「アイロンのある風景」 神の子どもたちはみな踊る | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

神の子どもたちはみな踊る

¥438
株式会社 ビーケーワン


「ねえ三宅さん」
「なんや?」
「私ってからっぽなんだよ」
「そうか」
「うん」
目を閉じるとわけもなく涙がこぼれてきた。


村上春樹の多くの作品に見られるようにこの作品の三人の登場人物の背景について詳しく語られていない。1995年2月のとある夜、流木が海岸に流れ着く夜には決まって焚火をする男とその焚火に付き合う若い女が、茨城のどこかの海岸で過ごした一コマ。

順子は高校三年生の時に家出をしてこの茨城の海辺の町に暮らして一年程になる。彼女は、二歳年上の大学生でサーフィンとバンドをやって気楽に暮らしていたいと考えている啓介と同棲している。三宅は5年ほど前からひとりでこの町に住み出したとある。普段は絵を描いている。年齢は四十代半ば、小柄で後頭部が薄くなっている。神戸には二人の子供がいるが、消息は不明。また妻については一切語られない。

真っ暗な海岸で燃え上がる焚火の炎に見つめる二人は「死」について思いを巡らせる。三宅は、自分が取り憑かれた「死に方」の話をする。「死」は村上春樹文学の重要なキーワードだ。「死は生の対極にあるものではない」という「風の歌を聴け」の一節がここでも木霊している。
「死に方から逆に導かれる生き方というのもある」

タイトルになった「アイロンのある風景」とは三宅が最近描いた絵のタイトルだという。部屋の中にアイロンが置いてある風景だが、それは「実はアイロンではない」と三宅は語る。果たしてそれは何を意味するのだろう。焚火の炎に「あらゆるものを黙々と受け入れ、呑み込み、赦していく」姿を見、「ほんとうの家族というのはきっとこういうものなのだろう」と思う順子。彼らに共通する欠落したもの、滅んでしまったものとは。

風の歌を聴け

¥381
株式会社 ビーケーワン