
プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))/P・F. ドラッカー

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ぼくの評価






(ドラッカーの自己啓発初歩編。自己啓発本はこれまで数々読んできたが間違いなくトップクラス)
自身初のドラッカー先生。
30代になるまで手をつけまいという自分自身の勝手なエゴがあったのだが、ふと解禁。
さすが世界で支持される経営学者だけはあって、読み応え十分。
なにより文章力があって、説得力がハンパない。
物事を客観的かつ的確に突いていることはもとより、断言して言い切っているところが読んでいて気持ちイイ。
「・・・・・でなければならない」「・・・・・であるべきである」とまるで目の前の文章を通して授業が行われているかのようだった。
初めて読んで感じたドラッカーの語り方の特徴として、過去の歴史から比較分析することにある。
そして自身の経験も惜しみもなく語っている。
過去の歴史から語るあたりはさすが学者と言いたいが、自身の経験も織りまぜているところがまたニクイ。
あまりにも素晴らしい文章が多いので、今回は本書をそのまま引用する形を多くとってみた。
では、本書内からドラッカーが語っているポイントとなる箇所を抜き出してみたいと思う。
1.知識と能力は直結しない
本書のような自己啓発本やスキルアップなどの本を読むことと
能力が向上することはほとんど関係性がないということである。
これは読む前からぼくも確信していた。
ビジネス書を100冊読んだ人より300冊読んだ人の方が能力が高いかというと無関係に近いということ。
ただ言えることは、知識はないよりあったほうがいいのは当然であり、それをいかに引き出して活用できているかの方が重要だということだろう。
2.マネージメント
-本書24P11行目より-
成果を生み出すために、既存の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識がマネージメントである。
ぼくの解釈では、個々が持つ知識を成果につなげるためにいかに最大化できるかがマネージメントだということではないだろうか。
もちろんそれは個々によって様々だ。
それをマネージメントによっていかに組み合わせ、組織としての成果を最大化できるかということだろう。
3.知識労働者は組織に依存しない
-本書41P7行目より-
あらゆる組織が、「人は宝」と言う。ところが、それを行動で示している組織はほとんどない。本気でそう考えている組織はさらにない。ほとんどの組織が、無意識にではあろうが、19世紀の雇用主と同じように、組織が社員を必要としている以上に、社員が組織を必要としていると信じ込んでいる。
しかし、事実上、すでに組織は、製品やサービスと同じように、あるいはそれ以上に、組織への勧誘についてのマーケティングを行わなければならなくなっている。組織は、人を惹きつけ、引き止められなければならない。彼らを認め、報い、動機づけられなければならない。彼らに仕え、満足させられなければならない。
雇用環境の流動性の高まりは今後もさらに加速すると思う。
自分を認めてくれて、報奨も弾み、ヤル気を最大限に引き出してくれる環境を整えてくれる組織には優秀な人材が集まるであろうということの裏返しにも聞こえる。
雇用の選択権があるのは経営者だと大半は思われているかもしれないが、実際に選択権があるのはむしろ知識労働者にあるのではないだろうか。
立場が強いように見える経営者だが、実は一番立場が弱くコントロールが難しいことがこのことから言えるのではないだろうか。
4.働くものをとりまく組織の現実
組織ではたらく者は自分ではコントロールできない4つの大きな現実にとりまかれているという。
(1)時間はすべて他人にとられる
(2)自ら現実の状況を変えるための行動をとらないかぎり、日常業務に追われ続ける
(3)組織で働いているという現実
(4)組織の内なる世界にいるという現実
-本書74P11行目より-
外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。
5.成果をあげる者
-本書80P8行目より-
私は、成果をあげる人間のタイプなどというものは存在しないことをかなり前に気づいた。私が知っている成果をあげる人たちは、その気性や能力、仕事や仕事の方法、性格や知識や関心において千差万別だった。共通点は、なすべきことをなし遂げる能力をもっていたことだけだった。
-本書81P7行目より-
成果をあげる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつけるうえで必要とされる習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。私の知るかぎり、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。
言いかえるならば、成果をあげることは一つの習慣である。習慣的な能力の集積である。そして習慣的な能力は、常に修得に努めることが必要である。習慣的な能力は単純である。あきれるほどに単純である。7歳の子供でも理解できる。掛け算の九九を習ったときのように、練習による修得が必要となるだけである。「六、六、三十六」が、何も考えずに言える条件反射として身につかなければならない。習慣になるまで、いやになるほど反復しなければならない。
6.価値観を優先する
-本書117P8行目より-
自らをマネージメントするためには、強みや仕事の仕方とともに、自らの価値観を知っておかなければならない。
組織には価値観がある。そこに働く者にも価値観がある。組織において成果をあげるためには、働く者の価値観が組織の価値観になじまなければならない。同一である必要はない。だが、共存できなければならない。さもなければ、心楽しまず、成果もあがらない。
7.満場一致に注意せよ
1944年、ドラッカーがコンサルティングに携わったGMでのエピソードが綴られている。
当時CEOだったスローンは、GMの最高レベルの会議では直感や満場一致での決定はしなかった。
意見は、事実によって検証すべきであり一つの結論からスタートし、それを裏づける事実を探すようなことは絶対行ってはならないとしていた。正しい決定には適切な意見の不一致が必要であるとしていた。
意見の不一致は、3つの理由から必要である。
(1)組織の囚人になることを防ぐ
(2)選択肢を与える
(3)想像力を刺激する
8.人の強みを生かす
-本書193P10行目より-
上司は部下の仕事に責任をもつ。部下のキャリアを左右する。したがって、強みを生かす人事は、成果をあげるための必要条件であるだけでなく、倫理的な至上命令、権力と地位に伴う責任である。弱みに焦点を合わせることは、間違っているだけでなく、無責任である。上司は、組織に対して、部下一人ひとりの強みを可能なかぎり生かす責任がある。何にもまして、部下に対して、彼らの強みを最大限に生かす責任がある。
組織は、一人ひとりの人間に対し、彼らが、その制約や弱みに関わりなく、その強みを通して、ものごとをなし遂げられるよう奉仕しなければならない。このことは今日、ますます重要になっている。まさに決定的に重要である。
この項目は最後に繰り返し強調されていて、特に強いメッセージを感じる。
あらゆる場面で欠点を補うより長所を伸ばせということが繰り返されることが多いが、組織においてもこのことが重要なのは明らかだろう。
欠点は他の得意な人にパスすればいい。
誰にも負けない如意棒を高く高く天に伸ばせば、ひっかかる獲物も他の人よりたくさんあるということだろう。
9.自らに適した組織
-本書230P4行目より-
「得るべきところはどこか」を慎重に考えた結果が、今働いているところではないということであるならば、次に問うべきは、「それはなぜか」である。「組織の価値観になじめないからか」「組織が堕落しているからか」。もしそうであるならば、人は確実にだめになる。自らが価値ありとするところで働くのでなければ、人は、自らを疑い、自らを軽く見るようになる。あるいはまた、上司が人を操ったり、自分のことしか考えないことがある。さらに困ったことに、尊敬する上司が、実は上司としてもっとも大事な仕事、つまり部下を育て、励まし、引き上げる役目を果たさないことがある。
このように自らがところを得ていないとき、あるいは組織が腐っているとき、あるいは成果が認められないときには、辞めることが正しい選択肢である。出世はたいした問題ではない。重要なのは、公正であることであり、公平であることである。さもなければ、やがて自らを二流の存在と見るようになってしまう。
自らに刺激を与えるうえでも、ある種の変化が必要である。この必要は、ますます人が長生きするようになり、ますます長く活動できるようになるにつれて大きくなる。変化といっても、かけ離れたところに移る必要はない。
ぼくらのような20代のはたらく世代には特に胸に刺さる。
自分に適した組織を探すこと=自分を知ること、だとぼくは考えている。
自分はどんな種類の仕事を好む傾向にあるのか、そしてどんな人たちと仕事をしたいか、などいろいろな角度から自問自答を繰り返すことで見えてくることがたくさんある。
ぼくはそうやって考え続けた時期があった。
今はある程度、そのレールが見えたつもりではあるが、当然悩みは尽きない。
以上が本書のポイントです。
やはりドラッカーから学べることは多くありそうですね。
これからもドラッカーを時々取り入れながら読書を続けていければいいと思っております。
