プライドが高いといえば・・・


「オレは超エリートだ!あ…あんな下級戦士にやられるわけがない!!ハッ
とドラゴンボールのベジータ。もっと馴染みの深いところで
バイキンマンやジャイアン、ツンデレ娘というのもそうなのですが
いわゆる"俺様王冠2"的存在ではあるものの悪役とは違う感じや
完璧ではないのでどこか憎めないキャラクター達ばかりですよね。ニヤリ

ご覧の通り"プライド"とは自身の誇りだったり
自尊心の高さのことですが性格的に負けず嫌いだったり、
強いこだわり、過去の実績や経験からくる自信などがつくった
「こうあるべきグー」という思考です。

少なからず誰もが持っているものなのですが主張が強かったり
多かったりすれば煙たがられたり近寄りがたい存在になってしまう事もありますし
時にはその"プライド"が自分を苦しめてしまう原因になってしまう事も・・もやもや

困っている時、助けて欲しい時に言いたくても言えない事や
自分を偽って本当の気持ちを抑え後悔してしまう事
そしてプライドを傷つけられたり、他者の考えを理解できない事で
いらだちや悲しみを感じてしまう事などもあります。ショボーン

"プライド"を調べると誇り、自尊心と出てきます。(Wikipedia)
たしかに同じような意味合いなのかもしれませんが
プライドと自尊心には重要な違いがあります。びっくりハッ

それが
プライドとは他人に示すものや他人にとって自分はどうなのかという捉え方
自尊心とは自分を肯定し自分は自分にとってどうなのかという捉え方の違いです。

今までの成果や頑張ってきた自分を肯定し
苦手な部分や弱いところも同じくらい肯定する
そしてそれは他人も同じで良い部分も弱い部分もある
だから「助けて欲しいお願い」と言えるし
「助けてあげたいハート」とも思える。

プライドの強さだけではなく、柔軟性や肯定感を取り入れる事で自尊心になり
もっと楽な感じ方やいろいろな発想、そしてより良い人間関係や
自身の未来に繋がっていきます。音符


とはいえ
ジャイアンやバイキンマンの高いプライドをとってしまったら
きっと物語は成り立たなくなってしまうのかもしれません。
そういった意味では必要不可欠なのかもしれませんね。バイキンくん汗

「話はちゃんと相手の目を見て話す」目

子供の時によく言われた言葉の1つですが

日本人は、この行為を苦手とする人が多いそうです。

 

ネット調査によれば『異性と10分程度会話をする』という調査で

特に若い男性(20代)は顔は割と見ていられたものの

目を見るという行為については平均1分以下。

相手が異性というだけにわかる気もしますキョロキョロ汗

 

ただ礼儀やマナー、話が伝わりやすいからとなるべく目を見るように

心がけ頑張っているようです。

実はこの"話をする時の視線"にも性格や心境でます。

 

たとえば相手が視線をそらす事なく、じ~っと見てくる時

大きく分けて2つの理由があります。まずはあなたに対しての理由ですが

相手はあなたに特別な感情を持っている時です。

「やっぱり、脈ありの時かぁ♪」

って思いました?たしかにそういう場合もあります。しかしそれだけではなくハッ

"この人はどういう人なんだろう"と観察的に見ていたり逆に

警戒していることもありますし、場合によっては敵視ということもあります。びっくり

 

そして相手側の理由としては自信の表われや

相手に強く伝えたい事がある時、威圧したい時などなど。

演説や面接など相手に伝えたい時や

真実かは別にして自分を信じて欲しい場合などがまさにそうですね。

 

また誰に対しても同じように目を見て話すという態度であれば

それは相手に対し礼儀であったり外向的な性格の持ち主であったりする為です。

 

逆にまったく視線を合わせようとしない場合は

話に興味がない時、なにか別の事を考えている時、

否定的な感情の表われなのかもしれません。叫び

もちろん性格的な原因もあり恥ずかしさや自身の気の弱さ、

対人関係の苦手意識を隠そうとしている場合もあります。

 

会話の中で一番自然なのは適度に視線をそらしたり

合わせたりするリズム。必要以上にガン見されたり、まったく目を

合わせようとしなかったりすればそこには言葉以外の

あなたに対する思いがあるのかもしれません。グラサンハート

 

「よし、なにか始めてみよう!グー」と

新しくなにかを始めてみたり挑戦してもなかなか思い通りにいかなかったり

失敗してしまう事もあります。

 

1度や2度失敗しても「次はもっと頑張ってみよう」と前向きに

考えたりも出来るのですがそれが続けば、そのうち

「自分には才能がないんじゃないか」「やるんじゃなかった時間の無駄」と

心が折れてくじけたり、意欲を失ってしまいます。ショボーン

 

頑張りが大きいほど挫折感もまた大きなものになってはしまいますが

逆に言えば"その挫折感"は「チャレンジした」「頑張った」証になります。

 

ではどこがいけなかったのか?

 

それは"なにかが足りていなかった"だけの事。

 

ただの失敗ではなく挫折を味わう事ができるのは

気持ちは間違いなく足りていたことになります。ただ足りていないのは"何か"

 

時間なのかもしれません

知識や技術なのかもしれません

閃きやタイミングなのかもしれません

勇気や運気なのかもしれません・・

なにかが足りていなかったのです。

 

Step by step. I can’t see any other way of accomplishing anything.

《どんなことでも、何かを達成する場合にとるべき方法はただひとつ、

一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。これ以外に方法はない。》

 

これはプロバスケで生きる伝説と言われたマイケル・ジョーダン選手の言葉です。バスケ

わたしも世代的にNBAとスラムダンクはドはまりしてました。チュー

 

彼はたしかに才能のある選手で当時は攻防どれをとっても

超がつくほど一流で向かうところ敵なしといった感じでした。

しかしそんな彼も学生時代の数年間は目が出ず1軍入りも出来ませんでしたが

それでも人一倍練習し、努力したことですごい選手になれたわけです。

 

名プレーヤになっても人一倍、地味な練習やシュート練習を惜しまずやり

そのことで自分への信頼と自信を保ち続けることができたそうです。サーフィン

 

始める事はとても重要。でも継続する事はさらに重要です。

たとえ上手くいかなかったり、すぐに成果がでなかったとしても

自分を信じ自分の描いた未来を信じる事が大切です。キラキラ

 

綺麗な花が見たいからと種をまいたところで次の日に咲く事はありません。

ある程度の知識や水、肥料、日光、なども必要ですし

なにより時間が必要不可欠です。

 

最初の数日は芽で見て成長を実感することはありませんが

あきらめず継続することではじめて綺麗な花を咲かせることができます。チューリップ

 

 

昔から"目は口ほどに物を言う"と言われますが

そんなに目で相手の気持ちがわかるものなのかというと

ぶっちゃけわかります。グッ

無理に笑顔を作ろうとしても口元は一生懸命頑張ってるのに

目が怒っていることで残念な結果になってしまったり

大切な話をしているにもかかわらず

"あっ!こいつ話聞いてねぇわ"とバレバレになってしまったりと

口には出さなくてもわかってしまいます。

 

そんな正直な"目"目について心理学的に少し掘っていこうと思います。

まずは「視線の動き」について

 

人は目の前で起きた出来事を頭で考える際に考え方によって

視線の方向が決まっているといわれています。

これを"アイアクセンシング・キュー"と言い

「視覚」「聴覚」「感覚」など五感を通し処理される過程で

視線の動きが変わるというものです。

 

たとえば

 

視線が上に行く時は視覚的イメージを描いている場合で

右上ならば過去の事を思い出していることになります。

過去の事を聞いた時、こういう場合はその状況をちゃんと

思い出しながら話しているって事になります。

 

 

逆に左上ならば考え出そうとしています。つまり創造です。

同じく過去の事を聞いた時こういう場合だと創造しながら、

つまり作りながら話している事になります。

 

 

続いて音や声など聴覚的なイメージを考えている時は

視線は水平に動きます。あった事を思い出すのであれば

視線は右へ移動します。

 

 

逆に左に動けばまだ起こっていない音や声などをイメージ

している事になります。

 

 

ちなみに視線が左下に動く場合は触れたり肌で感じたような触感を

通し思い出していることになります。

 

お母さん「そういえばこないだのテスト、プリントまだ返してもらってないの?」

アセアセ「え!あ、あれね。なんか返ってこないテストらしいよ」

 

さて視線はどこを向くのかなぁ・・・叫び

 

 

 

アブラハム・マズロー (1908-1970)

 

「人間は自分がなれると思ったものにならねばならない。」

 

人間性心理学を創始したアブラハム・マズロー。

人間の動機づけをピラミット型の欲求階層説によって表しました。

 

まずは基底層となる食物や睡眠などの生きる上で最低限必要である生理的欲求

次にお金や健康などの身の安全の為に必要な安心欲求

他者と親密になり、他者に承認されたいなどの愛と帰属意識

人生においてなにかを実現したり、達成や尊敬の自尊心

まずこれらの欠乏欲求を満たして

さらに上の成長欲求である知識と理解への欲求である認知的

秩序と美への欲求である審美的、へと繋がり

個人的な可能性を充足する自己実現にたどり着き

最後は自己を超えたところ高次の存在、または他社が自身の可能性に気付く

助けになりたいという自己超克にたどり着きます。

 

マズローはこのことを自己実現者であるウィリアム・ジェームズや

アインシュタイン、リンカーンを例に共通点をあげ主張しました。

 

また、すべての人が自己実現する能力を持っているとしても

たいていはそれを達成できずにいる。だれもが自分の可能性を見出し

それを満たすことを可能にするような経験を得ようとしなければならない。

 

「人間は自分がなれると思ったものにならねばならない。」

 

というのがマズローの主張でした。