カフカの生涯 | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

カフカの生涯

¥2,600
株式会社 ビーケーワン

痛みがひどい。カフカはクロプシュトックにモルヒネの投与をせがんだ。
「いつも約束していましたよ」
二人の間には約束があったらしい。
なおもモルヒネをせがんだ。カフカ一流の語法である。
「わたしを殺せ。さもないと、あなたは殺人者だ」
作用のおだやかなパントポンが投与され、患者はすこし落ち着いた。
「わかりました。でも、これではダメ。救ってくれない」
カフカ自身、いのちの尽きるのがわかったのだろう。
「もう苦しめないで。何のために長びかせるのか」
注射器を洗うためにクロプシュトックがベッドから離れようとすると、カフカが止めた。
「行かないで」
クロプシュトックは答えた。
「行かないですとも」
カフカが言った。
「でも、ぼくが行く」
そして目を閉じた。正午ちかくに呼吸が止まった。

(「カフカの生涯」384-386)

「不条理」の作家カフカが20世紀文学に与えた影響は測り知れない。もしも、カフカの文学が存在しなかったなら、20世紀文学も今とはかなり違った地図を描いていたことだろうことに異議を唱える方は少ないだろう。

彼もまた数多くの著名な作家と同じように死後、評価された。作品を研究する場合、作品だけに光を当てて解釈する方法も勿論あるだろう。一度、著者の手許を離れた作品は作者個人のものであることをやめ、公共財とでもいうべきものに変質するからだ。文学とはどこまで行っても状況の文学であることを止めることはできないのだから。特にカフカのように特異な作家は。ユダヤ人を巡る問題、フォークロアとの関係など、彼の文学を解釈する研究者の数と同じ数だけ彼の文学は細分化され、書き換えられてきた。

だが、作品が世界に放たれたとは言え、その作品と作者とは紐帯とでもいうもので結びついているはずだ。年老いた母親にとっての我が子が永遠に子供であるように。作品へのアプローチにはまず作者の生涯を知ることからという、このあまりに当り前すぎる順番こそ難解と言われる彼の文学をよりよく知る道順ではないかと思う。ある作品を愛するとは、作者を愛するということに他ならない。文学作品を解釈するとは、客観的にして科学的な手法ではなく、まず作品と作者を愛するという心の動きがなければできない作業ではなかろうか?

彼自身がたどった人生とはどのようなものだったのだろうか? また彼の文学と実生活との関係といった文学的な疑問に対して、池内氏の丁寧で誠実な作業が続く。

2001年から白水社から刊行されたカフカ小説全集の翻訳も手がけた池内氏でないと書けない一冊。


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