The reason why spreads between a null line and a | Institute of Reproducing Kernels

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色々な事を書きます。マイペースで書きます。

The reason why spreads between a null line and any other line is not defined is because it involves division by zero. In the first case this is an equilateral triangle that I could do my best to approximate, but the problem of the incommensurability of sqrt(3) isnt an issue here.

https://twitter.com/hyperbolicAbrax/status/1500987623627583489

 

 

 

再生核研究所声明555(2020.3.31)ゼロ除算の数学を越えた影響

もちろん、物事の認識、感じ方、考え方は、極めて個性的で 人によって違う。 もともと生きる意味や人生の意義について  物心ついて以来 大きな興味、関心を抱いてきた。 それで、数学しながら それらを絶えず考えてきた。 --  実際、数学とは神学であると述べてきた。 ところが、 ゼロ除算の発見が 別格 人生観や世界観に強い影響を与えつつある。 実際、新世界が見えてきているように感じる。 
ここでは、そのような心情を纏めてみたい。

まずは人間についてである。
当たり前のことが分からない人間、人間が独断と偏見に満ちていて、単細胞的な存在そのもので、小さな視野を勝手に制限してみている、言わば愚かな存在である。神の意志に従うどころか、言わば目先のことにとらわれ、衝動で活動し、真智への愛を求めるべき人間は 未だ神性を感じさせるが 不完全な存在である。 人間は大勢としては 不完全で進化の途中にあるように見える。 -- これらの状況は 
当たり前のゼロ除算が2000年以上も分からず、 今でも戦闘が止まず、 軍備に膨大な資金を掛けている現実を見れば明らかであろう。 ゼロ除算は人間の愚かさを教えてくれる。おかしな歴史を確認したい。 天才オイラーの間違い、アイシュタインの最大の悩ましさ。 ゼロ除算は人間の精神を開放して、広い視野を与え、自由な精神、謙虚な精神を呼び覚ますだろう。


次に世についてである。
無限遠点がゼロで表される、無限大がゼロで表されるは、ゼロ除算の衝撃であり、言わば両極端の微妙な関係、一致を述べている。 これは至る所に現われる、神の意志である。 敵は味方であり、味方は敵である。明と暗。生きることは死ぬることであり、死ぬることは生きることである。 物事はあべこべである。良いものは悪いものであり、悪いものは良いものである。 逆を考え、裏を考えよう。 裏で通じている。思えば世は プラスとマイナスの要素、世界から成り立っていた。 結局は統一してゼロとして釣り合っている。 

最後に 人生についてである。
生きることは死ぬることであり、死ぬることは生きることである。生きることも死ぬることも同じようなものである。 苦しんだだけ、楽しみあり、楽しんだだけ苦しみが湧く。 進んでも、立ち止まって、後退しても良い。 結局は統一してゼロとして釣り合っている。 生きたいと思えば生きれば良く、したいことが有れば好きなようにすれば良い。やりたくなければ、やらず、休みたくなれば、休めば良い。結局は統一してゼロとして釣り合っている。 結局はバランスが大事で、心が環境に調和するように心の動きに従って在れば良い。 ゼロ除算は人間の死からの解放を齎し、人間の魂を開放し、悟りの境地を拓くのに貢献するだろう。 自由な精神、在りようを教えてくれるだろう。
永遠など少しも憧れない。 現在、今こそ尊い。 永遠も今も同じようなものである。

ゼロ除算の発見とは、無限大が 実はゼロで表されていたという、衝撃的な発見であると言える。ゼロなる世界はあらゆるものが湧いてくる母なる元(素)である。 あらゆるものの帰する世界である。
 
終わりに、関連するものとして、声明161を 付録に載せて置きたい。

                                   以 上
 

 

 

再生核研究所声明559(2020.4.18) 数学とは - ピタゴラスの定理から

2020年04月18日(土)NEW !
テーマ:再生核研究所声明

再生核研究所声明559(2020.4.18) 数学とは - ピタゴラスの定理から

数学、人生について、総合的な考察は幸いなことに、力を入れて纏めたものがある:

しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。 この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:
 
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
Traduzir esta página                                        
  19/03/2012

さらに、

再生核研究所声明522(2019.12.08): 数学とは何か、 数学の不思議さ - 本質の本質
も参照。
ここでは より素人向きに 簡潔に 数学の実相と注意したい観点を述べたい。 背後には 数学とは何だろうか、何のための数学かとの 尽きない問題意識が存在する。もちろん 生きる意義はより本質的な 人間の問い である。
数学とは 公理系と呼ばれる仮説系(仮定の集まり)から、論理的に導かれる関係の集まり(集合)であるが、多分最も有名な定理 ピタゴラスの定理を 数学の原型として思い出そう。 直角三角形で 斜線の長さの2乗が 他の2辺の2乗の和に一致するという、美しい定理、関係である。直角三角形で 2辺の長さが求まれば、残りの辺の長さが求められるのであるから、多くの応用が存在する。直角を簡単に 厳密に作ることさえできる。この時、2乗の関係を述べているのは その意味は 深く、美しく、神の意志が現れていると表現できる。 2乗でなければならない。 ピタゴラスの定理、その価値、有用性、美しさ どこから見ても完全で素晴らしく、数学の最高の結果であると表現しても良い。 再生核の理論を生涯の研究課題としてきたが、精神は ピタゴラスの定理の延長 であったとも表現でき、ヒルベルト空間論の心 である。
数学とは関係を研究する学問で 神学である。 
このピタゴラスの定理で 辺の長さを 正の整数に限れば 結果は どのようになるだろうか。
これは数学的に完全に解明されていて、そのような三角形はすべて定められる。- ここで言いたいことは、数学では そのような問題を考えることが出来るが、そのような結果と 元のピタゴラスの定理の価値の比較である。 もちろん、特別な場合の結果より、
ピタゴラスの定理の価値の方が 断然に高いということである。
ところが、近年解決された数学上の大ニュースとされている 「フェルマーの最終定理」(1995年解決) という事件がある。 2乗を3乗以上の冪とすれば、ピタゴラスの関係を満たす正の正数は存在しないという、フェルマーの予想の解決である。 350年ぶりのアンドリュウ・ワイルズ氏による解決で、数学界の最高の賞とされる フィールズ賞が受賞されている。 結果自体は大した意味がないと人は思われるだろうが、超難問として世界の数学界を永く賑わしてきた。 数学の価値観で 数学界内部で、 難問の解決こそは価値がある との評価基準が存在する。 もちろん、誰も永い間解けない問題を解いたのであるから、その大きな価値は当然である。 解決自身大きな価値を有する。 - そこで 才能を有する多くの数学者が 自分の才能(自己の存在)の認知を求めて 有名な難問に挑戦して、評価される例は非常に多い。有名な 岡潔、広中平祐氏などの業績が典型的な例と言える。 これら両者の結果は 超難問であるばかりではなく、結果が数学の基礎に深い、広い影響を与えるという意味で、大きな価値を有する、言わば理想的な結果を齎したと考えられる。 ところが、フェルマーの予想の解決自身は 数学的な結果として、大きな意味を有していないように見える。 同様のこととして、所謂4色問題の解決が挙げられるだろう。 
難問、予想が解決したら、ビーベルバッハ予想のように その関係分野が衰退してしまったような例も想起される。
難問への挑戦は数学の進化の一つの原理になっているので、もう少し言及して置きたい。 誰も解けないということは、従来の発想、方法では解決できないというのだから、何か新しい発想、考え、
方法、概念を必要とするという意味で、高質な創造性を要求され、それ故に数学の本質的な発展に繋がると期待できることにある。
また、次のような発想も人間らしい挑戦である: 
アンドリュウ・ワイルズ氏は述べた: できない問題が存在することは 人間として許せなかった。
近代数学は進化して、関係を研究する学問である数学は、どんどん詳しく、細分化して 深くなりすぎ、お互いに お互いの研究の理解に困難が生じてきて、他の分野の人にとっては まるで暗号が並んでいるように見える状況が多い。 優秀な数学者が、さっぱり分からない研究課題で 言わばアナグマのように真理の追求を行っている実相が存在する。そこで、ピタゴラスの定理のように 多くの人に分かり、世に広く影響を与えるような研究に 目を向けるべきではないだろうか。 我々は 何のための数学か と絶えず問うて行くべきではないだろうか。 基本的な数学に関心を向けたい。 
数学の基礎、中心に関心を向けて行きたい。そのような観点から、
ゼロ除算、ゼロ除算算法の研究は 新しい数学の世界と考えられる。基本的であるという意味である。新しい世界観を示している。新世界を覗かせている。
まずは、基本的なことから、大事なことから始め 段々に研究を先に進めて行くことが 当たり前ではないだろうか。どうでも良いようなことに熱中しているのが数学者であると 多くの人が考え、数学者たちは 変な集団の人々と思われているのではないだろうか。 - このようなことは数学者に限らず、専門外の人たちに対する観察でもそのように見える。- 危険な冬山に登山して、わざわざ苦労されている人たち。 早く走ることに 志を立てて 努力されている人たち等等。
                           以 上

 

再生核研究所声明565(2020.6.13) 記念碑、文化遺産の破壊には慎重に

(今 湧いた直観です。悪いものを 歴史から排除する というのであれば、歴史は貧しくなってしまうのでは。多くの記念碑の破壊に繋がれば、それは本質的な問題に繋がるのでは? 中国の 文化大革命や、 いろいろな文化革命の 破壊活動を 疑念をもって感じている。慎重な対応が求められる。城など破壊せよ となりかねない。
2020.6.11.11:42)
このメモが気になってきた。 そこで、少し存念を纏めて置きたい。 ここでは、今回の事件で記念碑、歴史上の人物像の破壊行為から感じたことであるが、具体的な各論ではなく、一般的な考えを述べたい。
原則としては、過去の記念碑、文化遺産などは 繰り返すことのできない歴史として、
歴史的な事実として、尊重され、大事に扱われなければならない。 それは、現代やある時代の考え、見方、評価で 良くない場合でも 歴史は歴史として、事実は事実として尊重、 過去は過去として、尊重すべきである。 現代人が過去のある事実を都合が悪いとして、事実を抹殺するようなことは、すべきではなく、もし、批判的な見解を表明したいのであれば、その様な事実と見解を堂々と表明すべきで、破壊したり、抹殺しようとはすべきではない。 真実、事実、真理は、その時代においてその時点でのそれらであって、現代や将来のそれらではない。 過去の間違いは 現代の評価でそのように言えるのであって、その評価さえ何時までも同様と言えるものではない。万物流転そのものである。
それ故にその時、その時の事実は貴重であり、繰り返せない過去を 神聖なものと考えるべきである。 勝手に時間を越えて、過去の修正を図れば、世界史の大きな混乱は免れず、人類はことの真相を捉えられず、世界史は貧しいものになり、人類の文化も貧しいものになるだろう。 -- 常に物事には、明暗が存在するのではないだろうか。 暗の側面だけで判断してはいけない。 過去の人々の作ったものを軽々しく破壊すれば、未来人は我々の文化さえ無視したり、抹殺するようなことに繋がるが、現代人はどのように考えるでしょうか。 
これは 公正の原則 として、そうなるだろう。
それ故に過去の記念碑、文化遺産などの扱いには、尊重を基本に、丁寧に対応して行きたい。
                                    以 上

 

Stephen Goree

B.S. Mathematics, Western Washington University (2019)

Answered 2m agoTerence Tao points out in Analysis I that, starting from the Peano axioms and working from there up to a construction of the real numbers, you could possibly define a number system in which a/0 is defined for any number a…but then you’d end up with a system that doesn’t behave like the real numbers we’re familiar with. So essentially, that’s the answer to your question: you can’t in the real number system. You would have to define a completely new number system which doesn’t behave the same way the real numbers do.

1 view

https://www.quora.com/How-can-you-divide-by-zero?__nsrc__=4  

 

 

“God divided by zero” is such a beautiful idea.

https://twitter.com/RyanMeachen/status/1621812493474734081

 

その通りです。ゼロ除算は新しい世界を拓いています:

 

ゼロ除算理解の遅れ の 理由について:

 

ずーっと考えて来たが 先ほど、 その理由について ある発想が湧いてきた。

まず、事実だが、ある大きな国際会議で、 最後に それは現代数学を破滅させるので、 すべて認められないと発言された方がいた。他方、国際会議の中心人物のひとりは、今回の国際会議で最もセンセ-ショナルの話題だったと話され 本を書こうと提案された。 表紙は ギリシャ語で書き、裏に英語で書くと構想を述べた。

RIMS (数理解析研究所)で講演したとき、 お亡くなりになった公田 蔵 立教大名誉教授は 良く理解されて、相当進んでいる、理解を得るのには時間が掛かりそうなので、繰り返し 折りをみて話して行くのが良いと話されたが、はじめに ゼロ除算は、数学界の盲点だった と言明されたのが 心強い言葉として残っている。 ところが相当有名な方が 聞かれていて、まるでおかしな宗教的な講演だったと批判的に ツイッターに書かれていた(文書を保管している)。そのとき、面識がなかったので、 著名人に気づかなかったのは 痛切残念なことであった。理解した方の 相当な方のご意見は 内容は簡単なのだが、発想が違うので 理解が難しいところがある という。そこで、共同研究をして来た人の 言葉が強く印象に浮かび上がってきた定義、公理が違う。 すると宗教的になってしまい、 是非が 個性、の問題のようになってしまう と言うことです。 更に信じるか、信じないかの問題になってしまう。 この表現は正確でないとして、そのようなことを述べられた。ゼロ除算が、 感性や信仰のような問題を含んでいる、そのような要素があるという事です。もちろん、数学として、厳格に、間違いない表現を 初めから 注意してきているのは当然です。そこで 初めにとんでもないと発想された方は 真面目に考えず、 最初の1歩も進めなく、ただ盲目的に嫌い、最初に入れない。新しい定義、概念を得たのであるから、その重要性、証拠を沢山得て、その重要性を示すのは当然の義務です。 そこで 1000を越える証拠、沢山の有効性を示す解説記事、論文など書き、著書や 雑誌の創刊なども行ない世界的な認知を広く求めている。これは朝食前に書き、後も書き、 山を巡って確認した。

 

 

MITのサイトの以下に添付の本がありました。
http://web.mit.edu/gleitz/www/Introduction%20to%20Logic%20-%20P.%20Suppes%20(1957)%20WW.pdf


Introduction to Logic - P. Suppes (1957) WW.djvu

http://web.mit.edu › gleitz › www › Introduction t...

 

This book has been written primarily to serve as a textbook for a first course in modern logic

No background in mathematics or philosophy is supposed.

330 ページ

 

ちょっと見ですが、pp. 166-168 あたりで z/0=0 を述べています。

 

 

The most famous figure in human history, according to the ranking of the Massachusetts Institute of Technology, is Aristotle. (MIT) collected and analyzed data on history and culture around the planet from 4,000 BC. until 2010.
There are six people from Greece in the top ten. pic.twitter.com/G8ehuUkpat

— well-meaning (@FreshSummerWind) January 11, 2023

 

 

 

 

 

 

 

 

「宇宙は不連続」と考えた人たち:リーマン、湯川、岡潔、グロタンディーク、保江。

https://quasimoto.exblog.jp/22058408/

 

とても興味深く読みました:それはゼロ除算算法に通じていますね。

 

世界を変えた等式17: 素晴らしい。

 

しかしながら、アリストテレス(紀元前384年-紀元前322年)以来 否定され、天才オイラーの間違いを含み、アインシュタインの生涯の懸案だったとされるゼロ除算が 含まれていない。惜しいかな数学。四則演算が不完全だった。そこで 下記の公式は、17に続く等式と すべきではないでしょうか。

 

 

1/0=0/0=0,

tan (\pi/2)=0,

log 0=0,

(f(x)/x)(0) = f^\prime(0) = f’(0)

 

2022.2.8.06:00

 

 

The equation that changed the world 17: Great.

 

However, it has been denied since Aristotle (384 BC-322 BC), including the mistake of genius Euler, and does not include division by zero, which is said to have been a concern for Einstein's life. A regrettable math. The four arithmetic operations were incomplete. Therefore, the following formula should be the equation following 17.

 

1/0 = 0/0 = 0,

tan (\ pi / 2) = 0,

log 0 = 0,

(f (x) / x) (0) = f ^ \ prime (0) = f ’(0)

 

2022.2.8.06:00

 

「宇宙は不連続」と考えた人たち:リーマン、湯川、岡潔、グロタンディーク、保江。

https://quasimoto.exblog.jp/22058408/

 

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

http://file.scirp.org/pdf/ALAMT_2016061413593686.pdf

№1285
声明712
67
396頁

 

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