御忌」

行基寺で行われた高須藩主の法事の記録。蒼岳公は4代義敏、泰量公は9代義和、泰厳公は12代義端のこと。

 

高須藩信州領の竹佐村の文化5年3月の宗門改帳

当時竹佐村の人口は、総人数576人 内男305人女271人。旦那寺として竹佐村観音寺の外、山本村、伊豆木村、駒場村、飯田町の寺が挙げられている。

宗門改と同時に鹿猪威鉄砲御改帳が提出されているが、村に12丁の鉄砲が保有されていた。

 

 

 

「和魂漢才碑」

京都北野天満宮にある。

菅原道真の遺稿とされる「菅家遺誠」の中にある和魂漢才に関する二章を記したもので、嘉永元年に院の雑色で国学者・儒学者であった右兵衛大尉紀維貞が菅原道真の子孫の公家である東坊城聡長に揮毫を請うて建碑したもの。

座田維貞は高雄山にも「和魂漢才碑」を建立している。

 

 

現在の海津市にある高須稲荷神社の絵葉書。発行の時期は不明。

 

手水舎の位置が現在と異なっている。

 

現在の高須稲荷神社

 

松吉樵渓画「御幟図」

幕末の尾張藩御用絵師松吉樵渓が描いた高須藩の幟の図

実際の調練か羽田警固の場面を描いたものであろうか。

屋根付きの箇所には具足も描かれている。