「親ガチャ」を哲学的に考える、ハズレを引いたら自暴自棄になるしかないのか 哲学者が語る、犯罪 | Institute of Reproducing Kernels

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「親ガチャ」を哲学的に考える、ハズレを引いたら自暴自棄になるしかないのか

哲学者が語る、犯罪抑止が効かない「無敵の人」を救うために必要な傾聴と対話

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78843#google_vignette

 

Love Song (trace mix) 北斗の拳2 エンディングテーマ

 

 

相棒season9第8話のタイトルは「ボーダーライン」

君たちはどう生きるか

 

 

 

 

 

 

再生核研究所声明305(2016.06.17) 出産の報に接して

 

友人が出産の喜びを伝えてきたが、これは友人に関わらず、一般に出産の問題から、人生の問題を考えて置きたい。

多くの人は自分の子の出産に際して、明かりが灯されたような希望、夢が湧いてくるのではないだろうか。人生の意義は感動することにあると 言い切ったことに対して、ある女性が 出産した時が人生で最も感動した瞬間だったと回想したという。よく理解できる。 生命とは何だろうか、人生とは何だろうか、生きるということが どのようなことかに関わっているからである。

なぜ、生命は、人生は始まったのか。両親の思いは代々、世代 世代くり返されてきたが、

それらは 同じようではないだろうか。多くは子供たちの将来の問題に関わらず、自然に極めて基本的な生命の営みの結果、恋などを通して出産を迎えていると言える。もの心付けば 異性に興味を抱き、片割れである人間

 

No.81, May 2012(pdf 432kb) - International Society for Mathematical ...www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf

Traduzir esta página19/03/2012  ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。骨格は .... の上に立って判断されるべきです (再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の. 審判)。実際、何十年も経って、...

 

異性に惹かれて、自然に出産に至る。大事なことは これらは、声明303などに述べられているように、そのように、生物、動物、人間は作られているという事実である。人生には意義が有るだろうか、意味が有るだろうかの問題ではなく、生物の基本的な営みとして、そのように作られているということである。

人生、苦しい時は、どうして苦しい人生を苦労して、生きなければならないのかと、生まれてきたことを恨みたくなったり、生まれて来なければ良かったと思うときは 少なからず有るのではないだろうか。苦労して、子供のために心配し、尽くしている両親を恨みたくなることさえあるのではないだろうか。

真実は、両親さえ、そのような心情には答えられず、生命の切ない定めで、現在に至ったと哀しい想いをするだけでは ないだろうか。

出産について言いたいことは、それは生命の基本的な営みで、強い必然性があって、我々の思考を超えたところにあるということである。それは、人生や、世界の存在の問題は 我々の思考を超えたところに存在するということである。

出産という慶事に際して、人口問題などの難題については 改めて、考察したい。

ただ、この世に生をうけたからには、人生を肯定できるような人生をおくって欲しいと願わずにはおれない。 人生の肯定である。

 

次も参照:

 

再生核研究所声明304(2016.06.16): いじらしい人間

再生核研究所声明301(2016.05.23): 人間の愚かさ―人間の賢さ

再生核研究所声明273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か

以 上

 

 

 

再生核研究所声明 682011/09/02)  生物の本質 ― 生きること、死ぬること

 

(背景: 2011/8/27/19:30 : 生ビール付きで 中華料理のご馳走を沢山頂き、最後にコ-ヒーを頂いているときに、突然閃いた考えです。 実は、― 家の大事件が入りました。なんと燕の巣が 大きな蛇に襲われ、買い物から、帰ったら、既に襲われ、親がわめいていたというのですね。 狙われやすい方の巣に 雛が孵って、そろそろ飛べるころでした。 見たことも無い 大きな蛇が下にいたということです。 痛切残念です。 2011/6/20/11:10 ― の事件後、生物の在り様について、重苦しい思いで その事件のことを反芻して来ました。 お釈迦様はそのような有様をどのように観られて、生物を どのように捉えておられたのでしょうか。 実はその蛇、4年前、子供の蛇で、25cmくらいで、 悔しそうに燕の巣を眺めていたのを良く覚えていて、あの蛇が成長して、とうとう夢を叶えたのかと 同情の気持ちが少し湧いていました。 何という辛抱で実現した希有の事件だろうということです。 相当に難しいところにある燕の巣です。 他方、燕のツガイは 毎日一生懸命にえさを運び、夜家族でかたまって静かに休んでいる誠に愛しい情景を見て来ました。 もし、飛び立てば、 広い天空を飛びまわり、南国まで旅して、恋人を連れて戻り、新しい家族を作るのが 永い習性です。 蛇に襲われ、雛は生涯をあっという間に閉じ、親たちはその日から、目標も失ってしまったのです。 ―― しかしながら、思えば、 食ったり、食われたりは、生物界の厳然とした事実です。 私も、小学校5年生で、友情に芽生えた友を失ってから、実に多くの友、両親、親族、恩師たちを沢山失って来ました。 これをどのように捉えるかですね。 その間、 ― 地上の星 / 中島みゆき [公式] : 人の世の哀しみをのりこえて、 庶民賛歌を歌いあげたものである ― 背後には 人世をみつめる 真摯な心がある。 ― を繰り返し、不思議な感動をもって 拝見して来ました。) それで、 突然、ひとりでに、閃いた直観は、生きることも、死ぬることも 等価 である。 食べる立場も、食べられる立場も等価 であり、いずれも諒である。 死の母なる永遠の世界からみれば、生物はみな 等価であり、長い生も、短い生も同じようなものである。 小学校5年生で生涯を終えた友も、それから何十年も生きていろいろ経験をしていても 大きくみれば、本質をみれば、同じようなものである。

いろいろやりたいことが有れば ― 感動することが有るということは、それだけ、人生を豊かにするだろう。 しかしながら、それらは、所詮 儚い幻のような存在である。されば、さめているよりは、好きなことに夢中になっていた方が良いとも言える。 死を恐れ、嫌がる情念は、 生命力の現われであるから、それらは好ましいものである。 人生とは、我々の生命力が、 我々を駆り立てて、動かしているものである。

およそ生物とはそのようなものである。しかしながら、生物の存在、そして人間の存在は、限りなく尊いものである ことを確認して、

 

最も大事なこと (再生核研究所声明13)、   

人生、世界の存在していることの意味について (再生核研究所声明12)   

社会生活を営む原理(再生核研究所声明1) 

 

を、 確かに想起しておきたい。 また、このような見方は、

 

超越への道、悟りへの道 (再生核研究所声明19)

 

を補完するものであると考える。 

以 上

 

映画「二百三高地」

 

高地の突撃を繰り返しながらも戦死者が続出するだけでまったく成果を上げられず、非難を浴びる乃木希典大将(仲代達矢)と、なぜか彼を交替させようとしない明治天皇(三船敏郎)。

そして親友の乃木を見かねて現れた児玉源太郎大将は「味方の弾が味方に当たっても構わない」と豪語する愛していた教師(あおい輝彦)の心には、ただ敵に対する憎しみだけが募っていき、ついにそんな中、兵士たちは疲弊し、次々と斃れてゆき、かつてロシアとその国の文学をその想いは乃木に対してぶつけられていく・・・。

 

正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。

正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。

芥川龍之介侏儒の言葉」より

 

十一月二十七日、司令部は二百三高地攻撃を決定した。その日、小賀は捕虜の通訳を命じられたが、「兵には国家も司令官もない、焦熱地獄に焼かれてゆく苦痛があるだけ」と拒否、その言葉は激しく乃木の胸を打った。

あと、乃木大将が前線視察に赴いたときに一人の兵士に声をかけましたが、兵士から「どうせわしらは消耗品ですさかい・・・」の言葉を聞いた大将は、驚きと落胆の表情をしていました。(さすがはベテラン俳優です。今の俳優にはない演技です)

http://blogs.yahoo.co.jp/y_aizawa_by_kanon/29743101.html

『陛下のせきしをこんにちまで無駄に殺してきたのは誰じゃっ!!貴様たちじゃないんかっ!いくさは気合いじゃぞっ!しりごみする前に実行せい!』

 

「こ、児玉ぁ!わしゃ木石じゃないぞッ!!」と乃木が親友・児玉におもわず叫んでしまい、その台詞に児玉が「乃木ィッ!!おぬしの苦衷なぞ斟酌しとるヒマは儂にはないッ!!儂が考えてることはのう、ただこの戦争に勝つこと! それだけじゃッ!!」と一蹴する

 

「全ての命に、限りがあるのならば、海は死にますか・・・・・、教えてください」

 

 

再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの

 

(この声明は、最近の研究の進展についての、M.T.様のメール: メールありがとうございました。研究の進化がライブで体験できて、素晴らしかったです。ありがとうございました。― から 大事な考えが湧いたものである。)

 

再生核研究所声明 145 (2013.12.14)生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察 ― ここでは 人間として生きることの 究極の意義 を考察したい。本質を観るには 余分な非本質的なことを排除するのが 良い。

として、始めに、基礎論を展開し、人生の一つの原理は、ゲーテの 絶えず活動して止まないもの、 アインシュタインの 人生は自転車に乗っているようなものである、 止まったら、倒れてしまう、 岡本太郎氏の 芸術は爆発だ、 どんどん爆発を続けて行くのが芸術だ。これらは、誠 至言である。

と言及している。さらに、

人生の基本定理 再生核研究所声明 57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか -

それは究極、人生の基本定理 人生の意義は 感動すること にある(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)ということになるだろう。 
なにものかによって 作られた人間 が できることとは、理想境界(ideal boundary, 想像上の境界)のように、自らの生命と感情の命ずるままに生きざるを得ない。
暇だから、巨大素数の構造を調べる遊びに熱中していた、暇だから 数学をやる他ないと言っているような者は 世に多い (再生核研究所声明36)。
真実は唯一つ、生命の基本定理; 生きて存在しなければ、始まらない、ただ生きること、これだけが真実で、確かなことのようにみえる。
しかしながら、ここで生きることとは、個として生きることに あらず、大きな生命、元祖生命体 (再生核研究所声明36) としての 大きな命の存続 を志向している のも明らかである。それ故に、人は、共感、共鳴、交流を求めている。それは、精神を引き継いで行きたいという この大きな命に帰依したいという、本能に基づいているからである。

と結んでいる。

今、日々研究が猛烈に進んでいる状況;100/0=0,0/0=0 の発見と、展開のさまに まこと、ライヴ、生、生きること、在ることの本質を実感する。次々と生命の活動のさまとして、展開している現場である。上記で、岡本氏やアインシュタインの活動のさまは、実にこの生命の展開そのものを述べているものである。

理論を完成して、論文を出版,印刷物に成れば、それだけでは停止してしまう。どんなものでもやがて色あせてしまうだろう。しかし、そこに、不備や発展の余地を見い出せば、その理論は動き出し、生きかえるだろう(再生)。再び息を吹き返し、活動し、ライブの状態に至るだろう。

何でも世の中の原理は 同様である。活動しているだけはなく、その中にも 変化創造性を伴うもの、それが、真の感動の源泉であると言える。

感動させる原動力こそ、生命力と言える。

以 上

 

 

再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間

 

人間とは何ものかによって 作られた存在 であり、気づいてみたら生まれていた、存在していた。夢中で生きていたら、それらはみな言わば作られた存在として、基本的なありようは定められていたといえる。気づく以前は本能原理の基で、多くは環境に左右され、環境に合ったように多くの動物のように 生きているといえる。

作ったものに意思があるとすれば、それはちょうど作ったものの意思に従って生きているだけであるともいえる。― この観点では、人間の自由意思の存在さえ疑わしくなる。自由意志の存在しないところでは是非は 問えず、全ては神域に属することになる。

人間は生物であり、動物であり、生物や動物の本能、生きること、種の繁栄を求め、そして、人間存在の原理、感動することを求め、真智への愛などが人間の基本である。

男女の愛、家族愛、真理の追究、好奇心、新規なものに興味を抱く、愛国心や名誉心、褒められたいなどの基本的な欲求も 作ったものの意図 を想像すれば、極めて当然で、人間の本性が顕にみえてくるだろう。そのような意味では、人間すらロボットや多くの動物、子供たちのようにみえてくる。

そのような意味では、善人も悪人も 分けた意味では 本質的には存在せず、みな本質的には同じような存在であるといえよう。たまたま悪い条件、環境で育ち、歪められた精神を有して、誰でも願う基本的な欲求が満たされず、自己中心的に行動してしまう状況に追い込まれてしまっているといえる。

多くの独裁者や権力者が 自分の生命、家族を守るためなど、極めて基本的なものを守るために、異常に権力を志向して おかしい状況に追い込まれてしまっている様を本質的にみることができるだろう。裕福なものや高官達も本質的には同じようではないだろうか。基本的なこと、基本的なところを守るために過剰に発想(行動)してしまい、おかしな状況に追い込まれている様を多くみることが出来るだろう。― 庶民から見れば、おかしな異常感覚にみえる状況は世に多いのではないだろうか。

そのような視点からみえてくる人間とは、いじらしい人間である。作ったものの定められた原理に忠実に従い、行き過ぎた存在、そのような意味で、いじらしい人間として、共感、共鳴、理解できれば、俗にいう悪い人も許せる大きな心を持てるのではないだろうか。広い視野と慈しみのような心を 同じ運命を共有している者として持てるのではないだろうか。

世の悪の素とは、身勝手になってしまい、自己中心に考えてしまうことではないだろうか。

それは余裕が無い状況ともいえる。そのような意味では、 良い社会を作る原理は 次に述べられている 公正の原則にあるといえる:

 

再生核研究所声明1(2007.1.27): 良い社会を作るには。

 

作られた人間、いじらしい人間といえば、生命の基本定理、生きて存在しなければ始まらない、いつまでも存在していたい、生きていたい という原理に人間は縛られていて、この原理から、解放されず、いつまでも縛られている、哀しい人間のことである。次も参照:

 

再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ

再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か

 

哀しくとも、浅ましい存在ではなくて、賢明で爽やかな存在になりたい。

以 上

 

 

 

 

90年代後半から00年代前半の就職超氷河期の主たる話題 

・50社にエントリーして面接の声がかかったのが1社のみという慶大生が話題に 
・国立理系でもスーパーの品出しに就職やパチンコ店に就職当たり前 
・東大卒がタクシードライバーに就職 
・市役所の大卒募集3人に対して5000人が応募という異常事態。さらに大卒なのに高卒と偽って高卒枠で受験する社会問題もあった。 
・書類選考を経て面接が7次まであった。中には部長との会食でテーブルマナーができなければ即お帰りくださいとなる 
・大卒より専門卒のほうが就職しやすいという逆転現象。大学を中退して専門に再入学する者が続出 
・バブル期は3Kと言われ嫌われてた医療系が大ブーム。安定しているという理由で専門の倍率も数十倍まで増大 
・「資格は多ければ多いほどいい」ということでまったく役立たずの資格取得に躍起。受験料だけで数十万かける者もいた 
・とにかく履歴書を埋めろということで犯罪歴まで書いて埋めようとするものまで現れる 
・新卒向けの募集なのに「経験者のみ」「職歴3年以上」という意味不明な募集が。ハロワからの補助金目当てで採用する気まったくなしがバレバレ 

・やっと内定をもらっても1か月後に会社都合による内定取消が多発。入社式翌日に整理対象となり解雇されることも 
・これらに加え搾取型派遣がブームになったためワープアが増大。家賃も払えず「ネットカフェ難民」が多発する、後に練炭集団自殺、硫化水素自殺へつながり社会問題へ 
・就職氷河期の平均生涯年収はバブル世代比6000万、ゆとり世代比4000万減。世代別に見ても就職氷河期のみ谷間になっている 


氷河期当時、民間企業だけでなく公務員も採用凍結ばかりで、 
旧帝卒でも一斉に「高卒化」した、この異常性、これこそが氷河期のナイトメアモード 

2007/4/16 
自治体職員が採用された時の学歴詐称が問題になるなか、大阪市でも大量の学歴詐称が明らかになった。 
一説によると、自分の学歴を低く申告した数は400人以上。だが、それに対する処分は「停職1ヶ月」。 
これまで他の自治体で下されてきた処分は「免職」だったはず。この違いは、どのようにして出来たのだろうか。 
大阪市では400人以上が「自首」? 
大阪市では、現在も大卒者が「高卒・短大卒」の試験を受けることはできない 
本当は短大や大学を出ているのに、自分の学歴を低く申告、「中卒または高卒限定」の採用枠で採用される「『逆』学歴詐称」が問題化したのは2004年。 
この時は、青森市営バスの男性運転士(当時32)が短大卒なのに高卒と偽っていたことがばれ、懲戒免職となった。06年には、神戸市と尼崎市でも同様の問題が発覚。 
これまでに神戸市では36人、尼崎市では2人が諭旨免職になっている。 


大卒が高卒と偽りクビ 「厳しすぎ」とネットで議論  2007年2月3日 17時6分 J-CASTニュース 
http://www.j-cast.com/2007/02/03005294.html 

https://egg.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/1534958366/

 

逆は、真ではない。