第33回オリンピック競技大会(2024/パリ) 日付: 2024年7月26日(金) – 20 | Institute of Reproducing Kernels

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第33回オリンピック競技大会(2024/パリ)

日付: 2024年7月26日(金) – 2024年8月11日(日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再生核研究所声明 12 (2007/09/17): 人生、世界の存在していることの意味について 

 

天才教育や世界の在りようについて考えていましたら、結局は人生とは何か、存在している意味、目的が大事であると考えました。なぜならば この世の全ての問題は 結局はひとりひとりの心の問題に帰するからです。そこで、次の文章を思い出したので引用して、全ての基礎にしたいと考えます:

 

人生における基本定理

 

・・・ 1995年1月13日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、

「人生の意義は、 ・・・・・・ にある」

という言葉がわいてきた。

私はもの心ついてから: 自分が生きていること、そして死ななければならないことを知って以来、人生そのものの意味について、最も中心的な問題として考えてきた。その核心は、人間は生まれ、生き、死んでいくものであるが、それらがどのような意味があるのか、そして、そのような人生においてどれ程の価値があるのか、という半ば悲観的な見方:

実際、人生は何の意味もないのに、人は死にたくないから、そして人並みにあるいは人並み以上になりたいから、あるいは人に尊敬されたいから等の漠然とした気持ちで生きているのではないか、と。また、そのような人生、人間の目標はどのようなものか、という基本的な問題への疑問であった。

「人間としての存在の究極の意味、価値は」

「人類の目指すべき基本的な方向とは」

これらの基本的な問いについて、私が、全体的に、直観として得た解は、

人生の意義は、感動すること にある」

というものである。

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。 

人類の価値: 真、善、美、聖などの基礎を、我々の素朴な「感動させるもの」におき、

また同時に生と死を、感動することと感動の止むことに置き換えれば、我々は死を安らかに受容できると思われる。

 人類の永遠の課題    神、自由、不死

の解決のための確かな道筋を与えるばかりではなく、人間存在における三位一体の理

 存在、知、愛

を 渾然一体のもの「感動」として捉らえたことになろう。

また、藤村 操は、「・・・ 人生は不可解である、 ・・・ 」

という遺言を残して自殺したが、彼を何かに真に感動させ、

「人生の意義は、感動することにある」として、彼を救うことができたかもしれない。何が「人間を感動させるのか」を問うて行けば、「人生如何に行くべきか」の基本的な方向を捉えることができるし、それは多くの人間が素朴に、あるいはぼんやりと抱いていたものと大きな相異はなく、この「人生における基本定理」は 多くの人間によって受け入れられるばかりではなく、新鮮な感動をもって人生の基本的な指針を与えてくれると思われる。

 

謝辞 (略)

追記 基本定理を自覚した後の心情は、

 

人生はそれ以上のものではないという寂しさ、さまざまな人生の肯定、

何か絶対的で永遠的なものを失ったような寂しさ、

感動できる人生を送ることは容易ではなく、逆に人生は苦悩に満ちている、

人生のことは、考えれば考えるほど、わけが分からなくなる、

 

等、であるが、それにもかかわらず、人生の方向と限界を知り、夢中で人生を送っているよりは はるかに賢明になったように感じている。(群馬大学工業会報より抜粋)

 

藤村操

巌頭之感

悠々たる哉天壤、

遼々たる哉古今、

五尺の小躯を以て此大をはからむとす、

ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、

萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。

我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。

既に巌頭に立つに及んで、

胸中何等の不安あるなし。

始めて知る、

大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。

 

                                   以 上

 

 

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か

 

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)

およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。

しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 

されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。

さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 

そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。

まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。

次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。

次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。

挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

 

以 上

 

 

 


 

50 GREAT MOMENTS IN WORLD MUSIC

We've noted 50 great moments from 7000BC to the present day – concerts and confrontations, collaborations and conspiracies – all of which have shaped the sounds we're listening to today

https://www.songlines.co.uk/features/50-great-moments-in-world-music

 

細野晴臣 - PLEOCENE (Visualizer)

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=mTeDK0RE98s