これはどちらかというと人生の原則です。
そして、人生の歩み方です。
人は弱いもので、何かに依存していないと生きてません。
その中でもより自律的な人、自立的な人ほどカッコよくみえませんか?
実際に、自分でできることが増えれば、自己責任を取れる範囲が拡大していきます。
自己責任をとれればとれるほど、自分に対するコミットメント(責任感をもって物事を成し遂げていく能力)は向上していきます。
実は、この自己責任ということば。
よく耳にしますよね。
どういう時でしょうか。
何かを説明されて「決断はあなた次第です。わたしは、このことばを言いはしましたが、やるかやらないかそして、やった後どうなるかはあなたの責任ですよ」という時によく聞くような気がします。
でもその原理ってちょっと納得できません。
あなた本当に自己責任ということばの意味わかって使っていますか?
って尋ねてみたくなります。
あなたができるといったんです。
あなたが責任取らないでどうするんですか?
という具合です。
ですから、この「自己責任」ものすごく都合のよいことばとして使われてしまっていますので、めっちゃ要注意です。
本来の自己責任ということばの使い方として正しいのは、わたしのことばや言動はわたしのものですから、言ったことややったことに自分で責任を取るというものです。
わたしはそこまで、長い人生経験があるわけではありませんが、この自己責任感覚のない人と仕事をしたり、何か重要なことをしようとしたときにものすごくずれるというか、基本的に言語が違うんじゃないかというぐらいにコミュニケーションができなかった経験があります。
もちろんわたしも完璧ではありませんし、むしろこの自己責任感の薄い方だったと言えると思います。その分多くの人からこの自己責任感を有言でも、無言でも、教えられてきたような気がします。
そして、信用という問題。これも危機に瀕したことも幾度もありますが、お金より大事なものの一つですね。信用があるので、仕事が来る。よって信用をお金に換金しているということをいう人さえいます。
信用はつけばつくほど、良いに決まっています。
信用がつけばつくほど、信頼がうまれます。
では改めて、信用とは・・・
デジタル大辞泉の解説
しん‐よう【信用】[名](スル)
1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を―する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。「―を得る」「―を失う」「―の置けない人物」「店の―に傷がつく」
もう少し定義付けと解釈を付け加えておきますと、信用とは一時的な判断ということができます。
一度話したり、一度知ってもらって確かなものと受け入れてもらったなら、信用を得たということになります。
では、信頼とはなんでしょうか?
しんらい【信頼】( 名 ) スル
ある人や物を高く評価して,すべて任せられるという気持ちをいだくこと。 「部下を-する」 「 -を裏切る」 「 -性」 「 -度が高い」 「 -が置けない」 〔類義の語に「信用」があるが,「信用」はうそや偽りがなく確かだと信じて疑わない意を表す。それに対して「信頼」は対象を高く評価し,任せられるという気持ちをいだく意を表す〕
信頼は信用よりも、少し進んだ先にあることがお分かりいただけたらそれで十分です。
プロセスとして書くならこうなります。
信用→信頼
ケース1:信用がおけるという判断を10回された。
でも信頼はされていない。
ケース2:3回会っただけで、信用がおけると判断してもらった。
そして、信頼してもらった。
というように、信用を重ね、信頼を勝ち得るというのがすべての人の心理的にも感情的にも受け入れられるために必要なことではないでしょうか。
たとえ、それがどんな誠実な人であろうと、どんな偉人であろうとその人を知らなければ、信用も信頼もすぐには生まれません。
人々の心の壁は思った以上に厚いのです。
しかし、今回考えている自己責任力。
これがあると態度や振る舞い、言動すべてが信用のおける、信頼のおけるものになってきます。
これは不思議ですね。
責任を取らせてやらせてみる。
これが、人を伸ばす方法なのかもしれません。
それだけで、変われるというものなのだと思います。
何か起こったとき、非情事態のときかり出される人がいます。
どういう人ですか?
責任感をもって事態を収拾に努めることができる人です。
あなたは、家族の、会社の、地域の、国家の、そして世界の非常事態に直面したとき頼られる人ですか?
それが、今ひとつひとつの行動と言動で問われています。
最初に出てきた、自律と自立を復習しておきましょう。
自律と自律は自己責任を取ろうとする態度のことです。
(自律的:自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。自立的:他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。自身で自分の言ったことを守れるか)
自律的であることに関しては、自分の言ったことに従っているかは自律的である証拠です。自分を規制しコントロールすることができるという能力のことを言っています。
自立的であることに関しては、他の人が介在するか、しないかという状態のことを言っています。
信頼は信用よりも、少し進んだ先にあることがお分かりいただけたらそれで十分です。
プロセスとして書くならこうなります。
信用→信頼
ケース1:信用がおけるという判断を10回された。
でも信頼はされていない。
ケース2:3回会っただけで、信用がおけると判断してもらった。
そして、信頼してもらった。
というように、信用を重ね、信頼を勝ち得るというのがすべての人の心理的にも感情的にも受け入れられるために必要なことではないでしょうか。
たとえ、それがどんな誠実な人であろうと、どんな偉人であろうとその人を知らなければ、信用も信頼もすぐには生まれません。
人々の心の壁は思った以上に厚いのです。
しかし、今回考えている自己責任力。
これがあると態度や振る舞い、言動すべてが信用のおける、信頼のおけるものになってきます。
これは不思議ですね。
責任を取らせてやらせてみる。
これが、人を伸ばす方法なのかもしれません。
それだけで、変われるというものなのだと思います。
何か起こったとき、非情事態のときかり出される人がいます。
どういう人ですか?
責任感をもって事態を収拾に努めることができる人です。
あなたは、家族の、会社の、地域の、国家の、そして世界の非常事態に直面したとき頼られる人ですか?
それが、今ひとつひとつの行動と言動で問われています。
最初に出てきた、自律と自立を復習しておきましょう。
自律と自律は自己責任を取ろうとする態度のことです。
(自律的:自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。自立的:他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。自身で自分の言ったことを守れるか)
自律的であることに関しては、自分の言ったことに従っているかは自律的である証拠です。自分を規制しコントロールすることができるという能力のことを言っています。
自立的であることに関しては、他の人が介在するか、しないかという状態のことを言っています。
オートノミー
autonomy
自律。自己の行動を外部より拘束されず,みずから課した原理によって決定すること。
ともされており、自立的であることよりわたしは重視しています。
そして、自立することを助けることは、できます。
そして、自律することを助けることも、できます。
自転車の補助輪がなければ、支えてくれる人がいなかったらだれも最初から自転車は乗れませんでしたよね。(^-^)/
ともされており、自立的であることよりわたしは重視しています。
そして、自立することを助けることは、できます。
そして、自律することを助けることも、できます。
自転車の補助輪がなければ、支えてくれる人がいなかったらだれも最初から自転車は乗れませんでしたよね。(^-^)/