今日も、埼玉古墳の続きについて書いてみたい。
二子山古墳から少し歩くと、将軍山古墳がある。
目でみても分かるが上部に埴輪が配列されている。
将軍山(しょうぐんやま)古墳
【墳形】:前方後円墳
【規模】:全長90m。後円部の直径39m、高さ(復元)8.45m。
前方部の幅推定68m、高さ9.4m。
【築造】:6世紀後半
この古墳は、将軍を埋葬したとの伝承から将軍山古墳と呼ばれて
いる、悲しい運命をたどった墳墓の一つだ。
明治27年(1894)、地元の名士が自宅の庭石を得るために、
この古墳からのぞいていた石に目をつけた。
この石を取り除くと横穴式石室が現れ、銅碗、飾り大刀、金銅や
青銅の馬具、武器類など多くの優れた遺物が出土した。
そのとき発見された遺物は現在、東京大学や東京国立博物館を
はじめ、さきたま資料館などに保管されている。
しかし、金の勾玉や金の平玉など、現在ではその所在が
分からないものもある。
この古墳には、展示館が併設されている。
展示館の内部の写真と騎馬武者の像であるが、騎馬武者は
どこか物悲しそうである。
次に古墳の裏手を回って稲荷山(いなりやま)古墳を目指す。
歩いて4~5分位の距離、あたりは田んぼに囲まれのどかな
雰囲気である。
稲荷山(いなりやま)古墳
【墳形】:前方後円墳
【規模】:全長120m。後円部の直径62m、高さ11.7m。
削除された前方部の幅74m、高さ10.7m。
【築造】:5世紀末頃
稲荷山(いなりやま)古墳は、埼玉古墳群の北東の隅に位置する
前方後円墳である。
古墳の上に稲荷神社があったことから「稲荷山」という名がついた。
以前は、中規模の円墳に見えたらしい。
昭和12年(1937)に、前方部が周辺の開墾によって削り取られて
しまったためだ。
開墾前には、後円部の高さに匹敵する前方部があった。
現在は、史跡保全整備事業の一環として復元工事が行われ、
ほぼ元の状態に戻されている。
稲荷神社があったというだけあって、上部まで階段がある。
また、最上部には、埋葬施設があって2枚目の写真は、復元された
礫槨(れきかく)である。