長いお別れ | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

長いお別れ/清水 俊二

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「僕はロマンティックな人間なんだ、バーニー。暗い夜に泣いている声を聞くと、なんだろうと見に行く。そんなことをしていては金にならない。気が利いた人間なら、窓を閉めて、テレビの音を大きくしておくよ。あるいは車にスピードをかけて遠くへ行ってしまう。他人がどんなに困ろうと、首をつっこまない。首をつっこめば、つまらないぬれぎぬを着るだけだ。テリー・レノックスと最後に会った時われわれは僕の家で僕がつくったコーヒーをいっしょに飲み、タバコを吸った。だから、彼が死んだと聞いた時、台所に行って、コーヒーをわかし、彼にも一杯注いで、タバコに火をつけてカップのそばにおき、コーヒーが冷めて、タバコが燃え尽きると、彼におやすみをいった。こんなことをしていて、金になるはずはないんだ。君ならこんなことはしないだろう。だから、君はりっぱな警官になっていて、僕は私立探偵になってるんだ。」

「この作品はセンチメンタルすぎやしませんか?」と、ある会社の面接を受けに入った時、待合室で鞄にしのばせてきた文庫本を読んでいた僕のとなりに座っていた男に言われた。「チャンドラーなら、さらば愛しき人よの方がいいですよ」。彼は引き続きそう言いながら、まるで僕に同意を促すように心持ち彼の顎は頷いていた。「さらば愛しき人よ」も確かにすぐれた作品だと思うが、僕にはどうしてもこの作品を愛する理由があるのだ。13年も前から。

「ロング・グッドバイ」を読む前にチャンドラーの作品はかなり読んでいたが、僕の感覚に最も合った作品はこの「ロング・グッドバイ」、邦題「長いお別れ」だ。僕はもともと推理小説やSFという類いのものを読まない。だからチャンドラーにしても例外ではなかった。彼の作品の一冊を手に取るまで異境の作家の一人だった。ハードボイルドというジャンルを聞くだけで、僕の頭の中では暴力的なシャーロックホームズが片手にコルトの自動拳銃を握り、ちんぴらやマフィアと張り合い、陳腐な台詞を連発する007みたいな主人公が闊歩する物語程度と想像していたのだから。

だが、彼のいくつかの作品に登場する私立探偵フィリップ・マーロウ。孤独を好みながら男気があり、目の前の損得より情を優先する言動に、やや現実離れした主人公だと分かりながらも惹かれていく自分がいる。気障ったらしい台詞になるところを、彼流の皮肉を織り交ぜて辛辣に批評する姿勢といい、単純に「格好いい」。

僕がこの作品をチャンドラーの他の作品よりも愛する訳。それはマーロウの存在もさることながら、名脇役のテリー・レノックスにある。この礼儀正しく、心優しい痩身の男は、作中では最初と最後にほんの少し登場するだけだが、彼の持つ邪気のない独特の雰囲気にマーロウが親しみを覚えたように僕もテリー・レノックスにある種の幻を見てしまう。僕がこの世界に期待する幻のようなものだろうか? なぜなら、この世界にはあまりに親切が少なすぎ、あまりに悪意が多過ぎると僕は感じているからだ。