埼玉古墳-3 | 諸教帰一のブログ

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諸教帰一のブログ-将軍山古墳

今日も、埼玉古墳の続きについて書いてみたい。


二子山古墳から少し歩くと、将軍山古墳がある。


目でみても分かるが上部に埴輪が配列されている。



将軍山(しょうぐんやま)古墳


【墳形】:前方後円墳
【規模】:全長90m。後円部の直径39m、高さ(復元)8.45m。

     前方部の幅推定68m、高さ9.4m。
【築造】:6世紀後半

この古墳は、将軍を埋葬したとの伝承から将軍山古墳と呼ばれて


いる、悲しい運命をたどった墳墓の一つだ。


明治27年(1894)、地元の名士が自宅の庭石を得るために、


この古墳からのぞいていた石に目をつけた。


この石を取り除くと横穴式石室が現れ、銅碗、飾り大刀、金銅や


青銅の馬具、武器類など多くの優れた遺物が出土した。


そのとき発見された遺物は現在、東京大学や東京国立博物館を


はじめ、さきたま資料館などに保管されている。


しかし、金の勾玉や金の平玉など、現在ではその所在が


分からないものもある。


諸教帰一のブログ-展示館



諸教帰一のブログ-騎馬像



この古墳には、展示館が併設されている。


展示館の内部の写真と騎馬武者の像であるが、騎馬武者は


どこか物悲しそうである。



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次に古墳の裏手を回って稲荷山(いなりやま)古墳を目指す。


歩いて4~5分位の距離、あたりは田んぼに囲まれのどかな


雰囲気である。


稲荷山(いなりやま)古墳


【墳形】:前方後円墳
【規模】:全長120m。後円部の直径62m、高さ11.7m。

     削除された前方部の幅74m、高さ10.7m。


【築造】:5世紀末頃


稲荷山(いなりやま)古墳は、埼玉古墳群の北東の隅に位置する


前方後円墳である。


古墳の上に稲荷神社があったことから「稲荷山」という名がついた。


以前は、中規模の円墳に見えたらしい。


昭和12年(1937)に、前方部が周辺の開墾によって削り取られて


しまったためだ。


開墾前には、後円部の高さに匹敵する前方部があった。


現在は、史跡保全整備事業の一環として復元工事が行われ、


ほぼ元の状態に戻されている。


稲荷神社があったというだけあって、上部まで階段がある。


また、最上部には、埋葬施設があって2枚目の写真は、復元された


礫槨(れきかく)である。