ウェブ進化論 | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

ウェブ進化論

¥740
株式会社 ビーケーワン


今さら「ウェブ進化論」なんて、と思われそうだが……。これを読んだのは今年の2月だった。その時読んだ記憶を元に考えると。

この本ではWeb2.0という言葉でAmazonとGoogleが大きく取り上げられ、ブログ、ロングテール、アフェリエイトなどを分かりやすく解説していて、なるほどと思うことが多かった。

しかし、僕がもっとも気になったのは、おしまいににあった既存メディアについての考察だ。今、手許に本書がないので正確な引用はできないが、ネットにつながったパソコンを使っている人なら誰だって簡易に情報の発信を行うことができ、それが結果的に爆発的な情報の氾濫を引き起こしている。一方、既存メディアは、少数の表現者による限定した情報を伝えるという、情報に対してある種フィルターをかけることで、自らの情報に付加価値を付け続けた(「情報の発信」なんて誰も簡易にできないことなのだから、その時点で充分すぎる付加価値だ)。

この図式を言い換えるなら、前者は受け取り手に対して完全な信頼を持っているが(誰でも情報を無差別に送るのだから。悪く言えば情報の垂れ流しか?)、後者は受け取り手には、我々(つまり情報の送り手)が美味しいところを作り上げて、伝えてあげないといけないという考えで行っている。

ここで展開されているメディア論こそ、本書に表された大きな問題定義だと考える。受け取り手に対する信頼をキーワードとしている点が見逃せない。ネットの世界に対して、既存メディアは「すべての人間が、(換金できる)表現者ではない」という主張があるはずだ。でなければ、「記者」「著述家」などという肩書きは存在しないだろう。

既存メディアを鉄道とするなら、ネット社会は言うなればマイカー社会みたいなものだ。融通は利かないが手堅く時間通りに走り続ける電車と、どこでも好きな時間に自由に走り回れるが、それを運転しているのはプロではない(乗客からすると鉄道と白タクみたいなものか?)。なんだかそんなことを考えてしまった(「オーマイニュース(http://www.ohmynews.co.jp/)」は、日本で成功するのだろうか?)。市民みんなが記者だ、かぁ。

アメリカではネット広告が既存の広告媒体を追い抜きそうな状況だそうだが、追い抜いた時、つまり「金になる」と多くのクライアントがネット広告に流れた時、ウェブ進化論の世界が真の意味で現実になるのだろう。