迷走しつつも、見通し立ちそうです | 卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

2006年秋「悪性卵巣腫瘍の疑い」と告げられ、治療→再発転移を幾度も繰り返す。
◆受けた治療:手術4回・化学療法5ライン・放射線1回・がんカテーテル治療15回
◆現在: リムパーザ錠服用中
♫ 卵巣がんと長~くお付き合いしている、現役患者です。

いまだに、病棟に住んでいるざきさんです。

間質性肺炎(私の場合は正式名称:薬剤性肺炎)だって、初期なら化学療法にさほど影響しないだろう...って軽く考えておりましたが

かなり重大な病気であるって知りました。

間質性肺炎は語尾に肺炎が付きますが、肺炎とはまったく異なる病気です。
肺という臓器をコップにたとえると、コップの中で起こる病気が肺炎で、コップ自身が侵される病気が間質性肺炎です。
間質性肺炎の方がより広い範囲で病気が起こり、息切れなどの症状が強くなります。
治療もコップの中を洗えば済む肺炎に比べ、コップ自身の修繕が必要な間質性肺炎は一般的に難治性です。
         (東京逓信病院のHPより引用)

そっかコップ(肺)を直さなきゃダメなんだ

とやっと主治医
「ドキシル投与前で本当に良かったです。知らずに打ってしまったら、命取りになっていた可能性もありますからね」
の意味が分かりまして。

危機一髪 良かった〜。さすが、野生のカンで生きているヒト って再確認しました。

で、この薬剤性肺炎。おおよそ2ヶ月は休薬を余儀なくされるとの事でした。

次の手の治療は「タキソール単剤(80%で)」を勧められました   → ナイス!心の中でガッツポーズ。

なんと言っても、長くお付き合いしていますから身体が納得した気がしたんです。

が、心配なのはその間に急増したらどうするかです。

放射線科の先生と相談するので、週超えて返答待ちと言われたのが先週金曜日。

で週末。長女から「私帰国しなくていいの?」とのラインが入りました。

長女が言うには「帰国するなら、春がチャンスなの。その後となると、後任の募集とかもしにくくなるし。で、私は?普通に勤めていいのかなぁ?介護とかって、付きっ切りの方がいいの?それによって、仕事内容とか勤務先とか決めないと」

こうなると、当の患者本人も「うーーーん⁇どうしたらいいのかなぁ

本当に混乱状態になってしまいました。

ライン終了時は、夜中の2:30。さすがに私のほうから「ゴメン、もう限界」と切ったのです。
で朝見たら、しっかりメッセージが書き残されておりました。
   
とにかく娘としては

・不確かな情報を元に動いて、あとで後悔したくない
・24時間一緒にいる必要があるのなら、無職という選択肢を選ぶ可能性も有り。でもそれもそれで不安。

結論:「客観的判断と具体的な方向性を示して下さい!」

でした。


娘の言いたいことは、充分理解できます。でも、私自身も「はっきりした事は言えないのが現実です」

散々悩んだ結果、若い担当医に「がん相談支援室」の方と連携を取りたい旨を伝えました。

その日の午後には、相談室から看護師さんと地域包括センターの方+ 病棟の専門資格を持った看護師さんと3人の方+ 患者本人の4名でじっくりと相談させて頂きました。

私の希望している終末期は「病院で過ごす」です。
可能な限り自分で通院しながら一人暮らしを続け、難しくなったら病院に入院して過ごしたい。との希望を伝えました。

食事は現在もそうですが、実家の姉が何日か分作ってくれているのを取りに行くとのパターンを続けるつもりである。
→(老いた父ではなく、虎模様顔をした猫のメルの様子を見るのも兼ねていマスww)

で提案された内容は

①訪問看護を使い、週◯回定期訪問+緊急時24時間対応で契約をしておく。

②緊急時にいつでも搬送してくれる介護タクシーを押さえておく

③がん性疼痛が飲み薬の段階では、在宅医は不要なのでスキップは可能。在宅医はまだ検討しなくて良い。

④一人暮らしでも、食事さえ定期的?に実家往復出来るなら充分だと思うが、掃除等の家事は実費となるが専門業者を利用する方法もある

とおおよその方針が提案されました。

で私が「家族の考えや娘たちの行動も、今後の身体の見通しが客観的に立っていないので困っている」と伝えたところ、

「先生に今後の見立て」をして貰うのが良いでしょう、となりました。

そうなんですよ、私ざきはソノ客観的な意見を聞かないと大雑把な流れを作れないんです

さっすが田舎大型大学病院お願い 話がよく通じるわぁ

で「見立て」の回答を待ってました。

夕方遅くに現れたのは、はっきりしないU

相変わらず、ごちゃごちゃ口ごもってますので自ら進んで聞きました。

「先生。すみませんが、結論だけスパッと言って下さい。我が家の予定を立てるのにお願いしたのですから、遠慮しないで大丈夫です」

はっきりしないU
「では、先生のお言葉をそのままお伝えしますが、良いですか?」

ざきさん、やっとの思いでイライラを抑えていたって、お分かりでしょうか?

「出来る限りの治療を継続したとして、の確率的なのもですが」との前置きがあって

・6ヵ月以内には急変する可能性が50%くらい
・9ヵ月以内は、可能性+30%
・12ヵ月以内となると、さらに+20%

との返答を頂きました。

「はい、よく分かりました。自分でも次の冬を越すのは厳しいと感じているので、恐らく夏までの治療で限界が来るような気がします。」

明らかにホッとしたの表情。

「で、娘が帰国する件についてのご意見はどうだったでしょう

U「あ、それも伺って来ました。先生は “一応日本にいた方が安全だと思う”との事です」

はい!了解ですチョキ

スッキリ爽やかに方向性が見えてきました。

先ずは大姉にラインで今後の方向性を書いて送ってから電話しました。

便利な時代ですね〜。イチから電話で説明すると面倒ですので、まとめた情報を読んでから話ができると大変にスムース進みます。

でなくても、大姉60代半ばですから話が通じないこともタマ〜にありますのでね秘密

大姉「大体の事は分かったよ。コッチでも出来る限り手伝うからね。でもさ、具合が悪くなったらウチに来るって事は全然考えてないの?」

「えー。だってお父さんが居るじゃんアセアセ。ヤダよ、ゆっくりなんて、寝てられないでしょ」

大姉「だよねー笑笑 。 介護じゃなくてプロの通いの家政婦さんも居るから、大変になったら頼めばイイしね」

地域密着生活の大姉は、市役所とか包括支援センターよりも情報を持っておりました目


以上の経過があって、昨夜、娘sにも大雑把な見通しを話せた私です。

長女から確認の電話がありました。

「ねぇお母さん。お母さんが一人暮らしが不安だったら、私と一緒に住もうか。私が東京で探す事は出来るよ、家とか病院とか...」


「いいえ、結構です。母は一人で寝ているのが一番気楽なんです」

生まれた時から、人数の多い家族の中にいた為でしょうか?本当に数ヶ月くらいは、一人静かな時間を持ちたいのです。

今だって実家に行けば、わちゃわちゃと人が出入りして...父はよくわからない事言ってくる・電話はよく鳴る・メルは隠れんぼに誘ってくる...と静かな環境とは掛け離れています。

正直行くのが辛く負担に感じるコトもありますが、そんな家に生まれたのですから仕方ありません。

そんな環境ぼ実家だからこそ、居候も出来ました。今も食事は居候状態です。

ここまで踏ん張って治療して来られたのは、間違いなく実家の大姉のお陰です。


今後は様々なサポートを受けながらの一人暮らし。私にはソレが一番の理想なのです。娘sも姉sも安心してくれると思います。

と書いているところに、若き担当医登場。

今週の金曜日に放射線科の診察を受けて、来週の火曜日から治療開始の予定が入ったそうなニコニコ


呼吸器内科の方は、金曜日にCT検査を入れてあり、影が小さくなっていたら化学療法OKとのコトびっくり


もう整理出来ませーん !!

治療方法は先生方にお任せして、私は明日?か土曜日?には外泊し『入院は続行する事』のみ決めました。

いやはや、落ち着かない入院生活です。

本日は、迷走している近況のご報告でした。