アメリカ文学 バナナフィッシュ日和 | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

仕事を休んだが、ズル休みってわけではない。所用があり、仕方なく仕事を休み午前七時から車に乗って高速を走る。町から百数十キロほど離れた場所で、ほとんど丸一日用事をしていた。そんなわけで、今日は「戦争と平和」について語ることはお休みすることにしたのである(何かと理屈をつけて休みにしている最近だ)。

 

週末に、「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」という映画を、Amazonプライムで観た。ほとんど映画を観ない僕なんだけど、せっかくAmazonプライムの料金を払っているのだからという、せこい考えから映画を探している途中に偶然見つけた作品だ。

 

わりあい若い頃から、サリンジャーを読んできた。大学生の頃、「ライ麦畑でつかまえて」を読んだし、文庫本化されている作品はおおよそ目を通しているはずだ。だが、作者サリンジャーの伝記についてはほとんど興味らしい興味を覚えたことがなかった。なんでも、自分の作品には、解説を載せないようにと注文をつけるだけでなく、ほとんどメディアにも現れない、謎の存在として二〇一〇年に亡くなるまで、ひとり山奥で隠遁生活をしていたはずだ。

 

映画「ライ麦畑の反逆児」では、大学で文学創作を学び始めた頃から、志願して第二次世界大戦に向かい、帰国して売れっ子作家として成功を収めるも、静かな生活を求めてニューハンプシャーの山奥に閉じこもってしまうまでが取り上げられていた。とりわけ、戦場ではホールデン・コールフィールドを主人公とする作品を構想することが彼を支えたと語られ、激しい戦闘により傷つき命を失う戦場での日々が、彼の神経を蝕んでいく様子まで描かれていた。いまでいうPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患ったのだろうか。

 

その映画を観終わった後、ふと、「バナナフィッシュ日和」のシーモア・グラスのことを考えずにいられなかった。

「どうなるって、何が?」

「バナナフィッシュ」

「ああ、バナナを食べすぎてバナナの穴から出られなくなったあとかい?」

「そう」シビルが言った。

「うん、それが言いづらいんだけどね、シビル、死んじゃうのさ」

「どうして?」とシビルは訊ねた。

「うん、バナナ熱にかかちゃうんだ。恐ろしい病気なんだよ」

 

バナナフィッシュの死の原因については、能弁に語るシーモア・グラスだったが。

 

「ツインベッドの一方に横になって眠っている女の子の方を、若い男はちらっと見た。それから荷物を置いたところに行って、鞄のひとつを開けて、パンツやアンダーシャツの山の下からオートギース七・六五口径オートマチックを取り出した。弾倉を外して、眺め、もう一度挿入した。撃鉄を起こした。それから、空いている方のベッドに行って腰を下ろし、女の子を見て、ピストルの狙いを定め、自分の右こめかみを撃ち抜いた。」

 

「ナイン・ストーリーズ」の冒頭に置かれた「バナナフィッシュ日和」では、グラース家の長男のシーモアがいきなり理由も原因もわからず(もっとも、自殺というものには明確な理由や原因といったものはないのかもしれないが)、ピストル自殺を遂げてしまうのだ。さすがに、この作品集を初めて読んだ時にはいささか面食らったものだ。いきなりピストル自殺から始まる短編集。

 

グラース家を描いた作品群は、グラース・サーガと呼ばれているそうだ。彼ら兄弟たちは、物知りの子供たちが登場するラジオ番組に全員が幼い頃に出演する、秀才兄弟であり、長兄シーモアの人格や思想、そして彼の死の影響を何らかの形で受けていることになっている。本作「バナナフィッシュ日和」以外の作品を読んでも、シーモアの死の真相はわからずじまいであった。

 

サリンジャーが帰還兵であったように、シーモアも帰還兵である(「陸軍があの人を退院させたのはね、完璧な犯罪ですって」)。

 

戦争によってストレス障害を負うこと(戦争神経症)は、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争を経た現代では周知の事実であるが、「バナナフィッシュ日和」が発表された、第二次世界大戦後まもない頃に、どれくらいの人がその事実を理解していただろうか? なにより、戦勝の熱が冷めやらぬ当時のアメリカ社会に、サリンジャーが投じた作品の主題は、現代にも続いているのだ。

 

引用は、「ナイン・ストーリーズ J.D.サリンジャー 柴田元幸訳 ビレッジブックス刊」。