雑感 最近の小説作品について(続き) | ScrapBook

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(続き)

昨日、カフカの「審判」を十数年ぶりに再読した。この作品を読むのは今回で三回目であったかと思う。初めて読んだのは学生であった頃だから、おおよそ三十年近く前のことだ。再読したのは十年ほど前のことだっただろうか。

昨年の秋頃、久しぶりに「審判」を手に取り、半分ほど読んだところで仕事が多忙となり、仕方なく放擲していたのだった。一昨日の夜、仕事から帰ると、仕事の続きを家でしたり勉強をしたりすることがほとほといやになってしまったので、なにもかもうっちゃっておいた。すると今まで放置していた「審判」のことが急に気になり、そのまま読み進めていたら、あっという間に読了してしまったのだ。

十年ぶりに読むとはいえ、有名な作品であり、二回も読んでいるわけだから、あらすじはすでに頭に入っていた。だが、この作品が持つ非常に強い力に感銘を覚えずにはいられなかった。

出口のない世界に、理由もなく突然投げ込まれた、主人公ヨーゼフ・Kの煩悶や苛立ち、恐れ、そして、時折ほの見える、かすかな希望。なるほど、カフカの小説を読まなくても、我々が生きる世界は不条理の世界である。我々は、その理由も知らず、苦しみながら生きているものだ。だが、小説の世界の方が、現実の世界よりもずっと生々しく感じることがある。

いうまでもなく、「審判」の「あらすじ」が、僕を感動させるわけではない。読者は、「プロット」や作品に仕込まれた「ギミック」に心を動かされるものではない。作中に登場する人物の息づかいや心の震えが、僕を惹き付け、僕に問いを投げかける。再読に耐える作品こそが名作である所以である。

 

「騎士団長殺し」に関する簡単な読後感を書こうと思いながら、かなり脱線してしまっている。(続く)