ファウスト 悲劇 | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

ファウスト〈第1部〉/ヨハーン・ヴォルフガング ゲーテ

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ファウスト〈第2部〉/ヨハーン・ヴォルフガング ゲーテ

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ファウスト
世の中を駆け通しできた。欲望の赴くところんお前髪をつかみ、気に入らなければ放り出した。逃げる奴はそのままにした。ひたすら望んで、それをやりとげ、さらに望んで、生涯をつらぬいてきた。はじめは猛々しかったが、しだいに賢明に、思慮深くなった。地上のことは十分に知った。天上のことは知るべくもない。天上に憧れ、雲の上に仲間を求めるなどは愚かしい! しっかと地に足をつけ、まわりを見回す。その気さえあれば、世界が黙ってはいないのだ。永遠を求めても何になろう。認識したものこそ手に取れる。この世の道をどこまでも辿って行く。あやかしがあらわれようと、わが道を行く。求めるかぎり苦しみがあり、幸せがある。ひとときも満ち足りることはない。


久しぶりにファウストを読んだ。ファウストの扉には悲劇と書かれている。第一部と第二部に分けられた本作の第一部はストーリーは、悪魔メフィストに魂を売ったファウストが若返り、欲望に駆られながら渦巻く恋の劫火に焼かれたグレートヒェンとの悲恋であるから、これは悲劇だろう。
しかし、第二部は難解だ。ゲーテの生きた18末から19世紀初頭の世界を錬金術の方法で描いてみたという文脈がそこここにある。地中に埋もれた財を原資に紙幣を乱発する王国、人造人間が登場し、時空を超えた人々が躍動する。
それぞれ金融商品、産業革命を境に機械化された世界、時空を操ることは人間の根源的な願望ではなかろうか? 換言するなら、中世以前にあった強力な信仰の世界が、すべてを記述できる世界、すべてを数値化できるという信仰に置き換わった世界自体が悲劇だろう。大きな物語が書き換えられた世界に、科学に負かされた世界に(それは今も続いているのだが)。そのどれもが19世紀以降の人類の進歩であり、発展であり、拡張であり、欲望の発露だ。
ゲーテ晩年の目には、人類が急激に急ぐさま自体が「悲劇」と見えたのだろうか? しかし、その中にあってさえ「たえず励む者には、天使がついている。天上から愛の手がのび、清浄の群れがいそいそと出迎えにくる」。

今回は、池内紀訳で読んだが、明日からは森鷗外訳で読みたくなる作品。