グレート・ギャツビー 村上春樹訳 | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

グレート・ギャツビー/村上 春樹

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1987年9月、ノルウェイの森という本の中で僕は一人のアメリカ人作家の名を知った。フィッツジェラルドという名を目にしたのはその時が初めてだった。作中では、「グレート・ギャツビー」の素晴らしさが語られ、20歳になったばかりの僕は新潮文庫版を貪るように読んだものだった。が、村上春樹が絶賛するほど「グレート・ギャツビー」は僕にさほど感銘を与えなかった。はっきりとは分からないまでも翻訳が悪いのではないかという気がしていた。かといってどこがどう悪いのかを指摘することなどできなかったけれど、直感的にいっそのこと村上さんが訳してくれればいいのにと当時から漠然と感じていたものだった。

それがとうとう現実のものとなった。

学生時代、フィッツジェラルドの作品で手に入るものは貪欲に読んだ。荒地出版から出ていた「フィッツジェラルド作品集」の三冊、角川文庫「雨の朝パリに死す」、村上さんが訳した「マイ・ロスト・シティ」、角川から復刻された「夜はやさし」を大枚はたいて入手した。残念ながら「ラスト・タイクーン」は手に入れられなかったが。

20年前、フィッツジェラルドを知っている学生なんてほとんどいなかったと思う。アメリカ文学といえばヘミングウェイ、ポーやメルビル、ホイットマンであり、フィッツジェラルドの名前はずっとずっと後のほうに付け足すぐらいで登場するのが関の山だっただろう。村上春樹という作家が仮にあの時点で消えてしまっても(消えるどころかますます旺盛な活動をしているのだけれど)彼がフィッツジェラルドを広く紹介したことは文学史に残る偉業だろうと僕には思えた。

フィッツジェラルドのすごさに気づいたのは荒地出版から出ている作品集の三巻目「崩壊」を読んだ時からだった。晩年に書かれた短編集からなるこの作品集の中でフィッツジェラルドは諦めと後悔とかすかな希望が入り交じった複雑な様相を見せている。それはどんな人間にもある弱さが嫌味や同情を他者に感じさせることなく作品として結実しているからであった。妻ゼルダの発狂、アルコール依存、貧困、彼には戦わなくてはならない事柄があまりに多過ぎた。

20年ぶりの「グレート・ギャツビー」は、村上春樹訳でまるで新しい作品として息を吹き返した。新しく訳されたことで古さを感じさせない作品であることを読者は感じるだろう。まるで、以前の訳で曖昧で霞がかかっていた登場人物がと読者の心象にくっきりと浮かび上がってくるようだ。

それにしても素晴らしい作品だ。今日、購入して、さっき読み終えたが、もう一度これから読み返したくなるほど素晴らしい。本作についての感想は後日書きます。

マイ・ロスト・シティー/フランシス・スコット フィッツジェラルド

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