ジェイ・ギャツビーについて | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

この作品の人を惹きつけて止まないのもジェイ・ギャツビーの持つ魅力につきる。「ロング・グッドバイ」のテリー・レノックスの役回りと同じように。ある種浮世離れした「永遠の愛」とでも言うものを具現化しようとする彼の行動は、あまりに愚かしく、あまりに幼い、無邪気なまでに純粋だ。

5年前に愛し合った女性ディジーも今はトム・ブキャナンの妻であり、一児の母。家庭生活は順調ではないが単純再生産の日常に退屈を覚えながらも安住している彼女。今やギャツビーのことを思い出すこともなくなっている有り様。不満はあっても昔の恋人の元に走り、現在の生活を捨てるほど彼女は幼くはない。

一方、ギャツビーは不穏なことに手を染めてまでひと財産を築き上げ、ブキャナン夫妻が暮らす住居の対岸に白亜の大豪邸を用意し、夜な夜な華々しいパーティを催す。彼が湯水のように散財し、光にあつまる蛾のような人間たちを集めたのも、ディジーただ一人をよぶためだけに行っていたに過ぎない。このつつましやかな、こんなささやかな願いを叶えるためだけにギャツビーが行ったあれらの尋常でない散財が、すでにロマンそのも。ロマンとは狂気を帯びているものだ。どれだけ財を投げ出しても、どんな道を歩んででもひとりの女性を愛し続けるこのある種の狂気や、常人では考えられない彼の意志の力の有り様に僕はとても惹きつけられる。愛は、少しばかりの狂気を伴わないと発生しないように。

ギャツビーはずっとディジーを愛し続けていた。もちろんディジーだって自分を愛し続けているのだと彼は信じていた。その無垢なまでの信頼がなければ、戦地に赴きディジーと別れ別れになった後の時間の塊を彼は生きていくことなぞできなかっただろう。

一瞬、夢が叶いそうになる。だが現実的なディジーは夫を選択することでギャツビーの元を去る。同じ頃、その残酷な事実を知らないまま、ギャツビーはトム・ブキャナンの不倫相手の夫に殺害される。ギャツビーは残酷な事実にふれることなく、また人の心などすぐに変わってしまうのだという「現実」を知らないまま、ある種の狂気じみた愛を胸に抱いたままこの地上から姿を消すのだ。彼が抱いたような愛情はこの地上に存在するにはあまりにか弱く、また繊細すぎた。だから人は、ほんの一瞬頭をかすめる純粋な愛という概念にあこがれ、惹かれるのだ。それは過ぎ去ってしまった時間を取り戻すために時計の針を逆回ししている児戯かも知れない。針を指でいくらひねってみても時は戻ってはこないのだけれど。そして、えてして生活が打算の連続であるように、世間的な愛情もまた打算の連続であるのだろうか?