生成AIと教育、受験、学校、先生、生徒、教室、親、社会 その他 それぞれの立場 時代の流れ | Institute of Reproducing Kernels

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色々な事を書きます。マイペースで書きます。

生成AIと教育、受験、学校、先生、生徒、教室、親、社会 その他、それぞれの立場 時代の流れ

 

小・中学校における不登校児童生徒数は299,048人(前年度244,940人)であり、前年度から54,108人(22.1%)増 加し、過去最多となった。 在籍児童生徒に占める不登校児童生徒の割合は3.2%(前年度2.6%) 。2023/10/16

https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5aa667da-fe7f-4ea9-9ee2-7510121e6751/2d6548bb/20231016_councils_ijime-kaigi_dai2_01.pdf

 

教員の退職者数(令和3年度)総務省の統計から引用します。 教員(教育公務員)の退職者数の表がこちらです。 退職者数の合計は84,904人です。2023/05/08

https://note.com/high_school_jten/n/n47c1b27f8f24#:~:text=%E5%BC%95%E7%94%A8%E6%96%87%E7%8C%AE-,%E6%95%99%E5%93%A1%E3%81%AE%E9%80%80%E8%81%B7%E8%80%85%E6%95%B0%EF%BC%88%E4%BB%A4%E5%92%8C%EF%BC%93%E5%B9%B4%E5%BA%A6%EF%BC%89,%E5%90%88%E8%A8%88%E3%81%AF84%2C904%E4%BA%BA%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

 

中学受験 偏差値重視に変化が “中堅校”はなぜ人気?入試問題も変容 教育環境どう選ぶ

2024年2月9日

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240209a.html

 

再生核研究所声明 76(2012/2/16)  教育における心得 ― 教育原理

                                            

人間の教育には微妙で複雑な要素がある。 その要点について触れ、教育の原理に思いを寄せたい。 また、学校教育や、家庭教育、人間の在りようの心得としたい。

教育とは要するに、 外なる刺激で、人間の成長、発展を促すことであるが、要点は外なる刺激が、個々の人間にどのように影響して、好ましい影響を与えるかである。

好ましい影響とはそもそも何であろうか。 簡単に考えれば、次が 基本ではないだろうか:

 

個人の才能を伸ばしたり、活かしたり、 究極には個人が幸せになること、 

 

および

 

良き社会人になり、社会に貢献できるような人間に成長できるようにすること。

 

両者は矛盾するものではなく、表裏一体、車の両輪と言えるだろう。なぜならば、 人間は 社会の中の存在だからである。

まず、大いに注意したいのは、 人間が教育を受けて、大きく性格、人格、価値観、感性などなどが 強い影響を受ける事実である。これは教育を受けて を 環境によってと 広く言い換えられる。 特に幼児教育の影響は甚大であるとも言える。 あたかも人間が形成されていくように思える程である。 顕著な例が、言葉の学習である。 実際、普通の人間ならば、 幼児の時代に過ごした、どのような世界の言語も 自然に話せるようになるだろう。 これは事実驚異的なことと言える。 幼児教育が、どのような環境、教育でどのような影響を与えるかの研究は ほとんど未知の研究分野ではないだろうか。

いろいろな天才の出現; 音楽や芸術の才能、スポーツの才能の開花、数学の才能の開花、などなど広範に及ぶ、才能の開花と環境の影響である。 大きな未知の分野として、触れておきたい。

次に人格形成の時期における問題である。 人は好きなことをやりたくなり、感動する分野で,価値を見出すであろう。 ここが大問題である。どうして、そのような感性がどのような環境、教育で育つのであろうか。 好き嫌いなどの感性、感動する対象がどのようにして定まって来るのであろうか。 固有の人間の生命活動と、環境の極めて複雑な関係で発達するようにみえ、その過程は極めて漠然としているのが現状ではないだろうか。

あまりにも未知のことが広くて、深いので、そこで、基本として自由放任主義自由を尊重した教育原理が考えられるのは、当然である。また、それは、自然に帰れとも表現されるだろう。

もちろん、これでは、 良き社会人としての人間の成長が望めず、また、社会、文化の継承の面からも基本的な問題が生じる、 そこで、基本的なカリキュラムを用意して、学校生活を 調えて、教育を組織的に行うことになる。

個性を生かす、個人の能力を活かす、個人の全人的な成長を図ること; 良き社会人を育成し、文化の継承を図る、これらは教育の基本的な要素、教育原理であると考えられる。

軍国主義的な教育、偏狭な愛国主義的な教育が、 また、宗教などが 全人格に甚大な影響を与えてきた事実を振り返るまでもなく、学校教育の影響も強く、他方、いろいろな個別的な、専門教育も、特殊教育も個人に甚大な影響を与えてきた多くの例を想起したい。

特に注目したいのは、初めて受けた教育の影響の大きさである。 若いときに受けた教育の影響が 後々まで影響を与えて、3つ子の魂百までもの諺は、教育の故か、人の性格は変わらない事実を 如実に示している。 3つ子の性格は もちろん大きく、環境と教育の影響を受けているのは当然である。 狼に育てられれば、狼のようになってしまう。 大学で、ある専門に惹かれると、終生その学問・研究に惹かれ、没頭して、そこに自分の世界を見出すのは 世に多い現象である。 後で、変更できないような甚大な影響を受けるので、何事初期教育は極めて大事な観点ではないだろうか。

この声明の意図は、教育の枠をはめすぎ、型にはめすぎると、変な人間ができる危険性が高いのではないかと 注意を喚起することである。

日本の大きな教育目標が 本来あるべき教育の理念からずれ、受験勉強やそのための学力を付ける いわゆる科目の勉強に重点が行き過ぎてはいないだろうか。 ひどい場合だと、ただ良い大学に入ることばかりが目的で、文科系を専攻したいのに、理工系,医学系が 評判が良いので 評判の良い方に入学したということは 世に多い現象である。 また、近年はいわゆる名門大学に入るために、 小さなころから 塾通いをしたり、入試を有利にするために、専門的な学校に入学して、特訓をしている場合が 世に多いのではないだろうか。

これらは、昔の軍国主義教育と同じように 何か変な教育で、おかしな人間を大量に育てているのではないかとの危惧の念を抱いている。また入試の共通テスト方式の悪い影響を危惧したり(再生核研究所声明 20:大学入試センター試験の見直しを提案する)、貧しい、競争をあおる風潮にも懸念を表明したり(再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)、 天才教育などに対する配慮なども提案している(再生核研究所声明 60: 非凡な才能を持つ少年・少女育成研究会)。
そのような面からも、日本の教育の在りようについては 初心に戻って考え直す必要が有るのではないか(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)

と、 再検討を広く訴えたい。

EUやアメリカでは、日本のような上記教育問題が 顕在化していない様に見えるが、実体の解明と比較検討は 大いに参考になるのではないだろうか。

もちろん 教育の問題は、人間存在の意義 と同じく、永遠の問題であり、絶えず、各級で検討され続けて行かなければない。

 

以 上

 

 

 

再生核研究所声明 17 (2008/7/25)  教育界の改革を求める

 

大分県の教育界における不祥事は、いくら日本国が 空虚な日本の社会(再生核研究所声15)といっても 流石に健全な批判が湧いてきたのは当然である。身近な点から問題点を考察すると、試験がたとえ公正にできたとしても、全然問題は解決しないのではないでしょうか。 第一に、試験問題が適切であるかどうか、広く日本中で検討してみる必要があるのではないでしょうか。さらに、面接試験という大事な場面を迎えますが あのような体質で、より良い学生を公正に選ぶことができるか 検討する必要があると考えます。

                                                                                                       

試験内容について、例えば、数学専攻で、教育学部長をされた ある先生の嘆きを思い出します。大学でいくら専門の数学を熱心に勉強しても 専門の数学は採用試験には出題されず、大学受験や高校程度の数学の問題しか出題されず、それで、大学で熱心に勉学している学生よりも、家庭教師や塾でアルバイトをしている学生の方が有利になってしまい、実際、合格率も高いという嘆きです。これでは数学教育界が、数学の本当の精神や深い専門的な内容などよりは 受験勉強に代表されるような問題解きの技術の勉強になってしまうのではないでしょうか。 実際、入学して来る多くの大学生は 数学は問題解きであり、多くの技術を学ぶのが数学だと思っているのが現状ではないでしょうか。これでは創造性豊かな教育や本来の数学教育の目標からは ほど遠いのではないでしょうか。

 

一般に試験について、何十年も前に あるラジオ ニュースで聴いたことが なぜか何時も気になります: ネジの検査で、良いものを落とし、悪いものをわざわざ選んでいたというのです。わざわざ数学嫌いな生徒を育てたり、悪い教育を行っているような事は 至る所に見られる現象ではないでしょうか。

 

他方、教育には善良な市民を育成するという大事な面があるはずです。その大事な考えの一つには個性を活かし、公正な社会を実現することにあるのではないかと考えます。しかし、教育委員会の指導的な人達が 自ら信じられないような不正を行っていて、そのような方々が面接したり、教員を指導しているという事は如何なものでしょうか。大分で起きた事件は 大分県の特殊性から出てきたものではない以上、日本中で同じような状況ではないでしょうか。人事の刷新を行い、教育改革を進めるように訴えます。

 

このような状況で、教員更新性の導入を行えば、教育界はますます混乱し、よい事は何もないと考えます。マイナス要素を挙げてみたいと思います。

 

(1)教員の忙しい状況の中で、さらに時間と余計な気遣いの負担を増加させる。

(2)財政難で国がおかしくなるような状況の中で、さらに大きな資金と労力をかける事になる。

(3)更新講習は形式的になり、効果が望めず、逆効果が考えられる。また講習で改善されるような教員は初めから、問題が無いと考えられる。

(4)更新されなかった教員の生活や身分の問題が解決できなければ、結局更新の問題は解決できず、いわば余計なことをすることになる。

(5)このような制度の導入そのものが、教員の身分を不安定にし、教育上良くない効果を生むと考えられる。

 

などなどですが、そのようなことに 時間とお金 をかけるくらいならば、

忙しい先生に休暇とお手当てを配布した方が 遙かに効果的ではないでしょうか。

 

日本国の再生のために、試験問題の作成委員や面接する人を 見識ある人物に代えるばかりではなく、教育界の全般的な改革と刷新を行うように 多くの関係者に求めます。またマスコミの積極的な取り組みを要請致します。 以上。

 

 

 

再生核研究所声明 1042012.10.28  人事採用、昇任について

 

(この声明は、再生核研究所声明に興味を抱く人からの 要望によるものである。難しい課題である。)

人事とは、人物評価、人物の能力、問題となる職種との関係で、実に難しい、重い課題である、総合的に論じると 難しいと考える。 そこで、 軽く、経験から、気づいたことを纏めてみたい。いろいろな観点があるので、一面的な見方と柔軟に考えられたい。ここで、人事とは 添付のウィキペディアの: 企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)を意味する。

まず、公務員など 公的な職種は、採用に当たって、公正、平等、機会均等 の原則 があると考えられる。 他方、私的な企業等は、 経営者の自由に 相当なると考えられる。しかし、 企業といえども 大きな社会的な存在になればなるほど、公務員等と 同様に 公正、平等の原則が 強まると考えられる。

次に 職に合った 適任者を採用するのは いずこも 当然の要求である。

 

これらを行うために、公募による、客観的な試験 (これには書類選考を含めることが出来る) と 責任ある者たちの総合的な面接 で 総合判定されるのが 世に多いと考えられる。客観的な試験、多くはペーパ―テストで点数化されて 採用の決定に大きな比重を占めるのは、公務員などで多いのではないだろうか。 多数の採用を行う企業などでも 実際、面接を適切に行う余裕も、面接で判断する能力と信頼に自信がないために、 客観的な試験に頼るは 世に多い。 大学受験などの大部分がそうであるような現象が 世に多いとみられる。

ここで、 客観的な 試験で、判定する弊害を 次のように 指摘したい:

 

1) 試験で、 大事な、複雑な 人間の能力を判定できるかという問題。

2) 試験内容が、あるいは その結果で、職種に合った、 適材適所になる人材を選べるかという観点から、非常に疑わしい面があること。

3) 職場には いろいろ多様な人物がいた方が 良いのに 偏り、同じような 人物を集めがちである。

 

などである。

― ここで、何十年も前に NHKラジオで聞いた、 適正試験の結果と 適任者として求める才能が 逆であったということが判明した、との話しが 何時も気に成る。 逆の評価で採用していたという、有りそうな現象である。

また、元群馬大学名誉教授 道脇義正先生の言葉: 数学の教科書を出筆するような人は数学が好きで、できる人が書く、それで、数学が嫌いで できない人の 気持ちが分かる筈がない。また、教育関係のいろいろな諮問員会の先生たち、優秀な方ばかりで 議論していて、いわゆる おちこぼれ組の生徒の気持が分る筈がない。という視点は 大いに参考にすべきではないだろうか。ノーベル賞受賞者の意見を尊重すると、ノ-ベル賞級の世界観を示される危険性が有る。 いろいろな視点や、多様性は 大事ではないだろうか。

 

逆に、 面接を重視すると

 

1) 公正でなく、場合によっては、責任者の私的な 都合の良い人事に走りがちである。 公募などを行っても、自分の都合の良い人を集めるは 世に多い現象である。公のポストを 私的のように行っている人事は 世に多い。

2) 面接を受ける者は 真剣勝負で臨むので、中々、人物評価は 実際には難しい点がある。 一緒に食事をとったり、日ごろの様子を観察したり、友人や知人の意見を参考にしたり、 いろいろ工夫していると考えられる。

3) 多くの労力を必要とする。

 

などである。

私的な企業や、伝統的な職業などは 縁故関係で 採用を決める傾向が強いは 一概には否定できず、 良い面が多々あると評価すべきである。 それぞれ、伝統と文化的、背景を活かせるからである。 世襲的政治家など 批判的に捉えがちであるが、政治社会は大きく 偉大で 人間関係や背景を強固にするには 一代ではできず、 世襲的な政治家もおおいに育て、 優秀な人材を輩出すべき基礎を、基盤を整えるのが 良いのではないだろうか。 国家の指導的な人たちを育てる ある階層が有っても良いと考える。 学問、芸術でも 伝統に基づいた基礎に配慮するのは 是と考え、同時にいろいろな分野からの 人材の補充、登用もいろいろ配慮するのが、 良いのではないだろうか。 多様な、自由な余地を考えることである。

人材の登用はいわば、 王たる者の 最も大事な能力のひとつであるから、それは、国や社会の 総合的な文化力を反映させるものである。 帰するところ、 文化力の問題であると、自覚し、文化力の向上に日ごろ大いに努力すべきである。

 

以 上

付記:

ウィキペディア:

人事(じんじ)とは、以下のような意味がある。

(自然に対して)人間に関することがら、出来事

人間としてなし得るまたはなすべきことがら(例:人事を尽くして天命を待つ。)

企業その他の団体・組織における職員の処遇などの決定に関する業務(本項において解説)

人事異動の略

意識(例:人事不省)

法律用語として、人の身分や能力、住所など、そのうち特に身分に関すること(例:人事法、人事訴訟)

 

 

再生核研究所声明 4892019.6.17)勉強から、考える、そして心の教育に

 

勉強という言葉が、広くある世相として存在するようである。親が勉強しろ、勉強しろ とうるさかった。 受験勉強、塾の勉強などなど。 しかしながら、勉強は、務める、強くだから、行き過ぎると精神衛生や健康にも良くないのではないだろうか。 勉強には記憶する、トレーニング、型にはまった解答ができるようにする教育の面が強く感じられる。 ある情景が思い出される。 地方から名門私大の入学を志して上京、塾に通い、受験勉強に専念、日本史の科目で、あまりに細かいことを学習しているのを見て、驚かされた。そのくらいは過去問から必要だと言っていた。 - 背景には受験科目が少なかったので、日本史の学習に集中する必要性があった。いわゆる名門大学の院生、たまたま訪れたトルコの名所旧跡について、あまりに詳しいので驚かされた。ある名門大学卒の奥様、何時も本を近くに於いて、読書にはまっている姿に驚かされた。 いわゆる勉強の行き過ぎて健全な精神状態ではないのではないかと考えられる面が多い。勉強のやり過ぎである。この声明の発想は 勉強のやり過ぎの弊害に触れたいことにある。 ー 昔は四当五落などの言葉があったが、そうすると、人生の晩年まで持たない事実が 相当に出ているように感じられる。

一方でインターネットの普及で知識や情報が相当簡単に調べられる時代を迎えた。知識重点は大きな意味を失ってくるのではないだろうか。いくらでも簡単に調べられるからである。勉強の大きな部分を占める外国語も翻訳機能の格段の進化で、外国語に対する教育の在りようも再検討が求められるのではないだろうか。 言葉は心の大事な表現なので、その検討は深く慎重になされなければならない。 数学の学習だが、新しい面が現れて来たので、少し触れたい。MATHEMATICA によれば、数式まで込めて計算は想像もできない程に複雑な計算も簡単に計算できる時代を迎えた。ところが、Isabell/HOL などでは、 論理から、推論も相当にできる時代を迎えている。 予想された定理の証明から、定理の検証までできる時代を迎えつつある。 すると数学の役割も相当に変化すると考えられる。計算機が人工知能を備える時代である。計算機、人工知能には新しい命題の予想や創造はできないが、予想された命題の是非、それらは検証できるという。すると人間の役割は、予想を創造することで、それができれば、計算機が検証、正しければ証明さえ与えてくれる時代を迎えるという。そのようになれば、人間の役割は、勉強より、考える力、創造性を高め、いろいろ新しい発想を行うことになるだろう。 

このような流れは 勉強重視より、考える力の涵養、豊かな発想を可能にする心の教育の方向へ方向転換が求められる。 現状の教育には 大きな無駄 悪しき教育 がなされていると考える。 教育の目標はもちろん、心身の健全な成長を助け、良き社会人の育成にある。

この観点を確認して、徐々に教育の在りよう、カリキュラムの改編を絶えず図っていきたい。

高級に捉えれば、人工知能や計算機の発展で、改めて人間とは何かと一層深く捉え、人間の教育はどのようになされるべきかとの 永遠の課題 を絶えず 真摯に問うていく姿勢が求められる。

                           以 上

 

 

再生核研究所声明 7502024.3.20) 数学の研究者の道 ー 恩師、先輩の言葉を回想しながら

 

恩師、先輩の言葉を回想しながら 数学者の道について思うことを述べて置きたい。

まずは数学者の典型的な在りようを分析したい。

 

数学界では 秀才タイプや 天才タイプの人が 何時も話題になる。 優秀だ、凄いと発想される方の道である。 試験や競争に その才能のゆえに強く、所謂経歴も驚嘆すべきもので、それらの話題さえ有名である。 才能で 抜群、 多くは拝見しただけでも畏れ多く、 国家や民族の宝のように処遇されている場合も多いのではないだろうか。

社会的にも別格扱いにされる場合も多い。 このような方は早く自立していて、師を本質的には必要とはせずに 独りでに道を歩むことになるだろう。 そのような方の発想で多いのは 自らの才能を証明するために 有名な未解決の問題に挑戦して、解決して世の承認を得ようとする事である。 実際、多くの賞の受賞者には、 何々の問題を解決したとの授賞理由が述べられている場合が多い。 未解決の問題の解決には 真の創造性が必要であり、 数学の発展の原動力の中心的な存在であることは 近世以後の歴史を回想しても頷ける。 このような才能のある方に対して、ここに述べる存念は 意味をなさない。 才能が全てを越えて行くだろう。

しかしながら、多くの数学者について、上記のような要素を有する面が 相当にあるのではないだろうか。

問題は、そのような ずば抜けた才能が 無くても 数学が好きで、数学者の道を歩みたいと考える多くの研究者の在り様である。 優秀な人が集まる数学界、職を得たり、

学界で上手く生きていける人が どんどん限られて来ている、 数学者の道は厳しいものであると言える。 また、才能だけで研究が続けられるほど 創造的な研究は甘いものではない。 

素晴らしい才能の持ち主の研究生活、 人生に対する挫折は 世に多く見られる普通の現象であるとさえ、あるレベルから見れば 言えるだろう。 それ故に、才能、研究環境、時代によって様々な数学者の人生が展開される。

現在、数学界は 数学の高度化と、財政的な縮小、ポストの減少などに伴って、どんどん厳しくなっているから、一般的には博士号を得て、恒常的な研究職に着くまでは、指導授授とその仲間と共に研究活動を行い、 いわば敷かれた路線で認められるような業績を修める必要がある。 ー これは初学者にとって大事な心得と考える。 安定的な職を得て、研究上の自立が可能になると考える。

現在では任期付きポスト ポストドク 5年が世界的に多く用意されているが、多くは苦しい修行の時代が続くと考えられる。 任期制で うかうか研究に集中できず、好きなこと、 大事な研究より明確な業績を挙げて 確かな職を得たいと必死にならざるを得ない。

ー 研究者にとって大事な時期 自由な研究を保証できない 任期制ポストには 強い反対の意見を表明して置きたい。 また、その時期の研究者のために 次の声明を発表して、求職者に助言している:

再生核研究所声明167(2014.6.21)大学などで アカデミックなポストを得る心得

(本声明は あるポスドクの方の パーマネントポストに就く心得を纏めて欲しい との要望によるものである。 安定した職に就きたいは 一 若い研究者の切実な願望ではないだろうか)

数学の研究が細分化、高度化したために 多くは生涯 上記頃に携わった研究課題が生涯の研究課題になるのが 殆どであると言える。 人間の脳の構造か 初めて志した研究課題がどうしても研究課題の中心になり、永く影響をうける相当な事実が存在する。 それ故に 逆に初期に志す研究課題が大事であると言える。 数学の高度化で、 研究課題の変更が出来ない状況が存在する。

研究は、初期研究に大きな影響をうけ、その周辺の研究が生涯の研究課題になるだろう。

そこで、如何に行くべきかについて、恩師、先輩たちの貴重な言葉を回想したい。

 

梅沢敏夫先生: 博士号を得るまでは ひたすらに頑張れ。

道脇義正先生: 小さくても良い、独自の研究を行なうように。

及川広太郎先生と吹田信之先生; お話しと注意したいこと: 世界でクライン群の研究が盛んになっている、それで私も1つくらいその分野で論文を書きたいと考え、 学び始めた。 ところが研究が余りにも世界的に盛んで、大論文はおろか著書までどんどん出版される状況になってしまった(及)。 私の記憶ではアルフォ-スが始めて20年後くらいの話しである。 ところが日本では、そのくらい遅れて博士課程では学ぶ場合が多い現状と言える。即ち、数学輸入国では相当に良いところをやりつくされたような状況で数学の研究に参加する状況があると言える。それでは如何に優秀な者でも 良い成果をあげられず、抹消の発展でさえ大変な状況に追い込まれてしまう。 そのような状況を受けて兄弟のように仲良しに感じられた吹田先生は、若い人は新しい研究課題に取り組むように諭されていた。 ー この文がこの声明を書く気持ちにさせた ー

大谷杉郎先生: 縦書きで解説し、多くの人に理解されるような結果でなければ 大した結果とは言えない。

右田俊彦先生: 真の創造とは 新しい概念の発見の事である。(これは凄いですね。)

金谷健一先生: 数学者はずるい、どうでも良いようなことをやって 出来た出来たと大層なことが出来たようにはやし立てている。 そんな結果 我々にとって何の意味もない。

小平邦彦先生: 数学の教科書に載っていた言葉: 数学者は 考えられることは何でも自由に考える。

 

これらの偉大な恩師、研究者の言葉は 研究生活に大きな影響を与えてきている。

そこで、ここで言いたかった存念は 数学の研究

 

既存の結果の

 

一般化、精密化、改善、類似、抽象化、

 

が初期には基本的に考えられるが、新しい芽を発見する心も大事ではないだろうか と言うことである。高級そうな結果は見栄えは良いが、大した意味のない場合が多く、いわば新しい芽の部分に素朴な概念と価値があるのではないだろうか。 

誰でも高く評価するニュートンの場合が顕著な例である。

 

そこで、数学の研究方針について、雑誌創刊号に次のように記した:

 

The spirit of the journal of International Journal of Reproducing Kernels ISSN: 2753-8028 https://romanpub.com/ijrk.phpis:

 

fundamental, beautiful and good impact to human beings.

 

Love, passion and fairness are important in the journal

 

                                    以 上

 

 

 

 

 

№1300
声明750
75
411頁

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